硬度を変えてゆく犬の耳
僕は気を取り直して、いや、……どうにか気を強く持って、
一枚のバスタオルの上にお座りしたらすべて収まってしまう南美川さんの全身を、あらためてよく拭いてあげた。
……もう、南美川さんは、僕に全身を拭かれることにまったく抵抗しない。
どころかこちらに背中を向けた体勢で、尻尾をぱたぱたと気持ちよさそうに振ってくれる……ときおりこっちを見上げて嬉しそうに微笑む。かわいい。ほんとうにかわいい。ごめん。南美川さん。――こんなことを思う僕をほんとうに、ゆるしてほしい。
……背中は、人間のときのままつるつるだから、慣れてきたとはいえいつも――妙な気持ちには、なる。
犬の毛のところも含めて身体をほとんど拭き終えたら、南美川さんはぶるぶるっと頭を振った。
まだ髪の毛には残っている水分が、あたりに散らばる。……ほとんどがバスタオルの上で拾えてしまうから、ぜんぜんセーフなんだけど。
これから僕がドライヤーでちゃんと乾かしてあげるし、そのことは南美川さんも僕との生活のなかでもうすでに知ってくれてるはずだけど……でも、濡れているとき、南美川さんが身体や頭を振って水分を飛ばす癖はなかなか直らないし、直せないし、……そもそもが、直せるものであるのかどうか。
具体的には僕も知らない、調教されるがわとしての調教施設での経験――もし無理やり、……冷たく濡らされるようなことがあったとするなら、それは、犬なら、身体や頭をできるかぎり振って水分を落とすのは……とても犬らしいことだし、きっと犬には必要なことだし、……南美川さんは犬ではないけど、犬になるようにそこで犬として扱われてきたのだから――。
……いや、まあ。
僕もね。濡らされたことは、あったけど。よく、あったけど……あなたたちに。
でも僕は、犬としてではなくいちおうは人間として、というよりは人権をもたない人間未満の生きものとしてのヒトみたいな感じで、まあつまり奴隷的にだよね、そうやって扱われてたから――ヒューマン・アニマルごっこをさせられたときでもなければ、そうやって身体や頭を振って水分を落とす癖というのは、……どうやら身に着かなかったようだ。
ドライヤーを持ち出してきた。……壁の、南美川さんのお散歩道具の隣にいつも掛けてある。
本体の色は、南美川さんの気に入った、明るいピンクだ。……サーモンピンクっていうのよなんて、南美川さんは教えてくれたけど。
ドライヤーを、コンセントにつなぐ。
コンセントから電力供給するなんて、じっさいもう古い時代ではあるけど。
ドライヤーみたいにたくさんの電力を瞬間的に消費するものはいまだにオールディなコンセント式のほうが、安全性が高いといまだに言われているし、
それに、まあ……すべてを
スイッチをオンにすると、ガアアッと巨大でけっこう耳障りでそれこそオールディな機械音が、鳴る。
南美川さんの耳はその音を拾ってピンと直立し、こわばる。
ごめんね、ちょっと乾かすからね、ごめんね……意味などほんとうはない謝罪をぶつぶつとひとりごとのように繰り返しながら、僕は手に風を当ててドライヤーの風が熱すぎないか先に確かめて、それからそっと風の出口を南美川さんの頭に、当てた。
……金色の、髪の毛。
と、おなじくらい金色な、……柴犬の耳。
乾かしていく。
そっと、乾かしていく。
……もう自分じゃできない南美川さんのために。
不本意だろうに、おそらくは敏感にいろんなものを感じて、……くったりしたりこわばったり、硬度を忙しなく変えてゆく三角形の犬の耳、
人間には、もちえないもの――。
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