「きれいで、すばらしい朝」
そうやってわたしがシュンの素肌のあちこち、ほんものの犬のようにかまわず舐めているうちに、わたしたちはいつのまにか眠ってしまった。
ううん、ほんとはね、……シュンも、だなんて確証はないの、
わたしは泣きながら……いつのまにか、でも、それでも眠たくなって、まぶたも動きも、重くて、舌をシュンのお肌に伸ばして這わせること、続けようとするんだけど、ああ、……眠たくなってきて、ね、舌のちろっと出る動作はなんどもなんども止まってしまって、ぺろ、ぺろ、って、せめて舌を……ほっぺに置こうとした……でもだんだんわからなくなった。わたしは、……眠っていた。
だからシュンも眠ってくれていてくれたかだなんてほんとうはわからないの、
だから、だからね、わたしの願いとか祈りとか、そういうものでしかないのね――
シュン。あなたが、……あなたが、せめて眠れていますようにって――わたしは全身でそう思いながら、シュンのほっぺたに両方の前足ちょこんと乗せたまま、だらしなくずり落ちたわんこの伏せみたいな格好で、そう、思いながら、……いつのまにかそれでもすやすや、すやすや、眠ってた……。
うつらうつらする意識のなかで断片的に思ってた、
あなたが――眠れますように。
せめて悪い夢を見ないで、……悪夢にあらわれてあなたを苦しめるのはやっぱりわたしなの、……あなたをいじめたわたし、なの、
ごめん、ごめんね、――わたしにはほんとうは願う資格も祈る資格も、ない、けど、
けど――眠りのなかだけでは、せめていまは、……やすらかでいて……。
……最後まで、わたしが犬の耳で聴いていたのは、シュンのときおり上げるうめき声と、静かすぎる――すすり泣きの声だった。
わたしたちは、お互い、ぐちゃぐちゃだったんだと思う。
★
コトン。
小さな音で、意識が戻った。考えるより前に、右耳がピクンと動く。
尻尾を大きくゆらりと揺らした、……ううん、まだ眠いよ、なんかすごく眠たくって、なんでだろ、ねえシュンわたしまだ寝たいわ、眠たいの、あれ、でもちょっと、……重たすぎるなあ、きのうはいつどのタイミングで眠ったんだっ、……け……。
――わたしはその瞬間やっと状況を思い出した。
目を即座に開け、ガバッと全身で起き上がる。尻尾も耳も硬直した。前足と後ろ足の毛皮はゾワワと毛羽立つ。
……すでに明るくなっていた。すりガラスだから外の景色はわからないの――けどそれでもこの部屋にはね、光だけはちゃんと入ってくるんだから。
わたしはけっきょく、シュンのほっぺたに前の両足を置いたまま眠ってしまっていたみたいだった。
シュンはおおむね眠れていそう……ときおり小さく、ん、と言ったりはするけど、シュンはそれはいつものことだ、苦しそうな顔ではあるけどちゃんと眠れているみたい、……苦しそうに眠るのは、このひとは、いつもだから……。
……ちらっと、制服のズボンのそこのところにも目を、やったけど、……すこしはシミの色が目立たなくなってるわ、乾いたのよね、でも、でも――これからはどうすればいいの?
そう思ったときにちょうどもういちどコトンと音がしたからそうだとわたしは振り向いた、
「……おはよ。姉さん」
静かなトーンでのっぺりとしていてそれでいて不機嫌そうではなく、でも、なんだかどことなくとてつもない違和感を残す平坦さの声で、言うのは、
わたしにはけっして届かない高さの柵の、外で、――なんだかあえてそうしているみたいにしゃがみ込んで、
もう二十歳になったはずなのに相変わらず奇妙な幼児性の残るその表情で、うっすらとにこにこ、にこにこしながらこちらをとても嬉しそうに見つめて、いるのは、
わたしの、……弟の、……化ちゃん、
そして――
「姉さん。きれいで、すばらしい朝だ。そして、姉さんは、けさも、かわいいね」
――得体のしれない化け物みたいな、人間。
化ちゃんはいま、
古典的な空想上のメタリックな宇宙人みたいな表情をするの、笑顔なのに穴ぼこで笑ってる、みたいで、
そうよ化ちゃん――あなたはたしかにわたしの弟、そうよ、ずっと、……ずっとそう思ってたよ、
ううん弟であることはとくに関係ないのかもしれない、あなたは、……あなたはもしかしたらずっと宇宙人だったのかもしれない、
いろんなこと、……うかがっていて。
だって、化ちゃん、ごめんね――あなたはわたしの弟であるはずで、十八年はいっしょに暮らしてきたはずなのに、わからないの、あなたのことって、……よくわからないのよ、せいぜいわかるのはね、わたしではなく――真ちゃんの陰にずっといた、ってことくらいで。
化ちゃんはそんなふうにとても嬉しそうににこにこしたまま言う、
「ぼくは、けさも、……姉さんのこともあいしているよ」
なに、を、――いまなにを言ったの、
あなた、あなたやっぱり――
……バケモノ。だったの? わたしの、弟……南美川化という名前の、引っ込み思案な、男の子は、じつは、ほんとは――
ずっと、ずっと、なにを考えて、思って、……そしてどうしてこんなことになったの……ねえ、どうしてこんなことになったのよ、なんで、なんで……なんでなのよ……。
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