今日も、雑木林を進んで

 寒くて、つらくて、……泣きたいくらいの気持ちだろうに、

 南美川さんは、そんな気配も見せないまま、……ただ歯を食いしばって、一歩、一歩、……進んでいった。

 僕はリードをつかんで、……実際の位置としては目線の位置にさえこんなに違いがあるけれど、でも、心としてはせめておなじところで――そんな気持ちで隣を歩いていった。でも、それは、……あくまでも僕の立場からの気持ちだ、おんなじところだなんて――物理的にこんなに距離があれば、南美川さんのほうにしてみれば、……そうは、感じられないかもしれない。



 人権制限者のひとたちが体操をしている――させられているところを通り過ぎたから、次は、橋を渡って雑木林に。

 林のなかに入ると、すっと温度が一段階下がるのを感じる。もちろん、いまどきならNecoインフラの力を使って外さえ包括的に暖めることは可能なのだろうけど、たぶん、そうしてしまえば、……こういった公立公園のひとつのウリである自然感というのが、損なわれてしまうのだろう。


 とはいえ、かりにもNecoにかかわる仕事をしている僕は知ってる、……不自然に暖めることはしないかもしれないけど、ある一定温度を下回ったなら、その瞬間――Necoインフラは発動して、この雑木林を人間生命が脅かされない程度に、あっためていくのだということを。





 自然、不自然――近頃では社会はやたらそういったものを気にして、そして自然というものを大切にする。学校でも習った。新時代になってしばらくは、不自然ということがとてももてはやされていたんだって、人間はついに、科学文明、科学技術で好きなように生きられる時代になった、って――だから不自然というのは大事なことだったし、僕たちの親世代というのはとくにその傾向が強い。しかし、僕がひきこもり時代を終えて大学生として社会にかかわるようになったころから、急に、だから大学に入ったら急に――自然、ということもやっぱり必要なんじゃないかと、……みんながみんな、言い出したのだ。




『時代は繰り返すねえ。反動だ』




  Necoゼミの変人教授は、……そんなことを言って、唇を歪めて、やはり、笑っていた。

 つくづく、変な先生だったのだ――。






 ……しかし、このごろでは僕も強く思う。その先生とは、違った観点だろうけど。

 自然、不自然。はたして、それってなんだろう――って。





 ……不自然ということの重要性が社会全体にもたらされた結果、たとえば、ヒューマン・アニマルという存在さえ産んだなら。

 やはり、自然、というのは必要なことなのだろうか。





 でも、もし。……いまこの状況を自然そのままにするならば。

 僕は、どうすればいいかって考えると。

 当然、南美川さんのほうが人間であって、

 僕のほうが、人間未満になるべきだと思う。





 高校時代にそんなことはわかりきっていた。僕は、人間に値しないんだって。思い知らされた。悔しかったし、悲しかったし、絶望さえしたけど、でもその事実を僕に教えてくれた南美川さんたちには、変な話、感謝すらしているのだ。もちろん、嫌だった。大嫌いだった。恨んだ、憎んだ。でもそれは、南美川さんが教えてくれた、むかしのひとたちが災害とかのどうしようもない自然に直面すると、神に向かってどうしてですかと嘆いた、つまりはたとえるならばそういうことなのだ。

 殺せばどうにかなるのと、でもそんなことできるわけもなくて、死ねばいいと思った時期もあった。おそらくあれは最悪だった高校二年の夏から秋あたりのことだ。でも、僕はやがて悟ったのだ。南美川さんたちが悪いのではない。僕が悪いのだ。ほんとうは人間未満に値するのに、大きな顔して人間でいる僕が悪いんだってこと――。



 僕が人間未満になるのが自然、南美川さんが人間でいるのが自然。……では、この状況は親世代のひとたちがいまだに大好きな、不自然、ということなのだろうかと思うが、そうなると、不自然というのはよくないことなのかとか、そんなことを、漠然と、ぼんやりと、答えもないのに、――この雑木林を歩いていると、考えてしまうのだ。


 なにせ、こんな状況ではたいして会話もない。

 さくさく、ねちゃねちゃと。――お互いが、ただノルマとしての歩みを重ねていく音が響きわたるだけ。


 やっぱり寒くて、でも、人間が死なない程度には温度調整が可能なこの雑木林で――そういえば、そういう機能さえ、……人権制限者や人間未満の存在には、与えられないものなのだろうか。南美川さんに尋ねればそれはわかるだろうけど、でも、真正面に訊く勇気も、ない。




 つるつるの背中を見せて半ばうなだれて金髪を垂らして、黙々と進む南美川さんは、いったいなにを想ってなにを考えているのだろうか?




 ……自然、不自然。

 僕は、南美川さんというひとを、……目の前にいるこのひとひとりを、あたためることさえできない、だとか。不服に思ってしまうのは――Necoに語りかければ、また流れるような言葉で理路整然と説明なんかされて、しまうのだろうか。……だとしたら、もっとずっと、どうしようもない。

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