あいつは、沈黙している
声は、すぐ背後からのっそりと聞こえる。
「……ねえ。あたしも、また会えて嬉しいよお。来栖、春さん」
まったくもって嬉しいなんて感じられない、むしろその真反対の感情を想像させるぞっとするくらい冷えた声で、南美川真は、つぶやくかのようにそう言った。僕の首すじに、爪を立てて、鋭くはないけれど、その丸い爪先が、ゆっくり、ゆっくりと僕の首すじを撫でる――。
……やめてくれ。そう、言いたいのに、喉が詰まってしまったみたいに声が出ない――ああ、これだから僕は。これだから、ああ、……これだから。
「あたし、あんたのこと、ちょっと認めたあげたんだからねええ。だって、あのあと、化だったらあんたのことばっかり。いかに、来栖、春さんという人間がおもしろいか、そんなことばっかりゆってるのお、もおおおねえええ、やんなっちゃううう、でもあたしと化はふたごでしょ? 運命共同体の、この世でたったふたりきりのふたごでしょお……だからあたしもあんたのことちょっと認めてあげたんだからねえ、よかったねええ」
よかった、って。
――なにがだ。
「化があんなに言うんなら、遊び相手くらいにはなるんでしょお」
「……遊び相手とは、光栄だね。せいぜいよくて
「はっ! おんなじい、単に表現の問題、……玩具ってお呼びしたほうがお好みならあ、そう呼んであげたっていいけれどおお?」
「遠慮しとくよ。……それよりも。……真ちゃん」
僕の、声は、……かすれている。
「その物騒な爪を、しまってくれると、嬉しいんだけど」
「えええ? 聞こえなあああい」
南美川真はほんのちょっとのしかし明らかな愉悦を込めて、――僕の首すじを、なおも引っ掻いた。
「……じゃあ、聴いてほしい。――あなたたちは、なにをしに来たんだ」
「化は姉さんモノにしたいんでしょおお」
「じゃあ、真ちゃんは」
「さあね? おもしろいから、ついてきた。それだけで、充分なんじゃなあああい?」
ぼかされた――そんな気が、した。僕は、こういう直感にかんしては、……いじめを受けてた立場ゆえに、妙に冴えてる自信があるんだ。
「言えることがあるとすればね、」
南美川真の声質だけは可愛らしい声は、ほんとうにいま近い。
「化は、今度は、あんたのことお兄ちゃんにしようとしてるよ」
「……それはそれは、喜んでいいのかな。それとも、泣けばいいのかな」
「くふふっ。――そして、Necoさんのことも」
――Necoさんの、ことも?
「珍しいよねえ。化が、ほんとに嫉妬した」
僕は、ぼんやりと向こうに立ち尽くしているままの南美川化に視線をやった。
相変わらず、微笑みを浮かべて――揺れる大地のなか、しっかと立ってるその青年。
「――化に嫉妬されたら、あなたたち、もう化のものになるしかないんだよ。姉さんも、あんたも、Necoもだよ。化は、みんなでいっしょになろうとしている。みんなで、兄弟姉妹になろうとしているの。――遅かったよね、いくら社会性が身についたってやっぱりおバカな来栖春さん」
「……ねえ。ねえ。姉さん。来栖、春さん。そして、Necoさん。……聴いて?」
南美川化は、無邪気な照れ笑い――にしか見えない表情を、浮かべた。
「ぼく、Necoさんの言葉、覚えた。……それでね。姉さんのことも。来栖、春さんのことも。いろんなことね。……聴いた。んだよ」
しゃべり口さえ――幼く、賢く、それゆえに独特のいやらしさをもっている、そんな年代のそんなタイプの少年のようで。
「ぼくたち。きっと。永遠に、仲よくできる……」
「……なにを、言ってるんですか、あなたは……」
「――春さんあたしらがデザインキッズであること忘れてるでしょ」
南美川真の、……呆れ声。
「Necoに対すること。春さんがいままで何年もあれば必死でやってきたんだろうけどおお……あたしと、……とりわけ化にかかったら、そんなん、――こんな一ヶ月あれば、そんな水準、軽く飛び越せるに決まってるじゃない」
「真ちゃん。……そんなことを言っては、だめだ。だって、だってね」
南美川化は、……頬を上気させる。
「ぼく、やってみて、わかった。ネコさんたちと、おはなししてみて、わかったの。……来栖、春さんの、対Neco技術や、……その仲のよさって、すごかった、じゃない、……ふふ、妬けてきちゃうな……」
僕は意味もなく頭上を仰いだ。青空も揺れる雑木林ももうなにもかもが遠く見える。三人組の声やら公園であがっているらしい叫び声やらももうなんだか耳に遠く聴こえる。ただしっかりと僕は右手の感覚だけは意識していた。南美川さんのリードだけは、放してしまわないようにと。
僕がいま、感じていること。それは、たったひとつだった。あの空が落ちてくるかのような寒々しさとともに、――Necoはなにをやってんだよと、南美川家での拘束や監禁から、脱出するときに応えてくれたあの人工知能のことを、……病院ではなんだかコミュニケーションさえ成立していたはずの、あのまるで人格をもった人工知能に対して――僕は、通常のひとならば、ほかの人間に対して抱くのであろうそんな苛立ちや失望を、まっすぐ感じて、……ただ、心のなかでNecoに対する想いを感じていたのだった。
しょせんは、人工知能、プログラム、システムでしかないのか――いや、でも。……でも。あの日、僕に応えてくれて、そこからずっと、……人間のだれよりも僕がいままで親しく気安くしゃべってきた、あの、人工知能は――あいつは、どうして。――このひとたちの言うことを、受け容れてしまったんだ。どうしてだ……せめて聞かせてほしいのに、もういちど小さくプリーズネコとつぶやいても、……反応はない、あいつは、沈黙しているのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます