おはなししましょ(10)妹のこと

「それだったら、妹さんは――海ちゃんは、どうだったの?

 空さんとは、海ちゃんは仲がよかったんでしょ? やっぱり、タイプいっしょなの……?」

「あ、……いいえ。海は、ちょっと……違います……」

「違うんだ。どんな……ひとなの?」


 シュンはまたしても考え込んだ、でもこの感じ、雰囲気、悪くない、悪くない、リラックスしてきているのよ、敬語や脅えかたは当時のままでも、感じが、雰囲気が、再会したあとの――じつはいつのまにかよくしゃべるようになってた、おとなのシュンに、……近づいてきている。


「……まあ、ひとことで言えば。わがまま、ですね」

「わがまま? ふふ、末っ子だからなのかな」


 うえにふたりも、きょうだいがいれば。むしろそうなることは……当然のような気も、するけれど。


 シュンはちょっと顔をしかめた。……あ、納得してなくて、でもささいなことだってわかってるから、どうやって説明しようかって考えてる、そんな、顔だ、――高校時代にはわたしに向けてこなかったものなの。


「……そうですね。末っ子だからっていうのも、たぶん、ある……」


 シュン、言葉選んでるの、……わかる。


「……けど、その。なんか、こう、……度を過ぎてるっていうか」

「……そんなに?」


 これは、これで、ちょっとびっくりだ――シュンがきょうだいとはいえひとのこと、そういえばそうやってネガティブな感じで評価することなんて――わたし、見たことなかったから。

 そうよね、それもそのはずなの、……あのとき評価を付与していたのはいつだってこっちがわだった、あなたもほんとうはいろんな評価をいろんなひとに対して、印象としてとかでもふわっとでも抱いていたでしょうに、そんなモノはないものとして扱ったのはいじめっ子だったわたしのほうよ、

 だから、この驚きさえ、……わたしは勝手とわかっていたけど。


「……たとえば、どういうところが?」

「そうだな……。まあ、まだ中二だからっていうのも、あるとは、思うんですけど……」

「うん。そうよね、もちろん、そうだわ。中学二年生なんて、わたしだっていまにして思えばまだまだ子どもだったわ。だから、……そう思ってわたしも、聞くから」

「……ここの南美川さんはおもしろいな……」


 シュンが、ふっと笑った、……その笑顔のなつかしさにわたしは勝手にどくんと感情を鳴らした。

 そしてちょっと斜め上のどこかよくわからないところを見るのも、ああ、ああ、シュン、そうよ、そうよね、……やっとわたしにしゃべりはじめてくれたのね。



 いまのあなたは、高二なのに――。



「……そう、だね。……しいて言うなら、彼女は、自分がひとに迷惑をかけても……いいと、思ってる。と、いうか、迷惑をかけることが当然だとね、……思ってるんだ」


 もちろんその話し口の変化にわたしは明確に気がついた、

 鮮やかに気がついている、

 けれどもあえて気がついていないふりをした――シュンも、いま、迷いながらさぐりさぐりで、変化している、こんな短い時間のなかでもこのひとはそうやって、……成長をしているのだ、

 わたしはもうなんどもなんども驚いた、けれどもいまでも思うよ、このひとにはいつだって驚かされっぱなしなのだと――。


 だからこそ、わたしはひたすらにおはなしの内容のほうを聞くことにする。……犬の耳、ピンと、立てて。


「末っ子、っていうことも、たしかに――たしかに、あるのかな。

 けど、なんか、僕から見てると、彼女はそれ以前に……人間的にそうな気が、するんだ」


 人間的に――その言葉は、わたしのさんかくの耳にもひどく、……しみる。


「たとえば、手伝いをしない。姉ちゃんだって忙しいのにちゃんと当番のときはやる。僕だって、姉ちゃんほど手際はよくないけど、当番だったらちゃんとやる」

「え? 待って、当番ってなんの……あ、家事とかの?」

「あ、えっと、……うん、そうだけど」

「……そんなのあるのね……」


 自分の顔が火照ったのがわかった、……わたしは人間としてこの家の家族と暮らしていたころ、家事なんてふだん手伝ったこと、なかったから。

 やるとしたら、パパとかママとかの誕生日にはりきってケーキとかつくって、それでジャーンって得意げに披露するの、パパもママも喜んでくれるって人間のころまでわたしは素朴に思っていたけど、そうよね、……ほんとはそうやってお手伝いとかきちんとするほうがより、人間だったのかもしれないわ……なんて……いまさら思っても、わたしはもうしょうがないんだけどね――。


