ネコさんは、アイドル
おばあさんは、なおもおしゃべりを続ける。
「私もね、犬をね、飼ってますけどね」
「……普通の犬ですか、それとも、ヒューマン・アニマルですか……」
「やあだ、あなた、ダックスフンドよ。女の子でね、かわいいの」
それだけでは、種としての犬のダックスフンドなのか、それともダックスフンドモデルの人犬なのか――わからない。
……実際、柴犬モデルに改造された南美川さんは、柴犬と形容したって差し支えはないのだし――。
「でもね、そんなふうにね、人間様とおなじふうには扱わないわよ」
「……そうなんですか……」
「まあ、まあ、そうよお、――だってどこまでも付け上がってわがままになるじゃない!」
おばあさんは、カラカラ、と楽しそうに笑った。
それは、歳のわりに無邪気で、無邪気すぎるほどで――僕は、ただ単純にぞっとした。
「……ごはんだってね、かならずうちでは、人間様と犬は別々に分けてます。だからねお若いあなた。そんなふうに膝に置いて、人間の赤ちゃんにするみたいに、食べさせてしまっては駄目よお、――いつかかならず付け上がるわ」
ぎらっ、と再び光ったような気がするその視線に。
……僕は、思わず南美川さんの頭を掴んで、胸に寄せた。
南美川さんはといえば、すっかり脅えて目を見開いている。――その瞳から涙が溢れるのも、これでは、時間の限界だ。
ほんとうは、言いたい。
そんなこと、ないですよって。
それに、なにより、南美川さんは、このひとは――ほんとうは人間ですから、って。
真正面から、言いたい。
……でも、それなのに、そのくせ、僕ができることといったら。
ただ、か弱な声で。
「……そう、ですか……」
そんな、当たり障りもなにもない、相槌を打つことだけだった。
空は、やっぱり、青いまま。……大きな変化も、なにもないまま。
「……ねえ、ねえ、お若いかた。人工知能としての、ネコさんって――どんな感じなの?」
「え? あの……どんな感じ、とは?」
「やっぱり、私たちの世代がみんな知っている通り――お茶目さんなのかしら?」
……お茶目さん?
……おばあさんたちの世代が、みんな知っている通り?
「……ああ、はい、……なんか、ちょっとふざけてるようなところはあるなって、対話的にプログラミングしていても、思いますけど……」
「ああ、やっぱり! ネコさんは人工知能として自己を保存してもやっぱり自分をお保ちになっているのだわっ」
きゃっ、と短く甲高い声をあげると、その皺くちゃの手を、これまた皺のある両方の頬に当てる。
……ほんとうに、まるで、無邪気な少女のように。
「なかなかねえ、普段生活していると、人工知能Necoのお仕事をしているひとになんてねえ、出会わないから。新鮮だわあ」
「そんなもん、でしょうか……」
「そうよお。――だってそんなのはここ二十年とか、三十年くらいの、新しいお仕事じゃない!」
まあ、それも、……そうか。
「あの。おばあさんは……」
「ミサキっていうの。どうぞミサキって呼んでちょうだい」
「はあ、じゃあ、……ミサキさん」
名字なのか、名前なのかすら、それともそのどちらでもない何らかの呼称なのかさえ、……わからないけれど。
「ミサキさんは……ネコのことが、その、……好きなんですか」
好き――その言葉で、よかっただろうか。適切だっただろうか。
自信がまたなくてうつむけば、前髪が視界にかかるだけではない、
……南美川さんが、ただじっと、どんぐりのような眼を見開いて僕をじっと見上げている。
「……ええ。ネコさんのことなら、好きよ」
その言葉の、響きも。
顔を上げてみれば、そうつぶやくように言うその横顔も。
どちらも、歳相応の、僕なんかにはまだはかり知れない経験をしてきた、老いていてなお、いやそれだからこそ美しい女性、
まるで芸術品にでも対する、かのように。そんな、迫力を、一瞬で感じた――さきほどのあどけない少女のような印象からあっというまにこんな雰囲気を醸し出せることに、ますますぞっとしてしまうくらいには。
「私たちの世代で、ネコさんが嫌いなひとなんていないんじゃないかしら」
おばあさんは、続けて、つぶやいた。
僕は、南美川さんを抱き寄せなおした。……どこかでチュン、と機械鳥がかわいらしく鳴いた。
……ネコさんは、ほんとうに、私たちにとっての、アイドルだった。
そう、文字通り。あのひとについていけば――きっと、社会も、世界も、なにもかも、よくなるんだって……思わせてくれたのよ。
おばあさんは、そう、つぶやいた。
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