なんの用?
……いや、ほんとうに、なんの用だ。
いまさら弟としゃべりたくなりましただなんて――まさか、そんなわけがないのだから。
姉ちゃんとはもう、ずっと何年も、……会話らしい会話なんてしていない。
実家にときたま顔を出しても、僕を気遣ってしゃべってきてくれるのは母さんだけみたいなもんで、父さんは必要最低限しか居間にいないし、海はしゃべりこそすれど僕に話題を向けることはほとんどなく母さんと姉ちゃんにあれこれ勝手なことを、僕なんかまるで関係ないいつもの日常のことをおそらくはいつも通りにしゃべるだけ、
そしてそんななかでも姉ちゃんは――僕の目さえまともに見てこない。
そういう、距離感の、……きょうだいなのに。僕たちは。
だから台所で立ち尽くしたまま困惑でいっぱいの僕に、追加のテキストメッセージが送られてくる――空姉ちゃんから。
『通話出れる?』
『無理です』
無理ではなかったけど、即座にそう返していた。
『いや出てよ』
『いや無理ですごめんなさい』
……べつに、無理では、ないんだけどさ。
休暇中だし、自宅だし。ぜったい無理ではないけども、けど――。
『用件なんだけど?』
『それはわかってます』
『じゃあ出てよ』
『ちょっと今ほんと無理です申し訳ございません』
『じゃあいつならいいですか』
――ずっと、なんて答えたら、それこそもっと強制力の高い手段でコンタクトを取ってきそうだ。
僕は、スマホを握り締めた。……このまま握りつぶせてしまえたら、楽なのにな……。
ほんのなんどかだけど子どものころに姉ちゃんのバスケットボールの試合を見に行ったことがある――母さんと海はきゃあきゃあ応援していたけど、僕はコートを駆け回るバスケユニフォームの姉ちゃんを見て、心底ぞっとした。
姉ちゃんは、貪欲だった。
ボールを取ることに対して、そしてなにより、――勝利に対して。
背丈も手足もすらりと高く、細身の姉ちゃん。
ちょっと骨ばった身体に、それなりに鍛えた筋肉をもつ姉ちゃん。
笑顔をあまり見せず、写真を撮るときだけだけ見せる笑顔もどきが下手な姉ちゃん。
口数も多いほうではなく、どちらかというとおとなしめで。
そのくせ、――そうやってボールを追いかけているときには、あんなにもおとなしくない。
弟の立場で言うのも、なんだけど――獰猛で、無駄に果敢で……歯も剥き出しになってギリリとボールを諦めないから、野獣のようにも見えたのだ。
子どものころから、ずっとそんな感じだった。
そう。姉ちゃんは、おとなしいくせに。口数も少なくて、ふだんは醒めた目で一瞥するだけのような、ひとなのに。
ほんとうに、求めるもの。あるいは、必要なものを手に入れるためなら。
手段を、選ばない。
厭わない。
バスケットボールを得ることだけを第一に動くマシンのごとく、あらゆるメソッドもリソースもコストも厭わない――自分の姉には、……そんな怖い一面があると、僕は、知ってしまっているのだ――。
……そして、姉ちゃんが求めるもの、必要としているものといえば。
それも、知っている。僕は。……すくなくとも、ひとつは。巨大なものを。
家族、だ。
いや。正確にはたぶん、姉ちゃんにとって意味と価値のある存在は、母さんと、そしてなにより海なんだ――。
だから、たぶんいま。
姉ちゃんは、おそらくは海たちに関連するなんらかの必要性に駆られて、ボールを取りに行くごとく、野獣がエモノを捕らえにかかるかのごとく、……僕に、コンタクトを取ってきている。
……僕は。
姉ちゃんに、廊下ですれ違いざまに舌打ちをされたことを、忘れない。
それは、だって。
いつでもわがまま放題で自分の感情に素直すぎる海とは違い、元来けっして過剰にエモーショナリィというわけではない姉ちゃんが、――僕に対して見せた、感情的態度だったから。
――アンタを軽蔑するよ。
そんな声が音はなくとも聞こえてくる、そんな判断をされていると知っていたのだから――。
僕は、そのまま立ち尽くしていた。
いつなら、通話ができるのか?
……わからない。
わからない、なにも。
だって、僕は、姉ちゃんと、通話なんて、したくない。
そのまま、……そのまま立ち尽くしている。
追加のメッセージが来るかなと思った。……そもそも、なんの用件なのかさえ聞いてないけど。
でも、一分して、二分して、五分しても、あとはそのままメッセンジャーには動きがなかった。
「……シューンー……? まだなの、戻ってこないの……?」
ああ。ほら。南美川さんが、呼んでいる。――鳴いている。
僕はふらふらとした気持ちで、スマホデバイスの電源をシャットダウンした。そして、なにごともなかったかのように部屋に戻り、南美川さんを膝に載せ、いつもの、あたたかくも怠惰な午後のひとときを過ごしはじめた――。
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