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朝の歯磨き(5)人権不充分」への応援コメント


  • 編集済

    更新お疲れ様です。

    人権自体、社会的強者に対する対抗措置なんですよね。
    天賦のものであり、国家によってすら犯せぬ究極の共同幻想。
    何者も「人間であること」を犯してはならなかった。

    高柱猫はそこを叩き壊してしまった。
    「人間」を定義して、逸れたモノから人権を剥奪するシステム。
    人間であるためには、社会と他者に怯え続けなければならない。
    そうまでして出来上がったのが、彼の理想とは(実情的に)程遠い社会というのがまた哀愁を誘いますわ……

    不当に剥奪された人権は、手順こそ作中で触れておらず不明ですが、特段の瑕疵が無い社会評価によって回復出来る。
    幸奈の場合、入手に困難はあったもののファイルは保管してあった。
    ……そういえば、何故でしょうね?
    彼等の興味関心からいって、遺伝子データは納得できる。
    人権を剥奪して、(一般的には)不可逆な人体加工を施された幸奈の社会評価なんて全くの無価値である筈。
    何か訳があったのか、保管の義務でもあるのか。
    先で書かれる予定の内容でしたら申し訳ないですが、少し気になったので触れておこうと思いました。

    作者からの返信

    こちらこそいつもありがとうございます!

    おっしゃる通りでして、人間が人間であることを定義することになると、けっきょくのところ評価というものに怯え続ける羽目になりかねないのですよね。
    「人権」というのはほんとに歴史上における発明だったなあ、と思います……。

    基本的にこの社会では、人権を「制限」された場合には再審などの異議申し立てをして回復が可能ですが、いちど「剥奪」されてしまうとその社会では原則もう二度と回復不可となります。
    南美川家がファイルを取っておいたのは、この社会ではすべての資料をアーカイブ的に保管すべきという猫倫理の力が働いていることもありますが、それに加えて「社会人となった幸奈が社会に生み出せるはずだったプラスと、そのうえであえて人間でなくしたことによるもろもろの結果、そしてそれらを比べたときの天秤のバランス」を検証したかった、という南美川夫妻の強い興味関心があったことだろうと思います。