合図

 姉ちゃんはしばらく南美川さんをじっと見ていた。

 見上げる南美川さんも、じっと臆さない。



 やがて姉ちゃんはため息をついた。



「なんか、あんた、ふしぎな子だね。人犬のはずなのに……変な迫力が、ある。そもそも、……どうしてこんなにしゃべってしまうんだろうか。初対面なのに」



 はあ、としみじみしたため息が、もうひとつ。



「……いじめられていたというわけじゃないんだよ。たぶん」


 自分から言っておいて、姉ちゃんは、しぶしぶといった雰囲気を全身にまとっていた。


「ただ、次の授業がどこか聞いても無視されたり、なにか動くたびにくすくす笑われたり、……成績を馬鹿にされたことがあるだけ」


 ああ、僕にも覚えがある。最後のなんか――とくに。


「でも、粘着質じゃなかったし、危害を加えられたことはほとんどない。でも、あのときは、……いじめられてる、って感じてたな。


 華やかな優秀者たちの子は、あたしみたいな冴えないやつには興味がないだろ。だから。ただ、単に、……いないものとして扱われていただけだ。それをいじめと呼ぶのかどうかは、よくわからない。けど、……そう感じるひともいるんだろうなって思うくらいには、軽視はされてきたけど」

「……え、でも姉ちゃんは、バスケットボールのチームメンバーとは仲がよくて……」



「そうだね。あたしには、バスケのメンバーがいた。そのことだけが、よかったよね。スポーツを通じて社会性を育む。社会参画しゃかいさんかくをしているということで、多少なりとも社会評価ポイントを稼ぐ。あたしのチームメンバーたちは、もともとがそんなにパッとしなくてバスケに社会相対ポイントを期待していたやつらばっかりだったからさあ――」



 言われてみれば、継続的にコミュニティに所属するたぐいのスポーツは、たしかに、そういう側面もある。……つまり最低限の社会性を有してますよ、と社会にアピールするような役割を担う側面。社会評価ポイントのボーナスを、多少なりとも期待できるようになる側面。そりゃそうだ、……僕だって、実質そのためだけに運転免許を取った。



「南美川さんも、いじめをしていたということは、さぞ優秀者だったんだろ」



 南美川さんは顔を上げていた。

 ……そして、恥じらうように、そっとうつむいて僕の腕のなかでもぞもぞした。



「……うん……」



 南美川さんの頬に手の甲を当てると、……恥じらいのせいか、熱くなっている。

 優秀者であったことへの恥じらい。――変な話も、あるものだ。



「……ほんとうに、なんでこんなにしゃべってしまうんだろうか……」



 姉は、困惑しているようだった。そりゃまあ、さきほどの僕おいてけぼりの、僕はほんとうはこういう人間なんだうんぬんのやりとりも入れるなら――姉は、南美川さんとすでにそうとうしゃべっている。

 ……姉は無口なタイプだと思っていたから僕だってびっくりしたのだった。



「……お姉さんはもしかして、お友達が、ほしかったのかしら」



 南美川さんは、尻尾をぱたんといちど振った。――お友達?



「……お友達がいるのなら、わたしなんかにおしゃべりしてしまうくらいなら、ほかのだれかに話せばいいんだわ……」

「――なるほど、そういう価値観なわけね。友達がいれば幸福だって価値観か。無意識にいま押しつけたね」



 姉は、皮肉っぽく唇を歪めた。



「……たぶんアンタみたいな優秀者がいじめをするんだね。あたし、ちょっとわかったよ。弱い者いじめだ……」



 そして南美川さんを臆することなく見つめる。――バスケットボールを見つめるときの眼差しで。



「……あなたにとってはあたしなんかの言葉なんてどうでもいいのかもしれないよね。それに、すでに人間ではないあなたにこんなことを言うのも、ぶつけるのも、自分がおかしいって思う。でも、あたしはもともとどっかおかしいんだよ。古い機械人形のだいじなネジが数本抜けてるみたいなもう取り返しようのない人間」



 だから言うよ、という言葉は――体育館にピッと響きわたる笛の音を思い起こさせた。試合開始、あるいは終了の合図。



「南美川さん、あたしはあなたを、ゆるさない」



 ああ、姉ちゃん、……そんなこと。



「優秀で、いじめをして、しかもその相手がうちの弟だったあなたを、今後ゆるしはしないだろう」



 ――そんなことを、南美川さんに言わないで。

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