芝生広場の、ミサキさん
雑木林を抜けると、視界は一気に開けて、見慣れた芝生の広場が広がる。
見慣れているはずの芝生の広場は記憶のままの広さと構造でそこにあるのに、やっぱりなにかがおかしい。
たしかに、公立公園というだけあって丁寧に手入れされていたのだろう、芝生は青々としいた印象はあった――しかし、もとから、……こんなにも、芝生は艶やかで元気だったろうか? そう思っていたら――芝生たちは急速に生長をはじめた。こちらも、目視できる程度のすさまじい速さで……そして砂の部分など一粒も見せまいとばかりに地面を一気に覆った芝生は、今度は、……小さな花を咲かせはじめた。赤、青、黄……色とりどりの信号色の花々たち。おかしい。芝生に――花が咲くか?
やはり機械鳥ももはや機械鳥ではない。小さな孔雀になっている。あそこに飛ぶのはたぶんツバメと言われる鳥や、カモメと言われる鳥だ。鳥の種類も僕は南美川さんに教えてもらった。ローカリィなむかしばなしに鳥の名前というのはよく出てくるのだ。だから、ある程度いまも見分けがつく――だがこんなかたちで出会うことになるなんて。
そして、今度は、決定的なことがあった。
見上げれば、青空にはやたらくっきりした虹が出ているのだ――ただしナチュラルな虹ではない。虹を用いた、あれは、……文字だ。
そこにはひらがなでこう書いてあった。まるで幼稚園かなにかのお遊戯会みたいに。
……みんなで、なかよく、くらしましょう。と――。
青空に。でかでかと。虹を使って、線文字を――。
……虹で空に文字を描かれると、きれいなんて感想より先に、そのあまりの不自然さに――鳥肌が立つ思いがした。
芝生広場には何人かの人がいて、多くは空を見上げその異様な文字を読み、そして異変に気づいてどうにか対処しようとしていた。
ひとりひとりをじろじろと見ていたわけじゃないけれど、ぼんやりとした記憶をたどると、さきほど散歩しているときとおそらくは同じ顔ぶれだ。
若い夫婦と思われるひとたちはふたりで唖然として空を見上げていた。子ども連れの家族は泣き叫ぶ子どもに構ってもられないと言わんばかりに母親と思われる人間が深刻な顔でスマホデバイスを懸命にいじっていた。ランニングをしに来たのであろうスポーツウェアの青年はイヤフォンデバイスに向かって怒鳴っている。どこかの施設から子どもたちを連れてきていたらしい集団は混乱し、責任者らしい人間が混乱しないでくださいみなさんと自らもあきらかに混乱しているのに叫んでいた。
この社会のインフラ、社会を支えている構造そのものであるNecoにみんなが呼びかける。普段ならアイドルネコの声で明るく応答してくれるはずのデバイスは、いまや沈黙してなんの用もなしていない。Necoが通じないだなんて、現代人はまず経験したことがないだろう――僕だって。
ネコ、ネコ、……ウェキャップ、ネコ。ネコ、ネコ――ネコ!
みんなが、そう叫ぶのに、……Necoを信頼してNeco社会のなかで生きる人間たちがいままさにその名を呼び掛けて、……応えてほしいのに、Necoは――なにも応答しない!
「...Wake up,Neco.Please,Neco...」
僕はもういちどそうつぶやくかのようにNecoの応答を試みたが、やはり、――無駄というものだった。
Neco。いったい。どこで、いま、なにを……しているんだ。
この、あきらかなる異常事態に――。
リードを握る右手が揺れて、鈴もりりんと鳴った。いつも通りに。
ついてきてくれた南美川さんが不安そうに僕を見上げたのだ。
僕も、その顔を見返した――南美川さんが眉をしかめても、僕は首を横に振るので精一杯だった。
そして、南美川さんは顔を上げて、犬の耳をひくひくさせながら芝生広場のベンチの方面に視線をやった。
僕も、そちらを見た。見ざるを、えなかった。
魂が抜けて呆けたようなミサキさんがそこに独りで座っていた。
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