笑って
化ちゃんはやっぱりそっと笑う。……柵越しで、そこに、しゃがみ込んだまま。
「ふふ。そんな顔、しないでよ、……姉さん」
「どんな、……どんな顔よ……」
「そうやって、あんまりこっちを警戒しないで。ぼく、姉さんの弟だよ、忘れちゃったの、忘れてないよね?
それにね。姉さんはね――笑っていたほうが、かわいいんだよ。だから、笑って。ね? 姉さん」
「――いまさらなにを言ってるの!?」
わたしは毛皮を逆立たせて剥き出しの背中の肌に鳥肌を立てて、
四つ足でもせいいっぱい高いところに首を持ち上げた、
叫んだわたしのそれは剥き出しの本音だった、
「わたしに笑ってとか、化ちゃん、ぜったい言えない! 言えないでしょっ、ねえ、――そんなこといまになっていまさら言うくらいなら、どうして、……どうして、真ちゃんを止めてくれなかったの!? パパとママに言ったってよかった! 狩理くんだって! あなた、あなたの、化ちゃんの言うことなら、きっと、みんな、聞いてくれたんでしょ!?」
化ちゃんのようすは、……変化がない。
わたしのことを見てて、ただ、どこかしら薄気味悪く嬉しそうに、わたしの、こと、見ていて……
「なんで、なんでよ化っ、あなた、あなた弟でしょう、わたしの、弟なのに、それを言ったら真もそうよ、なんで、なんでいつのまにあんな子になっちゃったの!? あなたたち、ずっと、……仲よくて、ふたりだけで、仲よくて、わたしだけきょうだいのなかで、ひとりな感じで、でも、でも五歳違うし、あなたたちはふたごだしって、ずっと、ずっとずっと、――それでもかわいい妹と弟だって思ってたのよ!」
「……ん?」
化ちゃんは、首をかしげた。
「……姉さん、なにか、興奮してるね。そういうとき、には、姉さんは、さ。……ぼくのこと、も、真ちゃんのことも、姉さん怒るとちゃんづけしてくれなく、なるから。
真ちゃんは、……ともかく、ぼくは……姉さんに化ちゃんって呼ばれるほうが、好きだな」
「――だからさっきからなにを言ってるの!? 化、あなた自分が、……自分たち家族がわたしに対してやったこと、ちゃんとわかってるわけ――!?」
「……家族が、姉さんに、やったこと? うーん。えっ、と。あ。……姉さんを、育てたこと?」
「違うでしょ!? 育ててもらったって、こん、な、……こんな身体にされて人権も奪われてたら、そ、育てたなんて言えないわよ!」
「あ、でも、そうだね。別のアプローチになる、けど、姉さんを育てた、のは、姉さん的にはお父さんとお母さんであってきょうだい的立場のぼくたちは異なるんだよね」
「ちが、違う、ちが、う、でしょ、あなた、あなた本気で言ってるの、ふざけてるの――!?」
「……うーん、でも、姉さんがお父さんとお母さんに、育ててもらった、事実は、消えない」
「恩を着せようとしたって無駄よ、こ、こんなことにされて、育ててもらった恩もなにもないわよ!」
「そんなもの、かあ」
――馬鹿なんじゃないの、化、
「こん、な、ことに、わたしの身体も人権もめちゃくちゃに、しといて、――あなたはどうしてそんなにのんきなのって言いたいのよ、わたしは!」
「んん……? えっ、と。それは、つまり。姉さんが人犬になったっていう――」
「そのことに決まってるでしょう!? あな、あなた頭いいんだから、そんなことくらいすぐわかる、でしょう、お姉ちゃんのこと馬鹿にしてるの――!?」
思わず遠いむかしのきょうだい喧嘩のときみたいに反射的に自分を、お姉ちゃん、って言っちゃって、
言ったあとに言葉が止まって勢いがすこしだけしぼむ、お姉ちゃん、ああ、――わたしはこの期に及んでこんなふたりのお姉ちゃんだって、思ってるのかな、自分のこと、だとしたら、ほんと、ほんとにおめでたい、いったいわたしはどこまでおめでたいのよ――
化ちゃんはちょっとだけ困ったように眉毛を下げた。
「……ごめん。姉さん。ぼくは、もしかしたら……なんにもわかって、なかったのかも。しれない」
「そう、そうよ、化ちゃん、……わかってくれた? ねえ、ねえねえわたしの気持ちをっ――」
「姉さん、もしかして、犬になりたくなかったのか」
……え?
えっと。
はっ――?
わたしの動きは一瞬だけれど呼吸ごと硬直した。呼吸はすぐに浅くはじまる。まるで本物の犬がハアハアしてるみたいで嫌だけど、そのくらい浅い呼吸になっちゃっている。
おめでたいの、……おめでたいのよわたしはほんとに、どこまでも、
姉としてかわいがっていたつもりの妹に、……犬のようにおもらしさせられて、あんなに馬鹿にされて笑われた、夜の次には、
姉としてかわいがっていたつもりの弟が、……意味のほんとうにわからなすぎることを言ってる、朝がくる、いまきてる……。
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