説明(1)優秀者からの視線

 やるわ――わたしのその言葉を聞いて、シュンは口もとに小さくてささやかな笑みを、たたえた。



「わかった。ありがとう。南美川さん。……それじゃあね、まずは南美川さんの家族のことなんだけど。ごめん。……南美川さんの家族だってことくらい、僕もわかってるつもりなんだけど」

「いいわ、そんなのは、……いいのよ。家族だなんて……」


 わたしはそのあとの言葉を続けられなかったけど、……内心はもちろん決まっている、

 どうせわたしがあそこに――あの家に帰るということは、ないのだ。

 犬のままでも。……もしこのひとが大真面目に言っているらしいことの通りになって、わたしが――人間に、戻れても。



 ……どっちにしろわたしはシュンと暮らす。暮らすの。そうやって――決めたんだから。




「……そうか……」




 シュンはまたしてもどこか嬉しそうに、笑って、




「じゃあ、言えるかな。南美川さんの家には、遅かれ早かれ監査が入る。倫理監査局の、緊急度の高い倫理監査だ。すみやかにおこなわれる。早ければいまごろ監査のひとが向かってるだろうし、遅くとも……三日以内には執行されるだろうね」

「え、監査って、――えっ、」



 そんな、そんなすごいことが、



「だって、それって――倫理監査局をシュンが動かした、ってこと?」

「はは、ほんとにそうなら僕の権限もたいしたものだけど、そうじゃない、そうじゃないんだよなあ……ちなみに南美川さん。うちのほうにも監査は来るから、いろいろ面倒かけると思うけどよろしくね」

「えっ……! なんで、なんでよ、シュンなにも悪いことしてないじゃない!」

「そうだね。劣等だった以外には」

「それは悪いことじゃないもん!」



 子どものように言うわたしに、ありがとう、とシュンは返してくれた。



「けど、来るものは来る。監査は、来るんだ。……全責任クローズドネット開示要求を、しちゃったからね」

「……全責任クローズドネット、開示、要求……」


 さっきも、たしか言っていた。――化としゃべってるとき、私にはなんだかよくわからないおはなしをしていたとき、

 化の顔色がさっと変わったときの言葉だったから――だから、だから、その言葉の響きはたしかにこんなにも耳で覚えて、いるんだ。



 わたしはシュンの制服の襟を、きゅっと爪を立てて掴みなおす。……茶色の濃いしみがひとつ、もうカピカピになってこびりついている。

 なんだか……ざわざわとした予感を、感じたから。



 そのときちょうどあつらえたかのように、すうっと、風が、

 神聖な息吹のようなまっすぐとした風が、道の両側に植えられた名もない知らない木たちを揺らしていって――。




「……南美川さんの家族だなんて、僕にはたぶん想像もできないくらいの頭をもってるんだろうな、って思った。だから僕は、できるかぎりの準備はした。ごめん。南美川さん。……あなたには秘密にしてたんだけど」

「そうよね、わたしには、お土産はなにがいいかなんて、それくらいで……」

「あはは、……でもそれはとても重要な準備だったな」



 それに加えて僕はね、とシュンは吐いた息のかたちで言う。



「僕は、おもちゃを持ち込んだ。おもちゃと言っても……たいそうなシロモノだよ。五万円くらいはするんだ」

「おもちゃって……その、開示要求ボタンとかいうモノなの……?」

「うん。けど、おもちゃというだけあって、開示要求ボタンのかたちはしてない。……責任通報ボタンのかたちをしている」




 責任通報――。




「南美川さんは、責任通報は知ってる?」

「そこまでは知らない、けど、……いざってときには責任通報すればいいよ、とかっていうのは、高校とか、あとその、……大学でも、けっこう……」




 みんな違っているはずのみんなが、若かったときにみんなでおなじ顔をして口をゆがめたいびつな笑顔で言いあっていたこと。


 たとえば遊びすぎたりとかして、ふっと事故っちゃったら。事故って、ちょっと劣等者を殺しちゃったりしたら。

 責任通報すればいい。責任通報をすればいいよ、って。

 そうすれば、すぐに倫理が来てくれる。

 猫が来てくれるんだから、って――。



 責任通報は、通報者の責任がのちに問われる。

 ただの通報とは違って、当事者として通報したというところがポイントになる。


 ……くぐり目、だったのかな。あれは。いまにして、思えば。

 責任通報は自由意思の遂行として解釈されて、



 だから、つまりたとえるならば、そうよ、そういうことなのよ、

 ……小学校でだって悪いことをしちゃったあとには、名乗り出て反省したふりをしたほうが、ぜったい、ぜったい、――おトクだねって、こと。

 それだけの、それだけのことが巨大に制度化されているのが――責任通報。




 だからわたしはほっぺたにひんやりとした風の動きと温度を感じながら、言った、




「……反省してるから許してね、っていう通報のことでしょ……」

「うん。その通り。――だったら加害者がそれをやったときにこそ、効力があると思わないかい?」

「でも、シュンは被害者よ……」

「そう。そういうこと」





 顔を見上げればシュンは足を進めながら、どこか遠いところを見ていた。





「責任通報のほんとうの意図もわかってない馬鹿なんだって最初は思わせる必要があった……」

「……あ、」




 カチリと意味がひとつ嵌まり込んだわたしは、思わずふっと声を漏らしていた、

 あ、……ああ、って、そう思いながら、





 ああ、シュン。

 あなたはきっと、わたしの考えつかないこと、発想の範疇にもないことを、あなたは、あなたは――


 そうやって、考えて。思いついて。

 実行、しているのね。




 ……高校のときのあなたはそんなひとだったかしら。

 それとも、わたしが知らなかっただけなのかしら。





 ひとがなにをどう感じて、どう思って、どう判断して、どう評価しているのか。

 ……とりわけ優秀者から劣等者へのそれ。

 残酷すぎる視線の、ことを。





 あなたは――たしかに、苦しみまわりながらずっとずっと、こころのどこかで吟味したのね……。

 わかるわ。わたしには。そのことが――いまなら、わかるもの。

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