朝のお風呂のほんとうのところ

 歯磨きを終えたら、次は南美川さんをお風呂に入れた。

 ほんとうは夜にそうしてしまえばいいのだろうけど、夜は相変わらずふたりでの切りのない酒盛りが続くということ、そしてそれ以上に、……なんだか、最近、夜にやるべきことをやるのが、億劫でならない。

 たいていのことは、明日あしたでいいや――って先延ばしになってしまうのだ。どうせ、会社が、……あるわけでもなし。誰かとの約束が、あるわけでもなし――。



 そういうわけで、今日も今日とて朝に南美川さんをお風呂に入れる。僕も入る時間が起き抜けのタイミングで、ということになってしまっているわけだけど――。


 順番的には、僕の前に南美川さん。

 南美川さんは、洗ってあげなくっちゃいけないからね。

 相変わらず黒い服を着たままの僕が鏡に映ると、まるで変な生き物のようで――こんな存在に身体を委ねて洗われなければいけない南美川さんに、あらためて、……同情するのだ。

 それがどんな意味をもつかわかっていても。

 それがどんなに残酷で、人間どうしとして失礼なことか、わかっていても。



 会話は、ほとんどなかった。

 南美川さんももう、……恥じらう様子さえほとんどない。


 お風呂の床に不自由な身体で横たわって、

 僕が言葉で指示する前にだってもう素早く、くるりと身体の向きを変えて、横向きでも、うつぶせでも、……家に来たばかりのころは泣くほど嫌がっていたあおむけの格好だって、もう平然とやってみせる。

 そして僕もいつのまにか、このひとの裸に慣れてきてしまっていて――まるで単なる作業のように、胸も、下半身も、どこでも、洗えるようになってきてしまった。……洗い残すとあとで痒そうでかわいそうなのだ、とくに……下半身とかは。



 ごしごしと、スポンジを強めに動かす音だけが、風呂場に反響している。



 ……ただ、漠然と思うのだ。

 思うだけ。考えているわけではないから、ただただ頭に浮かんでは消えるだけのこと。



 僕は南美川さんの裸を見たらもっと男性的に興奮するべきなんじゃないのか。

 いや、最初は実際そうだったし。今でも、……魅力的だ、とは思う。


 ただ、あのときみたいに溢れ出す欲望を必死でせき止める、みたいなことはほとんどなくなってきている。


 仰向けで、犬のこうさんのポーズをちゃんと取って、肉球の手足をちょこんと丸めて、尻尾をくるんとお尻のあいだにしまって、

 僕に洗われて、ちょっと口を開けて、全身を濡らして、

 僕を、僕だけを見上げてくるこのひとに、



 あんなに焦がれた南美川幸奈が目の前にいるということに、




 僕は――いつのまにか、慣れてきてしまっている。

 そして、それはたぶん、……南美川さんも。

 ああ、だって、もう……悔しそうな顔さえ、ほとんどしないじゃないか。ただ、淡々と、日々のこととして僕に面倒を見られしまって――。



 このままで、いいのか――って。

 僕が。そして、……気高いはずのこのひとが、南美川幸奈が。





 このままで、いいのか。





「……はい、終わったよ、南美川さん」


 洗い終えた南美川さんを、ぐしゃぐしゃとバスタオルで包み込むように拭く。


「うん、シュン……ありがとう……。シュンは、このまま自分でもお風呂に入るのね」

「ああ、そうするつもりだ」

「じゃあ、わたし、ひと足先に出て、……ちゃんとごろごろして毛皮の水を落として……そのあとは、そのあとはね、えっと、……そうだわ、ゴミがあれば片づけとく……」

「いいよ、大変だろ、そんなの」

「お口でくわえればできるもの……」



 いいよそんなことやらなくて、と繰り返して言ったのだが――南美川さんはちょっと哀しそうに微笑んで耳を垂らしただけで、てくてくと風呂場を出て行ってしまった。

 あの調子では、……ほんとうに、そうするな。





 ……服を脱いで、今度は自分の番。

 シャワーのスイッチをひねって、キュッと鳴るをやけに大きく聞いて――そして、お湯を浴びながら。



 このごろ、毎日思っている。

 これで、いいのか。このままで、いいのか。





 シャアー……と、責め立てるように水が細切れとなって流れてくる。





 僕と、南美川さんに、未来は、あるのか。

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