閉ざされた夜
その夜、南美川さんに、僕はつらく当たってしまった。
いや、わからない。南美川さんからすると、どう感じていたのかはわからない。僕なんかがつらく当たったって、このひとにとってはたいしたことないのかもしれないし、そもそも僕は自分がどういう態度に出てきたのかもわからない、――わからないのだ。僕には、あまりにも、……わからないことが多すぎるのだ。
それでも、あくまで、僕の主観として、……僕は、南美川さんにつらくあたってしまった。
家に帰ったあと。寝るまで。一環して――。
ケーキショップにも、……今日は寄らなかった。
お風呂を溜めなかった。シャワーだけにした。ほんとうは湯舟に浸からせてあげて、疲れを取ったほうがいいに決まっている。わかっているのだ。わかっていた。けど……僕は、あえてそうしなかった。僕は体力も筋力もないので、腕が疲れるということもたしかにあったけど、それ以上に……南美川さんと、面と向かっていたくなかった。
しゃべらなかった。あまり、話さなかった。話をこちらからしなかったし、南美川さんが振ってきても、僕はほとんど返事をしなかった。他愛のないことから、もっと本質的なことまで、南美川さんはしゃべりたい、しゃべりたがっている、話をすることが、……お話が好きなんだ、わかっていた、……わかっていたけれど、僕は、……僕はそうじゃないんだ、南美川さん、すまないけれど、僕の一年ぶんかもっとずっとの量のおしゃべりを、南美川さん、僕はあなたともういちどこんなかたちで出会ってから――たった数ヶ月で、してきたんだ。
たまには、しゃべらない夜がほしい。ただ、それだけのことで。……そんなに悲しそうな顔をさせるのは、僕は、なにか失格なのだろうか。人間として。男として。いやいや――いまどき、そんなオールディな――。
寝る直前にはベッドにうつぶせになって、枕をボードみたいに使ってひさびさにゲームにログインした。ログインボーナスはとっくに途切れていたけれど、ログイン中のサービスギフトがどっしりと貯まっていた。おかげで、ひさびさのプレイだというのに、僕はなに不自由なく遊べた。
人間として、人間の指を使ってゲームをする僕を、南美川さんがじっと横でおすわりして見つめていたのはもちろん気づいていたけれど、……ああ、犬みたいだなあと感じるまでにとどめておいて、それ以外のこともそれ以上のことも、僕はなにひとつとして、考えなかった、――それ以上なにかに気づいてしまったらマズいと経験則でわかっていた。
僕ひとりだけのためのはずだったワンルームのアパートの、虚ろな空気のなかに。
空気なんてなにも読まず、スマホデバイスは鳴り続ける。
帰宅してから、夜眠るまで、ずっと。
『……あーっと、来栖くん、すまへんなあ、ボイスメッセージまでセントして。でもなあ、テキストメッセージをいっくらセントしても返事くれへんから、もしかして気づいてないんやろか思うて……迷惑やん、そんなん、と思いながらも、どうしても、こうしてボイスをセントしてしまったのん。
……あの。あのな。私、今日来栖くんに会えてよかった。ほんとうに、ほんとうによ……あっ! もちろん私だけじゃあらへん、里子も美鈴も、とっても喜んでたえ。あのなあ、これから私ら、四人でようけ仲ようしようなあ。
もしも天変地異が起きても、……南美川幸奈にいじめられた私らなら、生き延びれるで、って、私らいつも、……あっ、こんなん気持ち悪い話よなあ、それにいまどき天変地異、て……ふふっ、旧時代的やな。
……あのな、返事ほしいん。
お手すきのときでええんよ、けれど、……お返事はほしいんよ。
だって、天変地異してしもうたら、そこで連絡だってとれんくなるでしょう』
ぶつり、と応答が消えた――天変地異。なんの話だろう。まあ、なんの話でも……どうでもいいや。
あとは、ミサキさんからの、なにかを心配してはいてくれるんだろうけどどこか的外れなテキストメッセージの着信がひとつ……。
他人からの勝手なメッセージを、愚直に受け取り続ける。なぜなら、それが、スマホデバイスの社会における役割だから。
着信がくるたび、南美川さんは、びくんと震えていた。
大きく震える剥き出しの人間の素肌の背中を僕はときにぼんやりと見ていた。
あのひとたちには、なにをしたの。
そんなことを訊けるわけもなく。
寝るべき時間となって。
僕は小さい声でかろうじて「おやすみ」と言うと、スマホデバイスのネットワークも含めてすべてをシャットダウンした、……部屋の電気も落とされて真っ暗になる。ああ。――明日で、まだ四日め。
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