歩いてくる三人の若い女性

 雑木林の向こうから、歩いてくる人影がみっつ。

 それは、くすくす、とさざめくように笑う、若い女のひとたちだった。


 三人は。横に広がって。楽しそうに、歩いてきている。

 いや、よく見ると、髪の毛を金髪なんじゃないかってほどきらめく茶髪の染めた派手な雰囲気の女性がふたり横に並んで、その後ろに、そのふたりに比べるとまだ比較的落ち着いた、日本人形みたいに長い黒髪をもつ雰囲気の女性が俯き加減にしずしずと続いてくる――といった雰囲気になっている。


 しかし、仲が悪かったり、なにか上下関係というものがあったりというわけでもなさそうだ。その証拠に、前を歩く似た雰囲気のふたりは何度も何度も後ろを振り返り、黒髪の女性にしきりに話しかけたり笑いかけたりしている。まるで同意を求めるかのように。黒髪の女性はそのたびおっとりと笑う。それでいて、逆に前を行くふたりが媚びている――といった雰囲気も、感じられない。

 ぱっと見ただけでも、……ほんとうに仲のよさそうな三人だった。



 こういうことにばかり感付く自分が嫌になる。ひとがだれと仲がよかろうと、関係性に上下があろうとなかろうと、僕にはまったく関係ないことなのに、……ああ、これも高校時代の負債みたいなもんなんだ。教室で最底辺でいる時期が長いと自然と教室の人間関係がよく見えてくる。最底辺から見上げれば、底辺も、中間も、はるか高みも……一目瞭然だったりするのだ。だって、それくらいしかやることがない、それくらいしか、……過ごすときにおこなうことが許されない。

 それに教室内での人間関係を誤ったら大変なことになる。それこそ南美川幸奈をうまく立てねば――。




 びくん、と右手に大きな振動が伝わってきた。

 見ると、南美川さんがうつむいたまま震えていた。尻尾も、だらんと垂れている。僕は一瞬ぼんやりしてしまった。あれ。関係性を。人間関係が。教室で。教室においての。うまく、読まなくちゃ、南美川幸奈を――。





「……ああ、だから、違う」





 声にならないくらいに小さく低くつぶやいて、僕は後頭部に手をやってくしゃりと掴んだ、……だから、南美川幸奈は、……南美川さんは人犬になって僕のところにいるんだってば。いっしょに、暮らしている。ずいぶん、慣れた。いろんなことがあるけれど、楽しかったり、やっぱりこのひとは人間だと発見することもあって、――なにより僕なんかに身をゆだねて頼ってくれている。いまの南美川さんは、そうだ、そういう存在なんだ――わかっているのに、僕の心は、心だけはいつまでも、……あの時代に、あの教室に取り残されている。




 現実の南美川さんとここまで馴れ合っても、そればかりは、……ちっとも慣れやしないんだ。





 たぶん、いま南美川さんは脅えている。

 僕はもう、知っている。南美川さんは、……同年代の女性が、苦手だ。同年代、というか、……より厳密には人犬になったら人間社会上の制度しての年齢はなくなるけれど、……もし、南美川さんがそのまま順当に人間でいたら、おそらく同年代だったのだろうという――そういった女性が、すごく、苦手らしい。


 言葉として直接聞いたことはほとんどないけれどその態度を見ていれば一目瞭然だ、

 道とかでもすれ違うたびいつも肩をびくん、と跳ねさせる。首輪の鈴の小さな音を立てて、やたらびくびくして相手をうかがう――。





 ……南美川幸奈は、卑屈になった。

 そして、高校時代に比べれば、……たいそう、わかりやすくなってしまった。

 わかっている。それは当然のことだ。だって、人犬になった。人間未満だ。わかっている。――けれど。






 しかし、その事実は僕にいまだに、――こんなにも、割り切れない気持ちをもたらしてくる。

 わかっている。わかっているんだ。言い聞かせる。自分自身に。いや、これは南美川さんの問題なんだと。南美川幸奈というひとの、人間の、……いや、いまは人犬だけれども。いまだけのこと。いまだけのことじゃないか。このひとは、人間なんだ、人間で、卑屈でわかりやすくなってしまっても、南美川さんは、……南美川幸奈は、人間で、あれ、……あれ、でも、なにかが、なにかがおかしい――。





 そんな膨大に希釈したようなとりとめもない思考を続けているうちに、……次第に、あの三人組と接近していく。

 南美川さんの首輪の鈴がりりりんと激しく鳴った。脅えているのだ。脅えている。……僕はリードを、安心して、のシグナルの角度にちょっとだけ強く引っ張った。でも南美川さんからしたらもしかしたら思いやりとかに見えるかもしれない僕のこの行動だって、――あるいは、ただの反射なのかもしれない。人間として、そう振る舞わねばいけないから、そう教えられたからこその、条件反射――。

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