そして、ふたたびミサキさん
……お昼の、時間だ。
……疲れた。
今日は、もう、すでに。
……帰りたい。
でも、帰れない。
どんな日でも、どんな事情があっても、ネネさんの――あの生物学者の課したノルマは、容赦なく僕を、……南美川さんを義務づけている……。
昨日とおんなじベンチ。昨日とおんなじような昼食、……でも、今日はサンドイッチにちょっとコンビーフとかを挟んでみたりして、料理などもちろん慣れない僕が南美川さんのためにいろいろと工夫してあげたはずだった。
でも、ランチボックスなんて、……蓋さえ
……南美川さんは、僕の足もとでうずくまって動かない。
僕は、ぼやけながらも確実に晴れといえる真冬の青空を唖然として見上げていた。
昨日とおなじような時間に、昨日とおなじベンチに座っていたからだろう。
昨日とおなじく、あのおばあさんが――ミサキさんが、やってきた。
やはり昨日とおなじような真っ白いワンピースに、緩い素材のズボンという服装で、まるで上品そうなこの社会のどこにでもよくいそうなおばあさんのひとりとして――。
……幸か不幸か、と言うべきか、いや、……よかった、かな。
すこし、拍子抜けもしたけれど――ミサキさんは、今日もひとりだった。つまり、……ダックスフントの女の子は、連れていなかったのだ。
「あら、あらあらまあまあ。今日も会ったわねえ、こんにちは」
こんにちは――と社会人なら当然としての挨拶を返す余裕すらない、ただ、僕は力なく頭だけ振ったつもりだったけど、……でも傍目から見たらただ再びうなだれたようにしか見えなかっただろうか。
南美川さんは、もう、……ぴくりとも動かない。生きているのか確かめたくなるくらいで――でも、ミサキさんのいる前で南美川さんとそういったコミュニケーションをしようとするのは気が引けた。
「お隣、いいかしら? よっこいしょ……だなんてねえ、おばあさんになると、こんな言葉自然に出るようになっちゃって嫌だわあ。……少女時代なんかぜったいそんなこと言うもんか! とか思ってたのにねえ、うふふ」
……僕は、うなずきもなにもしなかったと思うのだが、ミサキさんは僕の反応なんかまるで気にしないみたいに、よっこいしょ、とベンチの隣に座ったのだ。……昨日とおなじ。昨日と、おなじ距離感。
……昨日だって。しんどかった。
知らないひとと、……いや、いまではその名は知っているけれど、昨日初対面のおばあさんと、しゃべって、しゃべって、……時を過ごした昼食の時間。
あんなに、ひとの話を聴くだなんて、やっぱり、……しんどいことなのだ。なんだか南美川さんともういちど出会ってから、……そんな機会が、増えているけれど。
でも、いまなら思うんだ。
あの三人組に出会ったあとの、いまなら。
ひととどうせしゃべらなければいけない機会なら、自分自身の、……僕自身のことを訊かれるよりは、そうして、……会話をしなければいけないよりは、いままで出会ってきたひとたちみたいに、自分勝手に、自分のことをべらべらとしゃべっているのを聴いていたほうが、よっぽど、まだ楽でまだマシなんだ、って――。
ミサキさんが、にゅうっと顔を覗き込んできた。……心配そうな顔ではあったけど、いきなりそんなことされたから、僕は……ちょっと、いやかなり身を引きたくなってしまったけど、かりにも社会人という資格ももつ者として堪えたのだった、……これ以上、社会人らしくないところを見せたくない、南美川さんにも、自分自身にも、そして、……この社会、Necoに対しても――。
「……あらあ。今日は、元気なさそうね?」
「……元気のある日というのは、僕には、……ほとんどないです……」
「あら、あらあらあ、そうなの……」
ミサキさんは、心配そうにぐっと顔を歪めた。……典型的な、年長者が、年下を心配するときのような顔、というよりポーズ、ほんとうになんてタイピカルでわかりやすい――。
「なにかお悩みがあったら、おばあさんが、聴いてあげるわよ?」
僕はこんどは唇を歪めたくなったのを、堪えた。
ああ。こんな短期間で、もう。――祖母気取りか。
どれだけ、孤独なんだ。同情ならばできるけど、……あいにく、僕には孫役を演じる余裕も、ない。
みんなほんとうに自分勝手だ。
この社会に生きるひとたちは、みんな、みんな。
さきほどの雑木林での三人組とのやりとりを思い返すと、僕は、唇を歪めきるかそうでなければ自分自身を心臓から抹殺するか衝動的にどちらかだけを選びたくなる――。
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