あなた、どちらさま?

「シュンは、シュンはねっ、ひとのことを愛せないひとなんかじゃないんだから!」



 南美川さんは、姉に向かって吠えた。いや、違う――叫んで、そう言ったのだった。

 尻尾を、硬くさせて。言葉は、人間のもので。人間らしく。――ひとをぎょっとさせるようなことを。



「それに、シュンはひとのことを理解できないわけじゃないのよ! 理解しようとしている。しているの。シュンなりに、がんばって……最初から諦めているわけじゃないもの!」



 僕も、たぶん姉ちゃんも、唐突にしゃべり出した南美川さんの言葉を呆然として聞いてるしかない。



「シュンは、マシな人生なんて選ばない! そんなぬくぬくしたところで生きてくようなひととは違うのよ! マシな、……マシな人生を選ぶようなひとなら、とっくにわたしを犯してる――!」

「南美川さん、言い方」



 しまった、一周回って冷静そうな雰囲気で突っ込んでしまった。

 歯を剥き出しにするほど真剣に、僕をかばってくれるのはとても嬉しいのだけど……その言い方は完全に姉に誤解を招く。



 当の姉はといえばやはりポカンとしていた。

 まるでバケモノでも見るかのように、少し口を開けて南美川さんをあからさまに指さして――。


「……え、シュン、その子。なに?」

「えーっと、なんて言ったらいいのかな……」



 僕は後頭部の髪の毛を一気に掴んだ。

 ごまかすことは、まだぎりぎり可能かもしれない。声帯を加工されないヒューマン・アニマルもいるという。南美川さん以外にも。だから、そういうタイプなんだよということにすれば、まだ押し通せるのかもしれない。




 でも――。




 そして、僕の逡巡よりも、南美川さんの告白は早かった。




「わたし、わたしねっ、シュンをいじめたの」



 僕がいつまでもぐじぐじ悩んでいそうな、それこそタイミングを逃したら永遠に先延ばしにしそうなハードルを、南美川さんは――ああ、こうやって、やすやすと越えていくんだ。その後先を考えず、なんと危険で、……身軽なありさま。



「それで、……それでねっ、犬になっちゃって」



 いや、まあ、そういうわけでもないが、……うん。いまは、黙っておこう。南美川さんが、しゃべっているのだ――姉に。



「でも、シュンが、拾ってくれたの。捨て犬のわたしを拾ってくれたの」



 南美川さん、……そんなふうに、感じていたのか。



「シュンは、不器用だけど、ひとのことを愛せるし、理解しようとするひとだわ。シュンのこと、決めつけないでほしい。……あなたがいくらシュンのお姉ちゃんでも!」



 決めつけないで、のところで声が震えたのは、もしかしたら――南美川さん自身が高校時代僕のことを決めつけていたからなのかな、そのことを思い出してくれたのかな、……そうだといいなと、臆病で弱い僕はちょっとそう思った。





 姉は完全に困ったようにこっちを見た。下唇を噛む犬歯がちょっと剥き出しになっている。……珍しい。姉ちゃんは、ほんとうに困ったときしかこの顔をしない――。



 姉は、そろそろと様子をうかがうように南美川さんに語りかける。



「……それでさ、あの。熱く語ってくれたところ、申し訳ないんだけどね」



 姉は、顔をしかめた。ぎゅっと。……その癖は、たぶん僕にもある。



「あなた、どちらさま?」



 ああ。姉が。南美川さんを――人間だと認識した。

 一気にぎこちなさが増した雰囲気も、そのことを物語っている。

 表情は妙にシワが寄り、手足は緊張を隠し切れずそわそわしているようだ。




 ……でも。

 ちょっと、意外だった。

 姉は、こういうとき。ヒューマン・アニマルはあくまで動物だっていう常識には、惑わされないんだな――人間未満が素材だから、知能も情緒も動物そのものだっていうことに、常識ではなっているはず……なんだけども。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る