僕たちは歩き続けなければならない

 今日は、うららかだ。

 真冬の厳しさを一瞬忘れさせてくれそうなほど。



 空は青く、川は流れて、機械鳥きかいどりは楽しそうにさえずる。

 全き人権をもつひとびとは平日の昼間からゆったりと公園レジャーを楽しみ、中途半端な人権しかもたないひとびとはあちこちで公的訓練を受け、動物や、人間未満は、人間に連れられて散歩をしたり、あるいは荷物を運ぶなどの使役労働をしている。



 淡い水色の空――薄く雲があって、晴れわたってるわけでもない、かといって分厚い雲に覆われている暗い天気でもない。

 ただ、ぼんやりとした空だ。

 ……なにも考えずずっと見上げるには適している空だ。



 ……人間の子どもがはしゃぐ声と、人権制限者への怒声と、どこかで動物かあるいは人間未満が泣き叫ぶように呻く声が、ミックスされて結果的に公園の音となっている。あたたかい風に乗って届いてくるそれらを聴いていると、……妙な気持ちになって、僕は目を閉じた。

 なんでだろう――以前はそんなのは気にならなかったはず。人権制限者が怒鳴られることも、人間に満たないとされる存在が呻くことも、そういうものなんだとずっと思っていた。だから以前の僕だったらきっと素直に、今日はうららかな日でこの公園は平和だなあ……と感じていたはずなんだ。たぶん耳に届いていたのは子どもたちがはしゃぐ声だけ。

 それなのに。――いま、こんなにも気になる。



 ……考えてみればおかしな話だ。矛盾している。僕自身が人間に満たないということは高校時代であんなにさんざん自覚したはずなのに、実際の社会に居る人間以下や人間未満のひとたち、具体的な、ひとりひとりということにかんしては、そこまで思いを馳せなかった。単に赤ん坊や動物と等しい存在なんだと感じて、深く考えもしなかった。

 僕も、ほんとうはそっちがわなのに。


 僕は、やっぱり、鈍い。

 ……南美川さんがこうなってみてやっと気がつきはじめるだなんて。



 はっきりと目覚めてはいるのに夢のなかにいるような心地だ。

 このまま、なにも考えていたくない。なにごとも深く考えていたくない、いまは。



 ……僕はどのくらい物思いに耽っていたのだろうか。



「……シュン……?」



 南美川さんが不安そうに見上げてくる。尻尾をこわごわ揺らしている。外でこうやってリードを握って散歩をしていると、距離はますます遠い。目線もだし、立場としても、はてしなく遠くにいるような気分になる。……南美川さんが、ただの犬みたいに見えるときもある。

 そこまで思って、首を激しく横に振った――無理やりにでも、笑顔をつくった。このひとの目に、なるべく優しく見えるように。



「そろそろ、行こうか。……行ける?」

「……うん……」



 南美川さんはどこか切なそうに、でも健気に笑ってこくりと縦にうなずいた。



 ……いままで歩いたぶんで、きっともう疲れているのだ。

 ほんとうは、身体のあちこちが痛むはずだ。鈍く、そのくせ激しく、じんじんと。たまに休憩するくらいではほんとは足りない。

 もう、歩きたくない。身体はすでに限界近くまで疲弊しきっていたって、おかしくないはず。


 でも、――ネネさんに言われている歩数ノルマを毎日毎日こなさなくてはならない。そうしなければ……あの科学者のひとは、南美川さんを人間に戻す手伝いをもう二度としてくれなくなる。希望が、どこにあるかわからなくなる。どこに縋ればいいのか、わからなくなるから――。




 ……散歩、一日め。

 まだ、初日。

 まるまる二週間、十四日間なんかも――南美川さんは、……いや僕たちは、散歩を続けるなんてことができるのか。

 まだ歩きはじめて二時間くらいだけどすでに南美川さんはへばっている。ノルマ歩数はまだ半分程度。ここからまたさらに最低でも二時間は歩かなければならない。それに後半はペースも落ちてくるから単純に二倍というわけにはいかないかもしれない。それでも、それでも――僕たちは、南美川さんは、歩き続けなければならないのだ。もう歩きたくないと身体も心も悲鳴を上げたとしたって、……僕は、南美川さんをその白い首につけた赤い首輪から直接的につながるリードによって、つねに歩かせ続けなければならない、……つねに。

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