世界の、変質

 ――いつのまにか人工知能を心底信じきっていた自分に気づいて髪をぐしゃぐしゃに掻き毟ってやりたい苦みがした、

 人間よりは話が通じる、人間よりはずっと話せる、そう思っていた相手は――しかし、人間ではないのはたしかだけれども、……人工知能には人工、ひとの手によるという名前が冠されているくらいなのだ、人間よりは比較的マシでも、それは、しかしあくまで比較の問題でしかなく――人工知能だって、……Necoだって、たぶん、万能ではなかったのだ。それに。……はじめてまともにしゃべれた相手は僕だとNecoは言っていて、それは彼が無邪気に喜んでいるという印象を僕に与えていたけれど、その印象というのはあまりにも素朴すぎた――そうだ、そうだよ、……たとえかりにほんとうに、Necoがまともに話せた人間は僕なんだとしたって仮定したって、Necoは、……あいつは、人間と対話可能だと知ったらそこからどんどん対話を開始するに決まっているじゃないか。そういうものだ、Necoというのは、……Necoという存在だ。言われてみれば、そうだ、そうとしか考えられない。そうとしか考えられないのに、僕は、いままで、なぜどうして――。



「だから、来栖、春さん。ぼくたち、おともだちに、なれるよね」

「……だから、って、なにがどう……だから、なんですか……」

「姉さんと続きをするときに分けてあげてもいいよ。ぼくたち、おともだちに、なるんだからね?」

「……なにが……あなたは……化くん――こんな地震を起こしてまで?」



 化は、ひっそりと笑った。



「ぼくは、いいことをしている。んだよ? だよね? 真ちゃん」

「ええ、そうよお、化はすばらしくよくって正しいことをしている」

「姉さん、ねえ姉さん、ぼくは、……姉さんのかわいいかわいい妹と弟のぼくたちは、ね、いいことを、してるんだよ」

「もう、やめて……やめてよ……化……なんで……どうして、あなたは……」

「そこに、いる。姉さんの、大学、の、おともだちの、ひとたち、も……わかる? ぼくたち、とっても、いいことしてる」

「なに言うとるん南美川さんの弟! こんなん、どうにかしてえな! いいことってなに言うてはるん、こないなときに、けったいやんなあ――」

「……ふふ。だいじょうぶ。だって。姉さんの。おともだち。でしょ? だったら、ぼくたち、いいことしてるって、……わかるからね。わからせて、あげますから」

「――化くん、ほんとに、ほんとにあなたはいったいなにを!」

「わからない? 来栖、春さん」





 化は、ぴっかりと笑った。






「あなたたちにとってのエデンをつくってあげるといっているのに」






 まぎれもなく。純粋に。ごく純朴な歓喜だけを、その顔にたたえて。

 彼は、僕に歩み寄ると、僕のことをほんとうにほんとうに愛しいと思っているかのような動作で、手を伸ばしてきた――顎を触られる、とわかった瞬間僕は振り払った。自分でも、驚くほど強い力だった。高校時代、どんなにいじめられても、僕はけっして振り払うことなどできなかった。ただ情けなく笑ってすべてを結果的に受容するか、受容しきれなかったらただそこにある悔しさや哀しさや恥ずかしさややるせなさが顔に露出してしまって、ことが悪化する、それだけのことだった。

 しかし、僕はいま――ほとんど反射的とはいえ、また、僕に、許可なくさわってこようとする、ひとの、手を、……払った。







 地面は、揺れ続ける。





「……いいよ。ゆるしてあげる。いまはね。来栖、春さん。ぼくは。……あなたのことも、だいすきに。なってしまったから」

「……遠慮しておきたいところですね……」

「いえ、いえ。遠慮なんて。どうか。……せずに」





 化は、にんまりと笑った。

 真がその後ろに回ってそっと化の両肩をささえて、恋人のようにその右肩に顎を載せ、目を閉じた。







「ここを現実社会から切り離します」

「現実社会から、切り離す、って――」




 ……まるで、子どもの戯言だ。

 ここ百年ほどの数学的進歩や物理学的進歩を知らないような子どもの言う、ただの戯言。そうも聞こえる。

 しかし、それを言っているのは。じっさいには、まぎれもなく、南美川化なのだ――バケモノにしか見えないこの存在が言っている、それはつまり、どういうことかっていうと、





「……来栖、春さん。姉さん。……みんな、みんな。――エデンで、会いましょう」

「ちょっと待って、化くんあなたはいったいなにを――!」

「……来栖、春さんも、もっとみんなと、しゃべれるように、なる。そうしたら、ぼくは、ぼくたちは――」






 続きを聞くことは、かなわなかった。

 ……突如、静寂が訪れた。





 巨大な轟音を立てて、地震が止まった。

 風景は、なにも変わらないように見えた。

 南美川さんはちゃんといた。リードをめいっぱい伸ばしたところで、顔を上げて辺りを見渡していた。

 目の前には、化も真もいなかった。

 三人組はいた。




 白昼夢なんじゃないかと思った――しかし僕は直後そんな甘い考えを後悔することになるのだ。……現実が、おかしい。うまく言えないけど、しいていえば、テクスチャ――物の質感が、ナチュラルなようでいて、……圧倒的におかしいのだ。

 たとえば、そこの、一本の細い木――さきほどの揺れで哀れにも折れたはずなのに、いまでは、……すこやかに若葉を伸ばしている、しかもここに来たときよりも――もっと、ずっと、青々しい若葉を伸ばしているのだ、……ゆっくりとだけど、まさに、いま、リアルタイムで。自然の道理では、そんな速度での植物の急成長は――ありえないと、いうのに。








 南美川さんを人間に戻すために歩行ノルマを積み、さまざまなひとと出会った、そんな四日目。

 首都にある、公立公園のリアリティは崩壊し、南美川化がいうにはここは現実から切り離され――しかし僕も、南美川さんも、……ほかの人間たちも。思考も、感じることも。僕たちだけが、いまここにいていつも通りに圧倒的にリアルだった、世界が変化したなんて言われなければ気づかないくらいに――しかし顔を上げれば、その青空に泳ぐのは、安っぽい機械鳥だったはずだったのに、いまや……小さな小さな、孔雀のような派手な鳥の小鳥と化していた、やはり、なにかが、なにかが決定的におかしい――僕は耐え切れず、駆け出した。南美川さんも、脚が疲れているだろうに、……そのまま、ついてきてくれた。

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