「……なみ、かわさん?」

「……ううん、いいのよ。続けて……ただちょっと、自分のふがいなさを、噛みしめてただけだから。……わたしはお手伝いなんてしなかったな」



 ……と、シュンは、ふと両腕を伸ばすと、

 わたしの全身を――抱きしめた。

 それはあまりにも唐突で、ふいで、

 それでいて自然な動作だったのだ。



「……え、シュン、」



 ……とく、とくん、って自分の心臓とこころが鳴っているのをつよく感じる、そうだった、このひとの両腕と胸に小さな全身を抱かれているとなんだかすべてのからだの音がやたらと大きく心地よく響く、



「……なんで、」

「……たしかに、うちは、家事当番あるけど。でも、海はね、やらないんだよ」



 わたしの問いかけを無視してそれまでの話の流れを続けた、でもきっとこれはあえてそうしたのだ、わかる、わかるわ、シュンにはほんとうはそういうところがあったのだ、

 おとなのシュンがいつのまにか手に入れたとわたしが思っていたことは、そうか、そうなのね、シュンはもしかしたらずっと――



 こういうひとだったのかも、しれないのね。



「……海はね」


 こんなに近くでいまも響くこのひとのなつかしい声。


「自分自身が生きるのに、コストがかかるってことに気がついていない。まだ、若いからかもしれないけど、……姉ちゃんと僕は中学生のときには気づいていたと、思うな。

 甘やかされたから、かもしれないけど。末っ子だし、性格はなんかこう、天真爛漫だから、かもしれないけど。

 ……そうなんだけど、そうじゃないんだよな。海は……自分が生きてることは、無条件ですばらしいことだと思ってるふしがある……」


 どっくん、

 と、そうわたしの胸が鳴ったような気がするのは――錯覚というわけでも、ないのだろう。


 わたしはちょっと熱をもってきてしまった呼吸のなかでどうにか問う、


「……それでも、海ちゃんは、空さんとは仲よしなの?」

「そう、だね。姉ちゃんは……もう、海のことは、なんというかな、……対等な相手と見ていないんじゃないかな。だから、かわいがれるんじゃ、ないかな。

 そうだよね、五つ下なら――かわいいもんだ、って。思えるのかも、しれない。大学一年から中二を見れば……妹っていうか、妹なんだけど、もう世代も違うし、……かわいがれるのかもしれない。

 でも、僕は……」


 シュンが言いよどんだので、わたしはシュンの腕のなかで目を見開いてどこでもないところを見ながら、促して――みる。


「……シュンは、空さんとはふたつ差だし、海ちゃんとはみっつ差だし。

 どっちも、対等な、……人間に見えちゃうの。そういうことを、言いたいのかな、シュン……」

「そう、ですね。そう。そうだ。……そういう、ことです」



 シュンはきゅっと、すこしだけ、けれどもたしかにわたしを抱く腕のちからを、強めた。



「……ほんとうに、あなたは、ふしぎな南美川さん」

「どうして? どこが、そんなに、ふしぎなの?」

「僕のはなし、聴いてくれる」


 ふっ、とシュンが息をつくかのように弛緩した小さな笑いを漏らす。


「それに、ほんとうに、おもしろがって聴いてくれる。……ふしぎだ」

「わた、……わたしも、ふしぎよっ」

「なに、が?」



 ああ、――こんな素直には言うまいって思っていたのに、



「あなたはどうしてっ、いま、わた、しを、……だっこして、くれてるの」

「どう、して、だろうね。けど」



 ……ぎゅっ、って。

 そう、感じたの、……いまシュンがしてくれた、こと。



「そうしなきゃ、いけない気がした。

 ……そうすることが自然な気がした。こうすることが、ね」

「ねえ。あなた、歳はいくつ?」

「……十七だよ。そんなになんども訊く?」



 そんな答えだったからわたしはシュンの衣服にもういちど肉球ですがりついた、そっか、シュンはきっと、最初からずっと――人間だった。




 わたしが、このひとの人間としての尊厳を、……辱めたのだろう。

 ただ、それだけのこと。それだけのことだったのだろう――。

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