おはなししましょ(9)姉のこと

 だからわたしは切り返した、


「……なんとなく、わかる気が、する」


 そういうふうに、思ったことをできるだけちゃんと伝わるように、口にしながら。


「……空さんと海ちゃんは、そんな感じのお父さんについて、なにか言ってるの?」

「僕、そこまで、きょうだいとは話さない。から……」

「そっか。そうよね。じゃあ、……お母さんとはみんな、仲がいい?」

「そう、ですね。母さんは、さっきも言いましたけど、……優しくてぽやぽやしてる、から」

「ぽやぽや……」


 ぽやぽや。……ふしぎな、言葉の響きだ。


 わたしは寝起きのときに伸びをするみたいに、両方の前足をめいっぱいうんと伸ばしてすこしだけ斜め上のほうを眺めて、みる。

 この行動にだってもちろん、意味がない、わけでは――ない。


「……お父さんは、ちょっとそういう職人気質みたいな感じで。お母さんは、甘いとか言っても、たぶんほんとはけっきょくは、優しくて、とてもいい……お母さん。

 なるほど、ね、そうなのね」


 そうやって整理しちゃえばごくありふれたようなこと、あなたの家族のほんとうの、こと、


「聞いて、いい? お姉さんと妹さんは、どんなひとなのか、ってことも」


 シュンはまたしても不可解そうな顔をした、……でもさすがに慣れてきたのか、その思いを飲み込んだようだった。

 きっと、それだから、そのまま続きをおはなししてくれるの――


「……姉さんは。さっき、言いましたけど、……名前は空、で。

 いま、大学生で……なんか、よくわかんない技師みたいなことしてます」

「技師? へえ……なんの分野?」

「それが、僕には、なんど母さんとかに聞いてもよくわかんないんですけど、なんだろう、なんか検体……とかの検査をするときの、見えない物質とかの、そういう技師、……目に見えない分野の技師だとかなんとか……」


 わたしの耳と尻尾はふいにピンと直立した、それはケモノの本能というよりはわたしの人間だったころの残滓によるものだ、

 空さんのことはほとんどなにも知らないけれどもわたしにはそのひとのイメージがいまけっこうくっきり描けてる、なぜかって、


 ……目に見えない分野の技師。それは、不可視性物質ふかしせいぶっしつを専門として生業とする検査技師――不可視性領域調整師ふかしせいりょういきちょうせいしの、あだ名のようなものだ。

 そしてわたしも、国立学府の生物学専攻のひとりとして、当時はずいぶんお世話になったものだ――。


 そこまで考えたら耳と尻尾はすこしだけ垂れた。


 ……そっか。

 いま、じっさいには二十六歳か二十七歳であるはずの来栖空さんは、そのまま順当にいっていれば、調整技師をやってる可能性が高いってことなんだ。

 そして、シュンよりふたつ上ということはわたしにとってもふたつ上のそのひとは、……わたしが国立学府に通っていたときと、技師に就くための勉強をしている大学生の時期が、被っていたはず。

 わたしは顔が熱くなる――じつのところを言うと、わたしがまだ人間でかつ相対的に優秀である国立学府の生物学の学生だったころ、……調整技師さんとも、かかわる機会ってたくさんあった、

 でもわたしはろくに挨拶もしなかった――そんな現場仕事の相手、とかふつうに平気で平然と思ってた、疑ったこともなかった、……劣った存在は人間として見えていなかったのが当時のわたしの、現実だった。


 ……わたし、あのころ、生きるのとても楽しかった。

 人間はなんだかんだですばらしいわ、なんて真顔の素顔で言えてしまったのがあのときのわたしなの。

 そうよそれなら世界がクリアにクリーンに見えたのは当然、

 それはずいぶんとまた歪んだクリーンな世界で、



 ……そうよ。

 だって、それならわたしがあのとき視界の端でさえも見てなかった水色着みずいろぎを着た、技師のひとたち、

 そのなかのひとりにシュンのお姉さんだっていたのかもしれないの――。



 だから、だから、だからわたしは、

 罪滅ぼしにさえなってないことを承知のうえで、滅ぼせない、わたしのやったことをその名前で呼ぶとしたらそれは滅ぼせも消せもしない、永遠に、消えない、――わたしの身体がきっともうにどと人間に戻れないこととおなじ、おなじよ、取り返しのつかない、


 ……それでも、と。

 会ったこともない、きっと今後も会えはしない、

 それでいて、むかしばなしふうに言うなら妙に縁のできあがった――そのひとの、ことを、……問う。



「……お姉さんは、シュンにとっては、どんなひと?」

「……僕にとって? ……うーん、そうですね……」


 あ、わたし、いまちょっといい尋ねかた、したみたい、

 どうやらシュンに――ハマった言いかた、できたようなの。


 シュンはちょっと考え込むようすを見せてから、


「……うーん。ハキハキしてて、器用だけど、怖いひと……かな」

「怖い、の? ……強気なお姉さん?」

「強気、というなら、強気だし。そっけないと言えば、そっけないん、ですけど。

 なんか、僕とはタイプがぜんぜん違うっていうんですかね……僕は、……とくに、趣味とかないし、休日とかは、あ、……南美川さんとかに呼び出されない、ときは、……家にいるのが好きで。それは、中学とかからずっと、そうで……」

「そうよね。わたしは……あなたに、よくそうやって来てもらってたの。

 ごめんね、そのこと、ごめん」


 シュンが息を呑んだ気配がしたから、わたしは小さく続ける。


「うん。それは、あとでわたしがちゃんと反省しとく。

 だから、お姉さんのこと、続き、聞かせて?」


「あ、……はい。

 姉ちゃんって、バスケットボールの選手なんですよ。あ……って言っても、地元というか近所の、ちっちゃなチーム、ですけど」

「え、……そうなんだ」


 それは、ちょっとびっくりだ。

 もちろんスポーツをやってるから性格がどうとかっていうのは、ほんとうは思考バイアスに過ぎない――けれどもわたしにも、人間だったころスポーツをやってる友だちはたくさん、いた、そういうのを思い出してとりあえずのところはタイプとして考えれば、

 たしかに、……たしかにそれだと、シュンとはだいぶタイプが、違うだろう。


 ……バスケットボールをやっていた女の子の友だちを、思い出してみる……。


「……髪の毛とか、すごく、短かったりする?」

「あ、そうなんです。短いんですよ。

 ちっちゃいころは、すごく長かったのに、姉ちゃん小学生のときかな、ひとりではじめて美容院行ったとき、バッサリと。

 母さん、お金だけ持たせてたから、帰ってきた姉ちゃんの髪の毛見て、悲鳴みたいな歓声みたいな声、あげたの、……僕よく覚えてます」

「けっこう、ずいぶん、思い切ったお姉さんなのね……」

「はい。僕とは、ほんと、違うんです。……意思が強い、っていうか。

 頭とか、勉強とかは、僕とおなじで、そんなに、なんですけど、なんか、変なこと言いますけど、動物的な強さとか賢さみたいなのが……あるっていうか……」


 わたしは、うなずいた。……たしかに、そういうひとというのは、いた。


「……めったに笑わない、し。目つき、鋭いし。

 バスケ部とか、いまのチームとかで優勝したときの、写真とか見ても、目が、なんか笑ってないし。

 ……父さんに、似てて。姉ちゃんは。僕は……怖くて……」


 ……わたしは、なんとなくわかってきた。

 このひとが、



 姉をけっして嫌ったりということはしていないけれども、

 ほんとうに心底、怖い、――というよりはきっと理解しがたくて、

 ……ひたすら距離を置いてたのであろうことが……わかってきた。

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