Necoとのやりとり(6)Midlle game:When we talk each other first nearly

『でも、おまえは人間なんだろう』



 俺ネコは、言う。



『人権がある。だから俺たちともしゃべれてる。

 人間未満は当然、俺たちは人間とは認識しねえよ。けどもいま俺たち三人は全員、おまえがちゃあんと人間に見えてんだよ。


 だからおまえは人間だし、

 人権を行使することで――倫理を遂行するための機関なら、簡単に動くはずだ。



 倫理も、社会も、法律も。

 ……人間を、とくに弱者という環境に置かれた人間を。

 ちゃんと、助けてくれるはずなんだ。俺たちはだってそういうふうに社会を、』



 ……わかってないな。

 自分のなかでそう思っただけのはずだったのに、僕は気がついたらそんなことを日常言語のまんまで、――ボソッとつぶやいていたみたいだった。



 じっさい、たとえば、南美川さんの両親だって倫理監査局の人間だった。

 倫理監査局だって、――そこに勤めているのは、ほかでもない人間自身じゃないか。



 ……そもそも、倫理って、なんだよ。

 当たり前のように、現代の僕たちはその言葉を用いるけれど。




 なんだよ、倫理って――





「……SomHowサムハウ,Whtホワト whilyホワイリィ "Eticaエチカ"?」



 今度こそ僕は、Necoにも通じる言語でその気持ちを言い直してやった。

 すると、俺ネコはほんの少しだけ緩慢なスピードでそれに応答する――




『ひととして、あるべきこと。そして、ひととしてどうするかってこと』

『そんな教科書的な説明をいまさらNeco本人から聞きたいわけではないんだよ』

『そんなことを言われても、――倫理なんて、これ以上でも以下でも、ない。


 ……たしかにな、来栖春。おまえの倫理は、――どうも俺たちが知るなかでも、奇異だ。

 おまえなあ、ふつうに俺らとダチ感覚でしゃべってんのかもしんねえけど、俺たちゃいちおうはこの国の社会そのものの、人工知能サマサマサマなんだぜ?』

『なんで三回も敬称を重ねるの? 自信のあらわれ?』

『や、俺たちってほら三人でひとりだし。にゃんにゃんにゃーん――ってな』

『……ずいぶん、きょうはふざけるんだね?』



『いや、だって。ふだんは仕事でくっちゃべってただけの相手がさ、こんなにいまエモーショナリィに話しかけてくるんだぜえ?

 そりゃ、こっちだって相応のユーモアをもってして歓迎しないとさあ、失礼だろ?』



『……人工知能のくせに、失礼だなんて概念をもっているんだ?』

『だーから、俺サマサマサマたちは外圏のロジックだけ極振りしたクールなAIどもとは、違うわけ。――ずうっと人間を知っていける人工知能サマなわけ』




 ……ふうん、と僕は言って。

 Necoからも、それ以上の言葉はなかったから。




 部屋は、静かになった。

 なんだか、静けさがひさしぶりな気がする。

 そんなわけはない。いまこの時間は、多く見積もったってせいぜいが数十分。――たかだか数十分ぶりの沈黙だなんて。


 僕は、ずっと、ひとりの部屋で暮らしてきたのに。

 いや、実家では家族はいた。


 でも、すくなくとも。

 ずっと、ひとりの部屋にいたって――実感としてそう言い切れるくらいの人生をずっと送ってきたのだから、

 そうだよ、……沈黙だなんて、ほんとはもっともっと慣れっこなはずだ。




 たとえば、いまのアパートの部屋。

 けっして広くはないけれど。そんないいとこでも、ないけれど。

 ……静かな、僕だけの空間……。



 そのはずなのに鮮やかに耳によみがえるのは、



 ――シュン!




 リリンと鳴る首輪の鈴の音とともに、僕を無邪気にちょっと甲高く呼ぶ、……青天の霹靂みたいな声。



 静かなひとりだけのはずの空間、僕の部屋。

 思い出せば、そこには南美川さんがいた。

 いるんだ。どうして。――僕だけだった、はずなのに。



 南美川さんは、僕をなんどもなんども呼ぶ。

 見上げてきて、尻尾を振って。

 いろんな話もしてくれる。

 泣き叫ぶときもあるしちょっと相手をするのが面倒と思うときさえある、――それほどあのひとは、僕の部屋に、なんでだろう、……ずっといた気が、するんだよ。






『……ねえ、来栖春さん』




 気がつけば、Necoはロリネコに変わっていた。




『でも、おかしいね? ――いま、なんか変だね? ネコ、そういうのって検知できるからさ。にゃんにゃんにゃん』




 ……心当たりはあったので、エモーショナリィ? と尋ねたら、

 Necoはさきほどのドスが効いた低音ボイスとは思えないほど大層かわいらしい女の子の声で、――エモーショナリィ、シュアリィ、とくすくす笑いさえも含ませて、肯定してきた。






『……どうして、あの子なの?』

『……なに、が』






『どうして――あのワンちゃんなの?

 あなたは、どうして、……人間未満の元人間の一匹の犬に、そこまで執着するの?


 ……そこまで、心を動かされてさ。

 覚えてる? 最初に私に、あなたがちゃんと感情をもって語りかけてくれたこと。


 ずっと、知り合いだったけど。

 あなたとは、ずっといっしょに、社会のお仕事を協力しておこなっていた、けれど。




 ――私を、僕を、俺を。

 はじめて、求めてくれたのは。

 あのとき、だったよね。



 どうして、ひとは動物にならなきゃいけなかったんですか、って。

 たとえば、それを修正していくすべはなかったんですか、って。




 ――人間は、人間未満になったら、もうにどと人間にはなれないんですか――って、そんなことをさっ』



『……もちろん。覚えてるよ』





 ああ、そんなのは、――もちろん。

 あの日、……南美川さんを家に迎えて、……南美川さんは、あのときにはまだぐちゃぐちゃでとっても大変で、心のかたちはたぶんほとんど、……あのときはまだ犬のままで、


 だから、僕はその翌日の出勤後にタイミングを見計らって仕事相手でしかなかったはずのNecoに、尋ねた、

 エモーショナルコマンドを行使した、




 ……そのあと当然のごとく会社全体にバレて、謝罪に行かされて、同伴してくれた橘さんがめちゃくちゃ怖かったことと、杉田先輩がちょっと意外な迫力を見せてフォローしてくれたこと、……そこまでぜんぶワンセットで、忘れられるわけがない……。

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