第七章(下)高校の同級生を、かならずまもる。わたしが、いじめられることになっても。高校のころにはわたしがいじめた、あなたを、わたしはかならずまもるんだから。

おやすみ

 そのあともずっと、わたしの部屋だったお部屋でシュンと過ごした。

 シュンのベルトからの拘束と、わたしの越えられない柵はそのまんま、なにも解決しないまんまだけど、……わたしたちは親しくしゃべるようになった。まるで、再会したあとみたいに。


 夕方まではふたりでくっつきながらうとうとできたけど、

 夕方には真や化や狩理くんが帰ってきて、かわるがわるに、あるいは同時にわたしたちを覗きに来た。


 ひどいこと、された。相変わらず、たくさんされた。

 真にはおしっことかするとこじっくり見られて笑われたし、化はわけわからないこと言ってわたしの身体を抱いてくる、狩理くんはしゃがみこんで煙草を吸いながらわたしとシュンをえんえん見て、ときには顔をしかめて煙を吹きかけてわたしのことを蹴ってきた、

 ひどいこと、ひどいことだったけど、



 わたしは涙を流しながらでも、強く耐えた――と、思う。

 だって、シュンだって、耐えたのだ。



 わたしがいまされていることとおなじくらい、ううんもしかしたらもっとつらいことを、わたしはシュンにしたのだから。

 シュンは、……耐えたわけではないのかもしれない。壊れたし。



 ああ、だからもっと正確に言うならきっとこういうことなのだろう、



 シュンをいじめたわたしには、

 こうしていじめられているときに、涙で自己陶酔に陥ることはゆるされないのだ、と――。




 ……それもやがては静かになった。

 暗くなって。化は、来なくなって。

 真と狩理くんがわたしを馬鹿にしながらだらだらと居残ってたけど、こんな惨めな身体と低い目線でもキッとして見上げ続けていると、シラけたとかなんとか言いながら、……さっさと今晩も子づくりの実験しようよう、とか真は言って、狩理くんとともに、……いなくなった。


 けっきょく、パパとママは来なかったなって思いながらふたりの高い高い位置にある背中を見送ってみる――。


 バチン、と電気が消される。オレンジの淡く小さな照明が、ふたたび。真っ暗には、しないんだ。それはわたしたちがこそこそなにかをしないためとか、監視のためとかかもしれないけど、それであってもぜんぜんいいや、……意図がなんであれこの部屋のオレンジの照明は優しいのだ。

