今日は、厳しい寒さで
……慣れてきたとはいえ、やっぱり、キツい。
いや、慣れれば慣れるほど――つらい、とも言えるのかもしれない。
……とくに、南美川さんにとっては。
一昨日と昨日の地獄を知っているから。そしていまはまだ、午前で。その苦しみは、歩ききらねばなくならないと知っているから。だから余計に、心は、……重たくなるのかもしれない。
寒く冷たいこの季節、
朝の早めの時間帯に公園にやって来て、必死で歩いて、歩いて歩いて歩き続けて歩くことだけして、昼にはほんのちょこっとの休憩を入れて、また歩いて、ひたすらに歩いて歩いて歩いて歩いて、身体が限界でも限界と言うことは許されない、……いや、正確には実際結果的に僕がそれを許さないかたちになってしまっているのだろうけれど、だって、南美川さんが人間に戻るためには、……それは協力者であるネネさんの課した義務でかならずやらねばいけないのだから、
だから、……結果的とはいえ僕の気持ちで、もしかしたら、……自己中心的な気持ちで、このひとは――短い人犬の手足で、靴も履けないから地面に直接、……這いつくばって、歩いていくほかないのだ、これからも、十日間以上、ずっと、……ずっとだ。
今日も晴れてはいたが、しかし、今日はとりわけ寒かった。
そういえば次第に、……冬も、深くなってきている。
なんだか毎日必死すぎてろくに季節なんか感じられなかったけど、たしかに、……時間も、季節も、動いているのだ。
……寒さは。
一昨日と昨日は、それでもまだ、マシだったんだけど。
今日は、まるで刃のような冷気になって、僕たちを、いや、――服も着れない南美川さんを突き刺す。
僕は、今日も黒ずくめの格好で、……べつにこれは真夏だろうとなんだろうと僕の格好の基本になっているけれど、でも、それでも――やはり、このひとに、とても申しわけないのだ。
……南美川さんは、寒いのだろう。
それは、そうだ。……手足の、ふさふさで肉球のあたりはまだよくても、それ以外のところは人間とおんなじで、とくに寒さや痛さを感じる神経をいじられたわけでもないのだ、だから、このひとは、……僕がぬくぬくと覆った肌で直接寒さを感じている。痛みにも似て、あるいはほとんど同質で――。
真冬の公園を、肌色の素肌を見せて進んでいく南美川さんの皮膚は、いちばん目につく背中をはじめ、……もう、真っ赤になっていた。
目を覆いたくなるほど――。
「……南美川さん」
歩きはじめて、二時間弱。午前十時を、ちょっと過ぎたところ。
まだお昼休憩には早かったけど、僕は歩みをいったん止めて、……不審そうにこちらを見上げてくる南美川さんに視線を合わせてしゃがみ込んだ。
「……寒いんじゃないの?」
南美川さんは困ったように眉根を寄せる。
「よかったら、僕のコート貸そうか、ほら、背中にでも載せるだけでも――」
りんりんりんりんりん。
激しく、鈴の音が鳴った。……南美川さんが、拒否したのだ。
その顔は僕を睨んでいた。
まるで、なにを言うの、とでもいって責めるかのように。
僕は思わず言いわけしてしまう――
「だって、……寒いじゃないか」
りんりんりんりんりんりんりん。
南美川さんは、なおも拒否して、……再び四つん這いで歩き出そうとする。
その、背中の素肌を、……厳しい冬の冷気に直接晒しながら。
こちらを見上げて、怒ったように、それでいてなにか懇願するかのように、わあう、と鳴いた――わたしは、犬だから。南美川さんはまるでそう言っているように見えた。犬だって。いいじゃないか。寒いときに、あたたかいものを被せてあげるだけ――でもそれはあくまで僕の論理で感覚で、気持ちであり、社会では、……ヒューマン・アニマルを人間として扱うことは、倒錯的だとみなされる。
いいじゃないか、それだって、それだって、寒いときくらい――でもたしかに社会は世間はそれを許さないのだった。僕は、そのことも、もうよく知ってしまっているのだった。……たとえばあの人権制限者のひとたちの管理者のひとたちにでも出くわしてしまったら、確実に怪訝な顔をされるだろう。どうして、犬にそんな倒錯的なことを、と社会の世間の正常な倫理観をもってして言われることだろう――だから。僕は、それ以上なにも言えなかったし、できなかった。
家のなかだったらまだ、自由だ。でも。……外というのは、そういうことだ。
そういうことなのだ。――人間未満には人間未満の扱いをするべきであり、人間扱いを、するべきではない。そういうこと。そういうことなんだろ。なあ? Neco――僕もずいぶん、社会のことがわかってきたんじゃないか。……そうやって、自慢したいくらいだった、それは、Necoに対して多少なりとも皮肉として響いたりはするのだろうか――。
このひとに、自分の衣服をかけてあげることも。
寒がっていたら、ちょっとでもあたたかくしてあげることも。
なにひとつ。……いま、このひとの孤独な寒さに対して、できることはないのだった。この社会に、世間に、高柱猫のつくった、……いや僕たちみんなでいまもつくり続けているこの圧倒的な正しさのなかにおいて――。
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