カルくんと、上司さま

 人権制限者の管理者の青年に連れられたところにいよいよ辿りつくと、見覚えのある顔のひとがいた――青年もかぶっているものとおんなじ、人権制限者の管理者であるあかし、ベージュの帽子をかぶった人権制限者の管理者のひとたち。そして、グレーの作業着を着せられた何人もの人権制限者のひとたち。



 この状況において、彼らのあいだには決定的な違いがあった。それは着ている服の色やタイプやその社会的意義や、人権制限者のひとたちのつけられている枷などよりも、もっと明確な違いだった。


 つまり、人権制限者の管理者がわはうろたえている。場をいつも仕切っていたあの中年の女性職員はいまは笛を鋭く吹く代わりにひたすらスマホ型デバイスを耳に当て、なんらかか怒鳴っている。ほかにも二人、ベージュの作業着を着たひとたちがいたが、彼らは彼らであちこちをやたらとうろうろしては、なんらかのデバイスに話しかけていた。


 その一方で、人権制限者がわは、ほとんどなにもうろたえていないように見える。何人かはぼんやりと口をなかば開けて空を見上げている。でもそのほかはもう、興味もない、どころかこれは普通のいつもの当たり前の日常で、いまにもまたそれが続いていくのだから、みたいな様子で、ただひたすらに待機しているようだ。どこでもない虚空を見つめているひとが多い。ああ、あの例の青年に下等な獣のように扱われていた僕よりも青年なんかよりもずっと年上であろうあの男のひとも――いまはおとなしい、両手をだらんと提げて、口を開けて、とくにだれに見られているでもないということが骨身に染みついているひと特有の、周りを気遣わない妙な無表情をしている、でも、そのひとだけじゃない、この場に数十人はいるであろう人権制限者のほとんどは――そうやって、ただ、ひたすら、ぼんやりとしている。



 じっさい青年は彼らのだれに目を向けることもなく、一直線にあの女性のもとに駆け寄った。

 女性はちょうどなんらかの応答がないことを確かめたところみたいで、きいっ、と叫ぶとベージュの帽子を思い切り地面に叩きつけた。

 青年は、それをすかさずしゃがみ込んでさっと拾う。


 ……薄々気づいていたけれど、たぶんこの青年、すごくしたたかだ。慇懃で、でも無礼とまでいかず。でも、僕みたいなあきらかに社会人っぽくないであろう相手にも、そういう振る舞いを崩さない。相手が人間であればすくなくとも、礼儀をもって、相手をまるで尊敬でもしているかのようなきらきらした目で、純朴を装って見つめてくる。僕だってされた。……社会人のかたとか言われて、必要以上に賛辞らしき言葉を受けた。でも、それは、もちろん僕のためのことではない。わかっている。わかっているけど、たしかに、……うっかり気を抜くと騙されそうなほど、それは青年の長所に映りうると思うのだ。


 いまも、そうだ。いまも、青年は、おそらくはえらい立場であろう女性の帽子を丁寧に拾って、埃を払って、まるで女王にその王冠でも差し出すかのようにうやうやしく跪いて両手で差し出して顔を見上げて――。



 女性はそんなことには気づいてもいないかのような鈍さで、……きいいっ、とさらに長く叫ぶと、茶色のうねった髪を両手で掻き毟っていた。



「ああっ、もう! どういうことなのよ! どこにも、連絡が取れない。Necoインフラはどうしちゃったの? 公園の管理者はどこ――!」

「その件なのですが、おそらくもうだいじょうぶです上司さま。僕が、連れてきたんですけど――この社会人のかたは、対Necoプログラマーなので。僕が連れてきたんですけど――」

「まああなたが連れてきたの? そんなひとを?」

「はいっ」



 青年は誇らしそうに鼻を掻くと、まるで美しい景色を恋人にでも見せるかのような大仰な手の動きで、僕を示した。



「Necoと対話するという社会的に重要な役目を担い、またその貢献度合のために平日であっても長く休みを取ることを認められているほど優秀な、つまり、Necoにかんしては任せておけば間違いない、……きっと、ですね、そういうかたです、このかたは、――僕が連れてきたんですよ!」

「まあ、まあまあまあまあ、ありがとうねえカルくん」



 青年の呼称は、カルというのか――ミサキさんと同様、それも名前なのか名字なのかあだ名なのかそれとも仕事用のクローズドネームなのか、……わかったもんじゃないが。



 中年の女性は、今度はこちらに一目散にやってきて、……急に、僕の手を取った。




「優秀な社会人のかたっ!  Necoプログラマーさんだなんてねえ、おほほ、なんとすばらしいの。……頼んでも、いいのよね。この状況を。任せても、いいのよね。――Necoについてならだってあなた、とってもよくわかるんでしょう? それで、社会人をやっているんだもの。社会に貢献しているからこその、社会人なのだもの。だったら、だったら、――どうにかできるわよねえ、……ねえ?」




 期待のこもった目に、

 ……湿った手。たぶん、焦りの汗でこうなってしまった手。

 僕は、ただ思う――ここにいる、人権制限者の管理者のひとたちは、もしかしたら、……情緒不安定のたぐいじゃないかと。そう疑いつつも、僕は、不快なこの手を離せない――振りほどけない。Neco対話。だって、それは、……僕が、社会人でいられる、社会で人間として生かされてもらえてる、……たったひとつの理由、それがなければ、僕はいまここに、二本足で立っていることさえ――許されないのだから。そう、いまも僕の足元にいる、……南美川さんのように……。

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