思い出す、やりとり

 ……さっき、あのとき。

 雑木林の真ん中。草と土の気配。俗世とちょっと分かたれたような、あの湿り気のなかで唐突にあの三人組と出会ったとき――



 うっとりと僕を見つめてくる、あの三人組、――とくにいちばん熱烈な感情をよこしてきていそうな葉隠雪乃の、……真正面から顔を見ることなどほとんど僕には不可能だったから、その首もととも胸もとともつかない、……黒いシックなリボンを、視線の逃げ先として見つめながら――



『……南美川さんの、お散歩をさせなきゃいけないんで』



 僕は、もういますぐこの場から逃げ出したい帰りたいと思いながらも、それだけはかろうじて――言えた。

 そして、それは事実だった。

 ……ノルマがあるんだ、僕たちには。歩ききらねば、人間には戻れないのだ――南美川さんは。



『あのう。私、わからへんことがあるんやけど』



 葉隠雪乃は、そんな僕に苛立った様子も見せず、あくまでも、穏やかに冷静に――すくなくともそう見える雰囲気で、胸もとで小さく挙手をした。



『来栖くんは、南美川さん飼ってはるん?』

『……まあ……』

『わーかった。手ひどく、復讐果たしたんでしょ?』

『うんうん、そうだよねー、そんな千載一遇のチャンス!』


 黒鋼里子のほうがまるで軽快な合いの手でも入れるように言ってきたし、守那美鈴はそれにまったく同調していたようだったが、……残念、その表現ではなにも充分ではない。

 葉隠雪乃は満足そうにうんうんと彼女の友人ふたりにうなずきを返して、そしてまた僕のほうをまっすぐ見つめてくる、――僕はまたしてもとっさに視線の高さを落とす。


『ええなあ、家に人犬の南美川さんおったらなんぞもし放題やん。……ねえ、どんなことやってきはったん?』


 ……きれいといえば、きれいな女性なのに。

 声をひそめて、内緒話をするかのような雰囲気も、ハマっているのに。



 なのに――僕にはこの人がちっとも魅力的に見えなくて、この人から、……早く離れたいと思っている。



『……なにも、やって、ないです』



 きゃははあ、と葉隠雪乃はやけに耳にきんと響く甲高い笑い声を上げた。



『紳士なんやねえ、来栖くんは。……お楽しみはあとでに取っとく派なんやね』



 違う――と言うことすら、面倒だった。



『……とにかく、今日はもう、……急ぎますんで……』

『あっ、来栖さん。連絡先交換してくれはるやろ?』



 ……なぜ、決めつけ。




 しかし、僕は、――他人の怖い僕は、そう簡単には人の申し出を断れない――だから、無難にオープンネットのIDだけは、この場で、雑木林で、仕方なくここにいる三人と交換する羽目になってしまったのだった。……ああ、嫌だ、連絡先リストに人間の連絡先が入っているなんて、……ほんとうは僕には耐えられないのに……。




『ええよ、ええよ。今日は私ら急やったもんね、来栖くんにだって事情があらはるのに、申し訳もなかったなあ。でも、今度また、近々すぐにいっしょにまったりおしゃべりしてくれはるやんなあ? 里子も、美鈴も、私も、楽しみにしてます』




 勝手だ、ほんとうに、……他人の自分勝手さで、僕の人生は続いていく……。





 ……もう、かかわりたくはなかったが。

 しかし、……ひとつだけ尋ねておかねばならないこともあった。





『どうして、南美川さんのことを、知ったんですか』

『ああ、そんなん簡単よお。――なあ?』




 黒鋼里子と守那美鈴も、うんうんとうなずいていた。





『南美川さんの、ほらあ、弟と妹おるやろ。彼ら、いま国立学府の学生だから、つまり私らの後輩やん。……私らがお姉ちゃんにいじめられたってこともよう承知してくれはってなあ、弟さんの化くんも、妹さんの真ちゃんも、私らにとっても同情的で協力的なんよ。……南美川さんが人犬の身分に堕ちてなあ、そんで生き地獄見てるえってこと、あの子ら目ぇきらきらさして私らに教えてくれはったんや。ええ子たちやなあ、……なあ?』




 黒鋼里子と守那美鈴も、また、うんうんとうなずく――僕は思う。冗談じゃない。ほんとうに、冗談じゃない。……南美川化と、南美川真。こんなところにまで、しかも、……そんな事情を利用してまで、南美川さんを追ってくるのか、そこまで、あなたたちは、……もうこれ以上そっとしておいてほしいはずの、全身全霊ですべてに対して震えているはずの、もう、これ以上、……もういいじゃないかってほど脅えている南美川さんを、それでも、こんなところまで、やっぱり、……追ってきたいのか……。

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