 ……人間だったころのわたしが、選んだだもんね。そうよね。そんなささいな選択の光にいまこんなにも助けられてしまうなんて――。



 わたし、がんばった。



 だけど、

 バタン、とドアが閉まった瞬間、……さすがにふらっと全身の力が抜けて、伏せてしまって。



「南美川さん」



 ああ。朝からかけて、こころをひらいてくれたこのひとの、声。

 わたしは、振り向く。耳も尻尾も翻して。



「……だいじょうぶ?」

「……シュンこそ」



 シュンのお熱は、下がりきることはなかった。

 けど、時間の経過であきらかによくなっていった。わたしもシュンの汗とか鼻水とかをふき取るのは口で手伝ってあげた、……なんだかシュンはやけに遠慮してたんだけど。


「僕?」

「そうよ。ごめんね、わたしの、……家族が……」


 わたしの家族は、……とくに狩理くんは、

 このひとにも、つらくあたった。恥ずかしいことも、させてしまっただろう。ごめんね。ごめんね。わたしのせいなの――。



「ああ、いいよ、……状況、よくわからないけど、」

「そうよね、そうよ、あなたにとってはそのはずよ」

「でも、……いつものいじめよりつらくないし」



 わたしはその言葉に返す言葉もなかったから、



「……きゅん」

 わざと甘えるように鳴いてみて、そしてこのひとのもとに戻ってきた。

 前足をシュンの身体に乗せて、へたりと力を抜く。

 こうすると、すごく、……落ち着く。



「もう、そばにいて、いいの?」

「もう、って? 南美川さん、さっきからずっといるじゃない」

「だって、朝、わたしのこと突き放したでしょう? わたし、あなたが怒ってるんじゃないかって思って」

「あ、……あー、ごめん。そうじゃ……ない。そうじゃないです、南美川さん。

 ごめんね。あれは、僕が悪かった。……不安にさせる気はなかったんだ。そばにいてくれて、ぜんぜん、いいんだ。けど、その、なんというか……」

「ほんとっ?」


 わたしはまたシュンのお顔をぺろぺろなめはじめた、……シュンはなんだか妙に固まっているけれど。


「……あの。南美川さん。ひとつ、質問してもいいですか?」

「……ん、」


 わたしは舌をこのひとの肌から離してじゅるりと舌なめずりをしておく、……なめたあとに、かならずする動作。


「その……なめるのって、どこで覚えたの……?」

「……調教施設」

「調教施設、って、あの……人犬とかの……?」



「わたし、愛玩犬だもの。……かわいいでしょう?」



 それはなかば調子に乗った冗談だったのに、



「うん。かわいい」



 シュンは、真顔でうなずいて、

 ……わたしのことをまた両腕で抱きとめてくれる。



「……え。冗談よ?」

「かわいい。夢だから、言ってもいいんだよね。南美川さん。かわいい、かわいい、……かわいいです」

「……え、ちょっと、えっ、あ、なんでそんなつよく、つよくだっこするのっ、」

「……なんでも、だよ」



 ……わたしもシュンも体温がとても……高くて……。



「……ねえ、南美川さん」

「……なあに……」

「これ、……ほんとに夢なんだよね?」


 わたしはとっさに答えることができなかった。


「やけに、長いし。なんか……南美川さんの家族、リアルだし。峰岸、くんも、出てくるし……。

 夢、だよね。そうだ夢だ。……夢じゃなかったら南美川さんを抱きしめられない」

「どうする? もし、これ、夢じゃなかったら」



「どうしようね。それだとこれ、……けっこう絶体絶命のピンチの状況、ってことなんじゃない?」



「……そうね」

 わたしは肯定して、ちろり、ともういちどシュンのほっぺたをなめた。

 シュンが小さくうめく、



「……僕、なめられ属性は、ないと思ってたんだけど……なんだこれ。なんだ、これ……すごく……すごく、こう、」

「え……? なあに? なんのおはなし?」

「いえ……なんでもないです……」



 静かだ。何時くらいなのだろう。わからない。けど、きっと深夜だ。とても静かだ。

 世界でふたりきりみたい。

 世界でふたりきり、取り残されたみたい。



「……わたしがね、いるからね。シュン」



 あなたがわたしを買って帰ってくれたように、



「……眠たい?」

「あんまり……。なんか、ずっと熱でぼうっとしてて」

「そうよね。けど、眠りましょう。眠れるときには、……眠るの」

「はは、……それは僕も賛成ですね」

「うん。だったら、寝よう? いっしょに、寝よう?

 おとなり、だから。……わたしずっとここにいる、から」

「……この夢いつ醒めるんだろうなあ……」



 わたしはシュンの胸のなかにすっぽり収まった。

 シュンも、抱きとめてくれた。



 いつもはシュンのほうからおやすみ言ってくれてたから、

 だから、こんどはわたしのほうから言うの、


「……おやすみ、シュン」

「あ、はい、夢のなかでおやすみってふしぎだけど、……おやすみ、南美川さん」



 わたしは小さく笑うと目を閉じた。

 このひとのなかにいると、いつだって、眠るということがつらくない。

 調教施設は眠ることさえつらかった。だから、こんなふうにつつまれて眠れるなんてほんとうに嬉しいことで――。



 わたしは眠る直前までひとつのことをずっと考えていた、



 ごめん、ごめんね、……でもわたしはあなたを包み込むことはできない。

 わたしを包み込んでくれるあなたを、わたしは、包み込むことができないの――。




 そう思って、

 でも、たしかに、……眠っていった。

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