木の生えた道を進んでいく

 人権制限者の管理者の青年に、腕を掴まれながら。僕は僕で、南美川さんのリードをしっかり持って、その鈴の音がとりあえずは滞りなくついてきてくれていることを聴覚で確認しながら。

 木の生えた道を進んでいく。おそらくは、人権制限者――と呼ばれるひとたちや、その管理者のひとたちがいる場所に向けて。いつも体操をしている、池の広場から斜めに見れば丸見えだったあの空間に向かっているのだろう。



 このあたりのエリアは、雑木林とはまた様子や雰囲気が異なる。雑木林がある程度植物の自然性に任せて、原始状態の林の特徴をわずかながらも取り入れている印象だったのに対して、このあたりはきっかりと整備されている。

 木が少ないかといえば、そんなことはない。雑木林と比べてもそう遜色はない。大きな木もあり、木陰は複数人が憩っても充分。吹き抜ける風は心地よく、葉の香りや土の香りも適度に感じられる。実際にここ数日、レジャーシートを敷いてピクニックだなんて、オールディながらもいまだに優秀者たちに人気のあるレジャーをやっている人たちも見かけた。

 しかし、だからこそなのだ。

 だからこそ、わかる――その良い香りも木陰もすべて、綿密に設計されたものなのだと。現代では、社会人、……とりわけレジャーなどをする余裕のある優秀者に向けての公共空間は、すさまじくコストをかけている。


 通行していく通路も、剥き出しの土ではなくしっかりと公共用セメント素材で固められている。近年になって新しく開発された公共用セメント素材は、従来の頑丈さはそのままに、転倒時や災害時のリスクを減らし、またセメントひとつひとつの粒を細やかにしたうえでAI回路素材を搭載したことにより、Neco回路にも従来にもまして適合した――はずなのだが、公共セメントはいまのところ単なる硬いコンクリートのようにしか見えないのだった。……これがあれば、もう公共空間は安心、さあ優秀で社会に貢献している社会人のみなさん休日はあなたたちのための公共空間に出かけよう、という謳い文句だったはずなのに、僕はそれをいままでなんどもオープンネットで見たのに――ではいまこの単なる塊にしか見えない通路はいったいなんの役目を果たしているのだろう、……そう思った瞬間、セメントの合間からぴょこんと元気よくチューリップかなにかの白い花が飛び出てきて、……ありえない光景に、僕はふたたびぞっとした。





 ずんずんと、進んでいく。いや、進まされている。……この青年の、かなりの不機嫌に伴われて。



「どういうことなんですかっ、もうっ」



 人権制限者の管理者の青年は、僕の左腕をしっかりと掴んで勢いある大股で進みながら、吐き捨てるようにそう言った。



「制限者たちが、馬鹿みたいに顔上げてですね、幼児みたいに空を指さしてですね、おかしい、おかしいって言うから、どうせまた妄想でも見えてんだろ、そうじゃなきゃサボりたい口実に違いない、と思って、でも上司が、ほんとだ、とか言うから、なにがとか思って見上げたらですね、なんですか、あの幼稚ならくがきは! すぐに公立公園の管理システムに通報しようと思ったのに今度はNecoが壊れちゃって。こういうの、なんて言うかご存じですか、ねえこういうのですよ、――ねえってば」

「……え、あ、はい?」

「だから、こういうのなんて言うんですかってっ」



 ……まさか、僕のほうに向けた言葉とは思わなかった。ひとりで、勝手にひとりごとを言っているだけだと思っていたから――とっさに反応が追いつかなかったのだ。



「……こういうの、っていうのは、その。あの」

「だからあ! 空がバグってネコも使えねーって状況のことですよ」

「……はあ。いや、まあ……マズいですよね」

「ですよね? 災難っていうんですよねこういうの!」



 ……少々、人文的に過ぎる言葉だとは思うけど。でも、その言葉をこの状況に当てはめること自体に、とくに、異論はないけれど。どうしてこのひとは、災難という言葉に結びつけるだけのことで、こんなに――どこか、得意そうなのだろうか。



「もー、なにが起こっちゃったんでしょうかね。僕たちは社会人で社会においてネコと契約して暮らしているわけですから、バグってもらっちゃ困ります。ネコのこと信用できなくなっちゃいますよ? 信用問題ですよ、これじゃあ。ねえなんなんですか、ネコっていうのは、そんなにすぐにバグるくらい脆弱なものなんですか?」

「……いえ、ネコの回路も、システム自体も、社会インフラ化するのにまったく差し支えないレベルのもので、そういう性質のことで、だからそうそうバグりはしない――」

「はーっ、だったらどうなっちゃってるんでしょうねこの状況!」



 青年は、帽子のつば越しに空を見上げたようだった。――みんなでなかよくくらしましょう。





「……みんなったってねえ、待ってるひとが、いるんですよ」





 今度こそ、ひとりごとだとわかった。しかし、僕は言葉を返そうとした――でも、青年は、とっさにうつむいた。

 それはけっこう不自然な動作で、……僕が言葉を返すことを、避けるかのように。いまふっと言ってしまったことを、まるで後悔でもするかのように――いや、実際のところは、わからないけれど。僕には、……ひとのことなど、ひとの心のことなど、わからない。




 りりん、りりりん、と、……つらそうだけど、鈴の音はついてきている。

 僕は、何度めか振り返った。

 南美川さんは四つん這いで必死でついてきていて、息切れもしていて顔も真っ赤で、つらそうだったけど、僕と目が合うと、……ちろり、と赤い舌を出してちょっとおどけるように、笑った、……ああ、なんどでも僕は驚く、このひとはいったいどうして、とりわけこういうときには、こんなにも、――強い。

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