しゃべることさえ人間の特権

 その三人組は、なにかを探しているようだった。

 わーきゃー、わーきゃーと、明るくしゃべって、笑いあって、いったいなにを探しているのかときに辺りを指さしたりして。

 でもあくまでも、耳につかないほどの社会的配慮をもってして。あくまでも自分たちは騒いでいる若い女の子なんですよというポーズを楽しんでいるといった体で――つまり、適度に、はしゃいでいたのだ。


 ……南美川さんと同年代らしいということは当然僕とも同年代らしいということになる。

 あんなふうに、……適切なはしゃぎかたができるなんて、たぶん、あのひとたちは――さぞかし、きちんとした社会人なんだろう。社会人。社会に生き、社会に貢献して、社会の意味も価値も生み出していく重要な構成員の、立派なひとり。……僕なんかの、まがいものとは、まるで違いきちんとしたひとたちなんだろう――。



 だんだん、どんどん、距離が近づいてくる、……南美川さんの歩みも、……そして僕の気持ちも次第に弱くなっていく、

 ああ――これだけの、ことが。……たかだか同年代の社会人とすれ違うというただそれだけのことが――。




「見つからへんなあ」




 接近して、最初に聞き取れたのは、そのおっとりとした声だった。

 言葉が、関西のほうの響きだ――現代ではローカリゼーションの波は落ち着き、すくなくともNeco圏内では全国的な標準化がすさまじい流れで押し寄せているが、……でも、それであったって、なんの言葉を話すかなんてそのひとの勝手だ。

 ただし、もちろん現代社会では自由というものには条件がつきものだ。自由に方言――というより自分の好きな言葉でいつでもどこでもしゃべれるというのは、未成年であったら基準は緩いとはいえすくなくともある基準以上の社会評価ポイントを得ていなければ言語指導も入るし、成人になったら、もちろん社会に貢献し続けてある程度の社会評価ポイントを稼ぎ続ける――というのが、最低条件だ。



 ……旧時代ではそういうことはなかったようだけど、いまでは当然、言葉づかいというのも自由の範疇のひとつに数えられている。

 好きにしゃべることができるというのはある程度自立をして、なおかつ他者にまで貢献しているからこそ許される、ひとつの特権だ。そう、――それこそ峰岸くんやネネさんの煙草みたいに。煙草ほど、基準はキツくはないけれど――でも言葉というのもそういうもののひとつのカウントされる。それは、……当たり前のことだ。



 だからこそ、人間未満は、……南美川さんはある意味ラッキーで人間の言葉の発音ができる声帯を奪われなかったようだけど、でも、普通は、通常は、――声帯を焼かれたりなどしていじられる、人間の言葉がしゃべれないように、南美川さんだって声帯こそ焼かれなかったらしいけど、人間の言葉をしゃべるな生意気だと――なんども、酷い目にあったようだ。なんども、なんども、……社会では、人間の言葉をしゃべるなと、そういうふうに教え込まれたのだ。






 しゃべる、ということは、人間の権利だ。

 そこまでなら、僕だって素直に納得できる。……だって、それはそういうものだから。





 でも――しゃべるということは、……人間とみなされている者の特権だなんて、僕は、考えたことがいままでいちどでもあっただろうか。

 たぶん、なかった。……なかったよなあ。





 だからこそ、いまこれからまさしくすれ違う同年代の女性がふっと方言らしき言葉づかいをしていた、それだけのことで、……ああ、あのひとは社会人なんだな、人間なんだな、とかしみじみしてしまうんだし、そんなのは、……以前だったらありえなかったし……。

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