むかしを知る者との出会い

 おばあさんは腰こそちょっと曲がっていたけれど、それ以外はとても元気そうだった。

 杖をつきながらも、自力でぜんぜん立って歩いて、ときおり立ち止まってはふっと空を見上げる。



 そんなおばあさんが、ふっ、とこちらを見た。



「あら、あら、あら。お天気、いいわねえ。お散歩?」



 ……柔和な笑顔が印象的だけども。

 僕に話しかけているのだろうか。

 勘違いだったら、どうしよう。

 僕に向けられたはずではない言葉に、僕が返してしまう――高校時代だったら、その瞬間にアウトな行為だ。



「ねえ、ねえ、私も、お散歩していたらちょっと疲れてしまったわ。お隣に、座ってもいい?」



 ああ、これは僕に向けている――そのことがわかったから、はい、ととりあえずうなずいておいた。……いい? って尋ねられたって、断ることができるときなんて、僕はほとんどありはしないのだから。



「ありがとうねえ」



 おばあさんは、よっこいしょ、と右隣に座った。……僕は、さりげなく、身体を左がわにちょっとだけ、寄せた。

 ……僕の膝の上の南美川さんは心配そうに僕を見上げてくれている。



 白髪なんだろうけど、それよりは銀髪と言ったほうが近い、耳のあたりで思い切りよく切られた髪の毛。

 顔はさすがに皺だらけだけど、笑顔のかたちに細められた目と口のおかげで、老いの雰囲気をあまり感じさせない。

 杖をもち、服装は上品でありながらカジュアルだった。真っ白なワンピースみたいな服を上に着ていると思いきや、ズボンは茶色い柔らかそうな素材で、足もとも歩きやすそうなスニーカー。

 ……杖をついてでも公園を歩いていたってことなのだから、体力づくりの一環だろうか。それとも、単純に、良い趣味のひとつとして、とかだろうか。




「……お若いあなた、今日はお休み?」


 ああ、ほらみんな、――おんなじことを、訊いてくる。


「長期休暇中で……」

「あら、まあ、まあ、いいわねえ。……お仕事は、なにを?」

「いちおう、Necoプログラマーを……」

「まあ、まあ、そうなのねえ、――それは」


 それは……なんだと、いうのか。



 おばあさんは、妙な間を取った。

 ……そしてまた、なにごともなかったかのように、口を開いた。



「ねえ、そのワンちゃん。かわいいわねえ」

「……あ、その、……ありがとうございます……」


 そう言うほかに、……この手の言葉には、いったいどう返したらいいというのか。


「私もねえ、犬、飼ってるの。今日は、おうちに置いてきちゃったけど……明日にでも、連れてこようかしら?」

「毎日、ここに、来てるんですか」

「ええ。――老後の楽しみといったら、それくらいしかなくなっちゃった」


 ふふ、とまるであどけない少女のように笑うけど――老後の楽しみが公園の散歩くらいしかないって、どういうことなのか、僕には、……いまいちよくわからないんだけど。




 おばあさんは、空を見上げた。……今日も、煙ったように、晴れている。



「……若いひとにとっては、ネコさんなんていうのも、遠い、遠い存在なんでしょうね」

「……それは、どういう……」

「私たちにとっては、ネコさんっていうのはアイドルだったから。……この世を革命しに来た、革命者だった。そして、救世主だった」



 比喩でも、おおげさでもなんでもないのよ。……おばあさんは、そうつぶやいた。



 僕は、黙っていた。むかしを、ただ、懐かしんでいるだけのひと。

 しかもそれを、初対面の、どころか名前も素性も知りもしない、ただ偶然公園で出会ったはずの、僕のような相手に話してしまうような、……そんな状況で。

 こんなときに言う言葉など、欠片も持ち合わせてはいなかった、だって、――僕の存在なんてそこにいてもいなくても、おんなじだから。



「……ねえ、それにしても」



 おばあさんはふいに空を見上げるのをやめ、僕のほうをぐりんと再び見た。



「あなた、犬を、甘やかしすぎじゃない?」

「……そうでしょうか……」

「ええ。――犬なんて地べたに這わせとけばいいのよ」



 おばあさんは、ぴっかりと、やっぱり柔和に微笑んでいた。



「犬は、そういう生き物なんですからね」



 ――その目の奥だけが、やたらとぎらついていた、……なんで?

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