なにも、わかっていないくせに
南美川さんは、僕の腕のなかにすっぽり収まったままで。
だからこそ、ごくりと唾を飲み込んだのが、僕にはとてもよく伝わってきた。
「……そうね……シュンは……もともと、すごく内気で……」
――内気?
そんな言葉で、南美川さんが僕のことを他者に語るのは、なんだか、……新鮮だった。
「かまいたくなるところがあって……かまいたくなって……それで、わたしは、……じっさいにシュンをかまってしまって……」
――かまう。
そういえば、高校時代のあの地獄の時代も言われていた、かまってる、かまってやってるんだと、……だから僕は、かまうっていうのは、ああ人間の尊厳を根こそぎ奪うことなんだと理解するようになって、……でも、それにしてはその言葉はやっぱり軽すぎるといまでも感じているというのに。
「みんなが、シュンをかまいたくなるの……」
みんな。ああ。……南美川さんの、仲間の人間のひとたちのことかな。
もっとも、いまでは……それも過去形なんだろうけど。
「みんな、反応を見たくなって。それで」
……みんな、という存在も僕はよく覚えている。
たとえばそのなかのひとりが峰岸狩理だった。
しかし、言わせてもらえば、南美川さん、――いや言わせてもらわずとも心のなかで思わせてもらうのは南美川さん、僕が、……あのときの地獄を思い返すのにいちばん真っ先にずっと思い浮かべていたのは、みんな、ではない、……たしかにそれらもいたけどそれらは僕をより苦しめるための、環境を増幅させるひとたちでしかなかった、僕は、……僕は、あなたのことを、南美川さん、南美川幸奈を――いちばんに真っ先に、思い浮かべるというのに。
「シュンは出会ったときから――どこか遠くを見ていたから」
……南美川さんにかけられた、かずかずの言葉を思い出した。
それは僕を、高校時代のみならず、そのあとずっと縛り続けた。
僕はこういう人間なんだと。
僕はほんとうは人間に満たない人間なんだと。
そうやって、かけられた、かずかずの、汚く、品がなく、それでいて納得してしまう、そんな無数の言葉のかずかずのなかでも強烈だったいくつかを――なぜかいまこのタイミングで、僕は強く思い出していた、……感じていた。
「……よく、なにか、わたしたちのことではないことを考えていたから」
だから。だから……だから? だから、なんだというのだ――。
「……ふむ。そうか」
僕からすると、なんの説明にもなっていないような気がするが、ネネさんはなにかを納得したようになんどかうなずいていた。
「春。どうやらおまえにも、乗り越えねばならないことがあるらしい。……幸奈といっしょに」
「……なんの、話ですか……」
「まずひとの話をよく聴くこと」
あらためて、僕はネネさんを見上げた。――ネネさんは、怖い顔をしている。
「おまえが思っているより、ひとはおまえを見ているんだ」
「……だから、なんのこと……」
「ひとをあまり拒むな。かたくなになるな。まあ……気持ちはわかるが。――私も若いころにはカナにさんざん壁をつくるなと叱られた。いや。……いまでもだ」
カナって、ああ、……オリビタの共同開発者のひとか。
「私はどちらかというと春のがわだから気持ちはほんとうに慮るが、しかしおまえもこの期におとなになってもいい」
「……僕、いちおう、社会人ですけど……」
「ああ、ああ、わかっている。――そういうことではない」
なにも……わかっていないじゃないか。
「幸奈を人間に戻すための休暇とはいえ、休暇は、休暇だ。Necoプログラマーだなんて普段は多忙で時間も取れないだろうが、いまなら自分を顧みることもできる。そうだな、たとえば……家族とか昔馴染みの友人に、連絡を取ってみるのもいいんじゃないか。行ったことがないところに行くとか、……だれか新しい人と話してみるとかさ」
「……そんな時間、なくないですか、僕は、南美川さんを歩かせているんですよ」
「ああ、ああ、――だからそんなかたくなになるな。事情は、わかっている……」
わかっている、わかっているって、なに、……なにを。
「今日のところは帰ってよろしい。――ほらまだ夜の七時だ。これからまだ、自分が望めば、夜は長いんだぞ春、――おまえはそういうことを知っているのか?」
――なにも、わかっていないくせに。
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