橘さんの説明(3)みなし休日


「さて、選択有給休暇の確認をしたところで。……来栖くんは、八日の無断欠勤をした」

「あ、……はい……」



 無断欠勤――それがどんなに社会人として信用を失うことであるのか、さすがに、僕にも、……わかっている。

 そうしたくてそうしたというわけではなくとも、結果的に、僕は――。



「けど、それは来栖くんの故意ではなかった。また、……どうも過失でもなかったようね」



 橘さんはまるで僕の気持ちを見透かしているみたいにそう言った。

 選択有給休暇の説明がこまごまと書かれた第191条のページをめくって、さらに、さらに、先のページへとめくっていく。

 紙をめくりやすくするためか、ほんのちょこっとだけ右手の人差し指を舐めた。

 慣れた手つきでめくっていく。……このひとはほんとうにソーシャル・プロフェッサーなんだよななんて、いまさらすぎることをいまさら、思う。


 緊張感のせいか、気づけば僕は口走っていた。


「無断欠勤って、そうとう……マズいんですよね……」

「ええ。原則としてはね。けど、――原則があるということは、例外もある」



 なんのことだろう、と思ったら――橘さんは目当てのページを見つけたのか、ぴたりと手を止めた。

 ……そのページを、またしても、僕に押し出すように見せてくる。




「第321条。読んでみて。黙読ではなく、音読で」

「音読……」


 ……高校のとき以来だ、そんなの、それこそ。


「第321条……」


 文字を、目で追っていく。


「……無断欠勤規定の例外。え、っと、……当人の意図並びに重度の過失ではなく、かつ犯罪行為若しくは重大な倫理違反に巻き込まれた――とき?」


 また、続きはあったが。

 僕は思わず顔を上げて橘さんの顔を見た。

 続けて、と橘さんは手のひらをこちらに差し出して、促す。



「……そのときには、……とき、には、……無断欠勤とみなさず、みなし休日とする。巻き込まれた時期に加え、社会的回復のために七日を上限としてみなし休日とすることを可とする……」



 僕はもういちど顔を上げた。

 え、と間抜けな声が出てしまった。


「……みなし休日、って、なんですか、それ……?」


 橘さんは大きなため息をついた、――まるでわざわざおおげさにそうしているみたいに。


「くるちゃん、ほんとに契約書を読んでなかったのね」

「いや、その、そんなの、……こんな長くて細かいもの、そこまで細かくは、読まないですよ……契約書に書かれてるようなことって、その、僕には、よくわからないことも、多いですし……」

「だったら私に訊いてくれればよかったのに。……そのために、私たちソーシャル・プロフェッサーって、いるんだけどな。……これからは、頼ること。いいね?」

「……はい」


 素直に返事をした、と、いうか、……そうせざるをえないだろう、そんなことを、そんな明るく言われてしまっては……。


「それで。――いい? みなし休日、っていうのはね。


 当初は欠勤と思われた規定勤務日が、のちになんらかの事情によるものと判明したときに、それを欠勤とするのをやめて、……事情アリの休日ってことにあとから調整する、っていう制度のことです。


 いっときは勤務の平等性という観点で賛否両論だった制度でもあったけど、だれかが損をするのではなく、長い目で見ればいざってときにみんなが平等に得する――そういった前提で練られた制度なので、いまの法律体系にも、生き生きと生き残っている。

 ズル休みをさせるためではなく、……だれだって、事故や病気や、そうでなくともどうしてもアクティブに動けないときはある、そういうときには人道的観点からしても、充分に休んでもらう――仕事が回ることよりも、人間の尊厳性を優先した。それでも仕事を回すためには、……ギリギリの体制で職場をつくるのではなく、充分余裕のある体制をつくることを、前提として義務づけている。それは、とくに経営者の義務です。怠れば、倫理違反……。

 ……あの三日体制みつかたいせいの社会改革は、それはそれはみごとなものだったのよ。もっとも、来栖くんの年齢だとまだ生まれてもないのか……。


 無断欠勤の事情が、当人の意図並びに重度の過失ではなく、犯罪行為若しくは重大な倫理違反であった場合には、どんな雇用主であれその期間をかならずみなし休日にせねばならない。倫理で、そう決まっているのよ、……Neco上位憲法じょういけんぽうから演繹的に導き出された倫理として、ね」


 僕は憲法のことも法律のことも詳しくないが、なんとなくであっても話の流れは頭に入ってきてくれているので、うなずいておいた。


「……来栖くんの場合は、どっちなんだろう、……あえて言えば後者なんだろうけど、ううん、もしかしたら前者の可能性も……」

「――あの」



 自分でも、驚くくらいに硬い声が出た。



「犯罪行為、もしくは倫理違反。それって――」



 南美川さんの、実家。……南美川家。





「Necoは――なにか、判断をくだしたんですか。……僕が、されていたことについて」




 なにか、判断を、したのか。

 そう――あの、家族に。

 めちゃくちゃだった、あの家族に……。






 すると橘さんは、疲れたようにふっと微笑んだ。



「……知りたい?」






 答えならひとつだ、

 うなずいた、はい、って、――つまりは、もちろん。

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