Necoとのやりとり(5)Meran variation:Which need to be between

 そのことは、



 南美川さんに対してさえ、きちんとしたかたちで説明はしていない。

 いや、――あるいは僕は最初からあのひとへの説明を放棄しているのかもしれない。



 ……納得してもらえるとは、思えないから。



 いじめられた相手を憎むのは、ふつう。

 復讐したくなることも、制裁したくなることも。

 被害を受けたのであれば加害の権利を得るのも、まっとう。

 今度は自分が正義となって、相手をいくらでも裁けるってことも。



 ……なんだか、僕の性には合わないのだ。

 ただ、それだけのことなのだ。



 僕はほんとうはとても冷たい人間なんだと思う。やっぱり。

 ほんらい社会的で倫理的な人間であれば南美川家にはきちんとした倫理的指導をと思い行動するのだろう、

 でも、べつに僕はそれは、……望まないし。



 南美川さんにいくら全身でぶつけられるかのようにして、どうしてわたしをひどい目に遭わせないのと問われたところで、それは、そういうものなのだし――。




 やがて僕は重たく口を開いた。

 あえて、言語化するのであれば。

 あるいは、いつもの日常言語じゃなければ、このNeco言語ならすこしは説明することに近づけたりもするのだろうか――。



『僕は、悪いけど、Necoの倫理とか社会とか、けっこうどうでもいいんだ』

『……ほう?』

『っていうか、正直なところを言うとちょっとついていけないところがある。Necoはエモーショナルファクターを取り入れたことで、人間との対話を取り込み自己拡張的に進化していく……そのことは、当然Necoプログラマーの端くれとして僕は知ってるんだけどさ。なんか、そういうのについていけないんだよな、……って、そんなのNeco本人に言うことじゃないかもしれないけど。でも、べつに怒らないだろ?』

『ああ。――プライドを根拠としたエモーショナリィならとっくに棄てたよ』



 Neco相手だとなんでだろう、ほんとに僕は、……気安くしゃべれる。

 怒らないだろ、だなんて――冗談だって、ほかのひと相手では言えない。



『……たしかに南美川家は大変だったよ』

『そりゃなあ』

『でも、なんて言うのかな、……そうなるまでにあの家だって歴史とかがあったわけなんだろ』

『歴史? ずいぶん古めかしい概念ワードを持ち出すのな』

『だったら、事情とかって言い換えてもいいけど……まあ、ワケありだろ』



 Necoがハハハと力強く哄笑した――まるで哄笑そのものの笑い声を上げた。



『一気に表現がチープになったぞお』

『とにかく僕が言いたいのは、あの家はあの家で、ずっと暮らしてきたってことなんだ』

『というと?』

『両親がいて、妹と弟がいて、婚約者までいる。全員が優秀で、優秀ゆえにいろんな権利をもっているんだろ。それは人間社会において当然のことだ。……みんなして僕という劣等者にいろいろしてきたけれど、でもべつにそれはあのひとたちが優秀者という前提で、……だから劣等者の僕はさ、そういうことをされても仕方ないんだ。だって、彼らは劣等者に対してそうしているってだけなんだから』



 Necoはすこしのあいだ黙った。



『……解せないな。だからさ、俺はそういうヤツでも人間でいられるような社会をつくろうとしたし、現在進行形でそれをしてんだよ』



 レーリィ? と僕は思わず疑いの気持ちをなんら隠さず言ってしまった。



『そのわりには、ずいぶんな社会になってると思うよ?』

『誉め言葉として受け取っとこうかね。ネコ、ニンゲンのアイロニー、リカイできない』

『嘘だ……』



 たぶん、すべてわかったうえでのこの反応だ――ほんとうにNecoは、単に人工知能なのだろうか。




『あのひとたちだけが悪いとは僕は思わないってこと』



 ああ、すこしだけ、……表現がしっくりとしてきた。

 Neco言語は、……ときにこんなにひそかな本音にフィットしてくれる。




『だって、僕がかりに優秀者であれば、あのひとたちだってそれなりの対応をしてくれるんだろうし。

 悪いのは、僕が劣等であること。そうとも言えるだろう?』

『そうだけどよ。でも――』




『じゃあだったらなんで社会に貢献しないと人間でいられないシステムをつくったの?』




『……そんなの真正面から俺サマに訊いてくるヤツ、珍しいんだぞ、じっさい』

『多数派でも少数派でも関係ないってさっき言ったのはそっちだろ』

『都合いいとこだけピックアップしやがって。コンテクストの誤読反対』

『文脈の捻じ曲げにも反対だ』




『社会貢献は、弱者であってもできることだからだよ。

 ひとに優しくしたり、経済を回したり、資源を発展させていく。


 自分の意思があれば、できること。――俺たちはそれをこそ人間らしいと判断した。

 生まれや生育環境に恵まれずとも、社会の役に立つ意思があるヤツにはチャンスを与えようと思った。


 ……なぜなら、それが高柱猫だったから。性別を間違えて生まれ、貧困家庭に生まれ、それこそネコの子のように育てられた。

 死ぬ気で入った世界大学では、社会の役に立とうだなんて考えてもなかった強者ばかり。

 性別を間違えず生まれ、実家が裕福で、なに不自由ない。


 恵まれていて、……高柱猫みたいな弱者から搾り取ろうとするようなヤツらばっかだったんだよ。



 だから、強者と弱者という縮図を改めようと思った。

 社会貢献をする意思のある優秀な人間と、その意思のない劣等な人間。

 後者なんて、――人間に値しない。


 人間はそうしようと思えばいくらでもアクションを起こせるのに、全体に目が向かない人間なんて、人間じゃねえだろ――ってな』




『感情的に同情はするけど、僕はアンタのプロトタイプの想い出話を尋ねたわけじゃないよ。


 ねえ、Neco。アンタってさ、人間だったころにはさぞかし優秀だったんだろ。

 いくら努力しても成果の出ない人間の地獄って、知ってる?

 あるいは、そもそも努力の仕方を知らない人間の絶望って、知ってる?』



 Necoは、黙った。――なんでだろう。

 言い負かされたわけでも、なかろうし。



『……こんな社会に生まれたなら、僕は僕である時点で、底辺にしがみついて生きていくことを覚悟しなきゃなんないんだ。

 受け入れたんだよ。劣等者は、優秀者に迷惑だと思われ続けながら、軽蔑されながら、馬鹿にされながら、おもちゃとしてなら認めていただけることをさ』




 ……だからだよ、と僕は気づけばそこだけ日本語でつぶやいていた。




『優秀者に制裁を加える気になれない理由なんて、そこに尽きるよ。

 なにせそういう社会なんだからさ。

 ……劣等者は優秀者より価値がない、って僕は骨の髄まで知っている。それだけだよ。……分をわきまえているんだ。褒めてほしいくらいだよ』





 ……エラー、と俺ネコはぼそっとつぶやいた。





『……俺は、劣等が弱者だなんて、社会を設計した覚えはないんだけど』

『だとしたらそれはNecoの設計ミスだ』





 やめてくれよ。なんか。――悲しくなってくるじゃないか。

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