虚しさ

 ……まるで姉ちゃんからのコンタクトなどほんとうになかったかのように、過ごす。




 南美川さんは、あれもかわいい、これもかわいいとモニター上の洋服を見ていった。そうやってお気に入りの服が何着かできたあたりで、……日は、ゆっくりと、しかし確実に暮れていった。



 ……ちなみにそのあいだも、尋ねて必要があるときにはトイレには素直に行ってくれた。すくなくともきょうは、そんなには拗ねずに。

 南美川さんのソレは人間用のトイレの隅に置いてあって、……そこにしておいてくれれば、あとは僕が便器に流すだけで済むように、なっている。戻ってくれば、……僕がペーパーでお尻や、その……そういうところに付着した汚れは、拭き取ってあげるのだし。


 最初は拒否して大変だった。そんなの面倒見てもらうなんてやだ、と喚いたときもあった。けど、最初よりは慣れたのだろう。あるいは、我慢すればけっきょく漏らしておしまいだということも学んだのだろう。いまでは、素直にトイレに行って、出てくれば素直にこっちを見上げてくれる。だから、僕も迅速にペーパーを手に取って拭いてあげることができる。

 それでも、そういうときには、……こっちが情けなくなるくらいの恥ずかしそうな顔を、しているけれど。

 いっそ、睨む表情にも似て。


 けど、仕方ない。――そういえば僕がいないときには、南美川さんは痒い思いをしていたはずだ……。



「ねえ、でもシュン、わたしお洋服なんて着てもいいのかな……?」

「いいよ、駄目なんてことないよ、僕が買ってあげるし。あ、……そうじゃなくても、あなたの稼いだネイルのお金があるだろう」


 病院から戻ってきて僕の休暇がはじまるのと同時に、南美川さんはネイルデザインの中流工程のお仕事の続きをはじめた。

 たしかにその、……微々たるというか、おこづかい程度の収入ではあるけれど、でも、いまのところ稼げてはいる。

 オープンネットで売ることができるのだ。南美川さんのつくったネイルデザインは、……無数にあるパターンの一部として、ネイルデザイン専門の人工知能が学習して取り込む手筈だ。そのさいに、収入と社会評価ポイントが振り込まれる。

 ……じっさいにつくっているのは南美川さんでも、売っているのは僕の名義だ。だから、ほんらいは南美川さんに入るべき社会評価ポイントは結果的に僕に流れてくる――そちらはたとえ微々たるものだとしても、なんだかいつも、……申しわけない。


 でも、まあ、とにかくそのお金で服くらいなら買えるだろう――そんなにとんでもなく高価なブランド品とかでなかったら。



 ……ここ数日は、南美川さんにあげた黒縁の眼鏡型ポインティングデバイスもほったらかしにされて、ぜんぜんネイルデザインのお仕事をやってないようだけど。

 飽きてしまったのだろうか。それとも、ゲームとかで遊ぶのが楽しくて?



 だから、気軽な気持ちで言ってみたのだ。



「さいきんネイルデザインのお仕事、してないよね。それをすればこういう……ほら、さっきから南美川さんが見てるようなレースとかフリルとかのついた高級な服も、余裕で買えると思うんだけどなあ……あ、もちろん僕がこのくらいなら買ってあげてもいいんだけど。せっかく買うなら、南美川さんが自分で稼いだお金だと気持ちいいんじゃないかなあ、それだけの力があなたにはあるはずなんだし、自立志向だし――」



 ……南美川さんは、こっちをふしぎそうな目で見ていた。

 そして、なにかを諦めたように、……しっとりと、微笑んだ。



「……あれね、もういいの」

「え? なんで? 飽きちゃった?」

「飽きちゃった、っていうよりね」




 両方の目を、逆さの三日月とおなじかたちにする。

 ……きゅっ、と。あるいは、ぎゅっ、と。

 笑顔に似ているはずなのに、どこか苦しそうに――。




「どれだけデザインしたところで、わたしの身体じゃ、ネイルなんかできないんだもの。……このふにふにの肉球のおてて。

 そう思ったらね、……虚しくなってきちゃって。だから、もういいの。せっかくなのに、ごめんね、シュン」





 ああ、――そうか。





 僕は後頭部の髪を強く掴んでいた――南美川さんは、……いや、南美川さんの権利と身体には、限界がありすぎる。

 ほんとうは人間のはずのひとなのに、こうやっていちいち生活の細部に至るまで自立もなにもできやしない――。

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