Necoとのやりとり(9)Endgame Study:Hou many hopes do you had?
『とっても簡単な論破をしてやろうかね。
あのとき、あの雨の日におまえがあの犬を拾うようにして買ってやらなければ、あの犬はすぐにでも死ねたじゃないか。
このまま売れなければ畜肉処分にされる、って。あのペットショップの店長から聞いただろう? そしてそれはほんとうに明日明後日のことだった。そうすれば――あの畜生の苦しみは、終わっていた』
ああ、――そうだよ。
ちょっとでもタイミングがずれていればたぶん、南美川さんはいまごろもうこの世にはいない。
どこか、遠いところで……夢を見るように、それこそ人間のすがたに戻れて子どもみたいに無邪気に花畑でも駆け回っていたのかもしれない。いや、その正反対の、……もっとおどろおどろしいところに行っちゃったのかもしれない、けれど。
でも。
南美川さんが、……その境目を越えて、あの世でどうなっていようと、あるいは意識もなにもかも消滅してしまったとしても、なんでも、なんでもだ、――つまり死後がどうだったとしても。
そうだとすれば、じっさいの南美川さんがどうなるかって、――単に肉のカタマリだった。
生きたまま、悲鳴を上げてももがいても命乞いをしても。ロボットの手、あるいはロボットと同等の動きしかなさない底辺労働者の人間の手によって機械的にミンチの機械に放り込まれて。
ごりごり、削られて……ただの肉になって。
その肉を、……畜産用の牛や豚がむしゃむしゃ食べて、それで、それで、……終わりだった。
……ミンチになるはずだった可能性。
それは、南美川さんの夜をいまも苦しめている。当然だ。――死ぬときでさえ、人間ではない。戻れない。当たり前だ。ヒューマン・アニマル制度というのはそういうものだ。ネネさんたちの言った通りでもある。簡単に可逆性をもたれてしまっては、制度自体がまともに成り立たない。
だから、だから、――戻れないのだ。
いちど人間未満に堕ちれば、やりなおしのチャンスなんてにどと来ない。それが、当然とされているんだ。
南美川さんにとってもそれは当然のことのはずだった。だけど、僕がその運命を捻じ曲げた――そんなふうに格好よく表現することがこんな僕なんかに許されれば、だけど。
『あの畜生の苦しみをいたずらに延ばしているのは、来栖春、おまえだろ』
……そうとも、言えるかもしれない。
人犬の身体となったことで、もどかしく、絶望し、あるいは羞恥にのたうち回り。
それでも、生活は続くこと。
生きていくことは、生存は、続いていってしまうこと。
そして、そんな有様を僕にすべて晒さねばいけないということ。
世話をされなければ、生きていけない。
こんな僕に対してさえ、――尻尾を振らねば、生存権さえないと本気で思って彼女は僕と再会してからの時間を過ごしてきた。
『……わかってんだろ。そのくらい。おまえは、蹂躙された側だ。
わかってて、おまえはあの畜生をはした金で買ったんだ』
『……ごめん、僕にとってはそうはした金でもなかった。食事がしばらく質素になった』
『でも、出せない額でもなかっただろ。収入だなんて基礎個人情報をいまさら僕たちに隠すなんて、クレバーじゃないぜ来栖春』
僕はどうにも返しようがなくてひっそりと笑った、それは、まあ、……その通りだ。
『……ほんとうにおまえがあの畜生を人間として赦すのであれば、おまえはあの犬の寿命を延ばすようなマネはしなかったはずだ。
適応できなかったヒューマン・アニマルは、生きているほうが地獄だよ』
『……わかっているのに、ヒューマン・アニマル制度をつくったんだね、猫……』
『いいんだよ。――ヒューマン・アニマルなんてすべて人間未満がなるんだから』
……わかってないなあ。
ああ、猫。わかってないよ。――アンタはたしかに天才だったかもしれないけれども、やっぱり、……やっぱり。
ひとは、間違える。
間違えるんだ。
それは、どうしたってしょうがない。
僕だって、なんどもなんども間違えてきた。
中学のとき、周囲を見下し、高校では自分はもっとできるはずだと思い上がっていた。
いじめを受け、もう死にたいと思い、畜肉処分になれる道だなんていうのをこそこそ探して、母さんに頬をはたかれるくらいに家族を悲しませた。
姉には舌打ちをされ、妹には兄のせいで人生が最悪だと真正面から大泣きされた。
父さんが日々仕事をして稼いでくる収入でいい歳まで養ってもらった。
高校卒業後、引きこもり、……引きこもり。
大学に進んでからは、勉強以外の想い出がなにひとつ残らなかった。
会社に入っても、ひととうまくしゃべれないし心を許せないし。
かばってもらって――僕は、どうにか、生きている。
社会貢献だなんて程遠い。
間違いだらけの僕は、いろんなものにかばってもらっているただの情けない存在だ――。
……それでも、僕は。
いま、人間だ。
どうにかこうにかで、人間定義にしがみついてる――。
『……人間未満になるっていうんなら、彼女より僕のほうがふさわしかったよ』
『いいや、決めたのは制度だ、社会だ、倫理決定だ。いまを生きてる人間たちが未満とみなせば、間違いなく未満なんだよ』
……いや、間違いは、ある。
あるんだよ――。
……ああ。
だったら、いっそ。
認めて、しまおうか。
あのときどうして南美川さんを買って帰ったのかを、この偉大なる人工知能サマに――。
『……そうだね、南美川さんを買って帰ったことは、間違いだったのかもしれない』
『……ほう?』
『僕はね、……子どもっぽいんだよ、猫。こんな歳になっても、ずっとだ。
とっくに二十歳を過ぎて成人申請が通ってからも二年ほど経つというのに、高校時代のことがいまだに忘れられない……。
……夢にね、出るんだ。あのひとが。ずっとなんだよ。再会する前から、ずっと、ずっとだ。
僕は基本的に夢で他人のことは見ない。家族だって、ほとんど出てこないよ。
でもさ、あのひとは、出てくるんだよ。
いつも、いつも強気でさ。
見下してくるんだ。いじめてくるんだ。
ずっと、ずっとそうなんだよ猫。そういうのって、ずっとなんだ。
続くんだ。生活単位で。理屈じゃない。ずっと、――繰り返されるんだよ、はてしなく、……わかるか?』
『……ああ、まあ、ロジックとしては受け止める』
『もう二度と会う機会なんてないと思っていたのに。
次に会えたら、そんなのは奇跡だって思っていたのに。
そんな、相手が、じっさいに目の前に出てきて』
犬に、――成ってて。
『……名前を、呼ばせたかったんだ』
強気にシュンと僕のことを呼んでいた。下僕のように。犬に対してそうするように。
『そして、もういちど、呼びたかった』
南美川さん、って。
ほら、僕はいまも。――こんなにも、気持ち悪いだろう?
こんな自分とその決定に自信などもてるはずがないんだ、
僕はいまも間違い続けているのかもしれない、――だろう?
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