おはなししましょ(1)あなたの家族は?
シュンをね、ずっと、……ぽんぽん、そのままぽんぽんしながら私はなにげないふうで尋ねてみるの、
「……シュン。あなたの家族の話って、そういえば……ちゃんと、聴いたことがないわね。どんな家族なの?」
「……そんなこと、言って、教えちゃってあの、……家族にだけはぜったいにって僕、いつも……」
「そうじゃないわ。そうじゃないよ、シュン……あなたをいじめている南美川幸奈と違って、わたしはあなたをいじめない、……いじめたくってもいじめられないの、わかるでしょう……」
「……夢の。南美川さん、ですもんね」
「違うわ、シュン、信じて……信じられないだろうけど、わたしはあなたをいじめない――」
……そこで、ふっ、と思ったのは、
……わたしも最初シュンにおんなじようなことされたなあ、って。
『そろそろ信用してくれたほうが僕も無駄に怒らないで済むかな』
ああ、そんなこと、……言われたなあって、
その思い出をなぞって、
……くふふっ、って、素でおもしろそうな声をわたしは漏らしてしまった。
シュンが困惑したようにこっちを見てた。だから、いいのよ、ってしるしにわたしはそのほっぺたを控えめにいちど舐めた、……そしてなるべく目が輝いて見えるように意識してシュンを上目遣いで、ニイッてして見上げた。
シュンはもっと困惑の色を深めている。そしてぼそりとつぶやいた。
「……変な、夢」
「夢じゃないわ。夢みたいでしょう。でも、……夢じゃないのよ。
だから、教えて。あなたのことを、もっと。あなたの家族のこととか、いろんなこと、……いろんなこと……。
……思えば十七歳のあなたとこうやっておしゃべりするのははじめてよね、
わたしたち、クラスメイトだったのに。……おかしいね。
……そっか、そう思えば、さ。
あなたがこうなっちゃったことも、」
……そしてわたしが犬になったこと、も、
「……ふふ。そんなに、嫌なことばっかりじゃ、……ないのかな……」
もちろん、もちろん、――嫌なことのほうが巨大だから、だ。
それはそうだよ。だってこのままだと、たぶん、わたしの家族は容赦なくこのひとを――人犬にする。
……シュンも、犬になっちゃう、……つがいにしたいとかいうワケわかんない理由のせいで、……わたしのほんのちょっとの意固地な気持ちのわがままで、このひとまでも――わたしのいる地獄に、墜とされようと、しているのだ。それが嫌だっていうんじゃなければ――なんなの?
けども、……けども、
もとからどうせ嫌なことなら、せめて、……せめて、
わたしがもうにどと会えなかったはずの、
知り合いだったけれども、なにもかもが間違っていたころの、
十七歳のあなたとおはなしをしてみたい、って――
……そう、思っちゃうのは、やっぱりわたしの悪しき楽観主義かしら。
けど、だとしても、……ね。
「……シュンの家族って、どういうひとたちなのかしら。
お父さんと、お母さんは、いるの……?」
「……ほんとに、なにも、しませんか。家族には……」
「……しないわ。約束する。……あなたの家族に危害を加えたりなんかしない」
しないというよりは、いまのわたしは、もちろん、だれであれ人間に危害を加えるなどということは、無理で。
けども、このひとがそこまで過剰に心配するほど、そうねよ、――わたしはこのひとをいじめていた。それは、事実だ――そうよあのときはこのひとにも家族がいるんだなんてことさえ、思い至らずに。……わたしは、ほんとう、……ほんとうに、ね……。
シュンは、寝返りを打つようにしてばたんとこっちに倒れてきた。荒く呼吸をしながらも、とろんとした目がそれでもすこしだけはっきりしている、そして、……ちょっと興味をもった目をしているのね。わかる、わたしには、わかるんだから、あなたの表情はね……シュン。
「……じゃあ、なんで、訊くんですか」
「なんでだと、思う?」
「……わかりません、けど……わからないから訊いてるんです、けど……」
「ごめん、ごめん。ちょっとからかってみたくなっただけなの……ね、そんな不機嫌な顔しないでよ」
わたしはそう言いながら、右の前足でシュンの鼻を軽く押さえた。すぐに放したけど、……シュンは不可解だって顔をしていた。
「……知りたくなっただけなのよ」
「……家族の、こと、ですか? 僕の……」
「うん。そうよ。……あなたに興味があるんだもの」
「……家族は、関係なく、ないですか……」
「あなたはきっとそう思っているのよね、でも。関係、あるわ。あなたを、……あなたがこういう人間になるように、育てるってかたちで、かかわってきた、ひとたちのこと」
「……僕がそんなに出来損ないだって言いたいんです、か、」
シュンの声はあまりにも素でそのままに男のひとの低さで、けども様子はすぐに、変わる、
「あっ――え、えっと、……すみません、僕、そんな、そんな強くその、南美川さんに言う気なんてなくて、ごめ、ごめんなさい、……だから僕は駄目だっ、すぐにっ、調子に乗ってっ――」
「いいのよ。いいの。……いいって、言ってるでしょ。それに、ね」
わたしは両方の前足のふさふさしたところで、シュンの両方のほっぺたをぺちゃんと挟んだ。……ときには、言葉よりもずっとこういった行為のほうが安心をくれるんだってこと、シュンが、このひとが、……教えてくれたの。
「知りたい理由は、その真逆。
……あなたがどうしてそんなにすばらしい、……人間に、なれたのか。
わたしは、知りたい。知りたいの。――人間に生まれればみんなが人間になれるわけではないこの、時代で。
あなたは、とても人間に値してる。すくなくとも、わたしから見てね。……そんな顔、しないで。たしかに、そうね、あなたはいじめられたし、……能力の低いところも、あったわね。
けど、けどもあなたは最終的に人間になった。……再会してからのあなたはほんとうに人間だった……それって、ほんとは、……十七歳のころからそうだったのね。
思いやりが、あって――ひとを思いやることができるの。
……いじめっ子の、わたしに対してもよ? ほんと、……信じられないわよね……。
わたしは、……足りなかったの。
そして、あなたは、……充分すぎるほどほんとは、足りてた。
知りたい。知りたいの。
あなたのこと。もっと。
あなたが、どういう人生を送ってきて、なにを思いながら毎日生きてて、好きなものはなにかとか、嫌いなものや苦手なものはなにかとか、家族、友達、……夜にはなにを考えてるの、って……。
いまさらよね。でも、知りたいの。
十七歳のあなたとわたしはもういちど会えた――」
いまはそんなきれいな状況じゃない。けっきょくのところ、気休め、心の現実逃避に過ぎないのかもしれない。
……このひとは、なにかのお薬でなぜだか心が完全に退行して、お熱が出ていて、しかも腰のベルトでつながれていて、わたしは犬で、……もう、どうにもすべがない状況だわ……。
なのにわたしはいま自分でとてもきれいに笑ってると感じていた、耳も、ピンとどこか誇らしげに直立しているのを感じる、
「……おはなし、しましょ。教室で、できなかったこと――」
あなたはわずかだけどたしかに目を見開いた。
そうね。十七歳のあなたと、教室で、できなかったこと。正確に言うなら、……わたしがあなたにけっしてゆるしはしなかった、こと。
それは、ね。
おはなし、すること。
会話、することなの――。
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