襲われる
シュンのその、視線に、
……わたしは、なんだかどうしようもなくなっちゃって、ふいと横を向いた。まるで犬がそっぽを向くみたいに……。
そしたら、――シュンのすがるような手がわたしの肩、……つまり人間としての肌と犬としての毛皮のあいだの境目に、ふれた。
……だからわたしももういちど彼に視線を戻さざるをえないのだ、おすわりの体勢で人間の顔を見下ろすのは、なんだろう、なんなんだろう、こんなにも、近くて、
「……なあに。シュン。言いたいことあるなら言っていいのよ……わたし、さっきから、そう言ってる……」
「……お、こ、って、ない……ですか?」
「怒る……?」
「ぼ、く、……キタナイこと、しちゃったから、」
――そうよシュンの生物としての生理現象をさんざん汚い汚いと嘲笑ったのは間違いなく、わたしなの、
「……子どもみたいなことまたしちゃったから……」
男のひとに、こんな恥ずかしそうな顔させて、――きっとこんな表情の語るがごとく恥ずかしいのと情けないのと屈辱なの、なんもかんもを、このひとのなかで生じさせて、
「……ごめんな、さい、あの、……怒らない、で、……怒らないで……」
それでいてわたしはあなたの人間性を、まるでフラスコのなかでそうするみたいにぐちゃぐちゃにかき混ぜて、
蹂躙して、ただ使い捨てて、玩具としてなんども実験を繰り返して、
「……おもらし、したの、謝る、から、」
できあがったのが――
「ごめ、んな、さ、」
犬になったわたしにもこんなにもすがる、
来栖春――という人間、だった。すくなくとも十七歳のときには、このひとは、――そうできあがっていたのだ。
……わたしは、うつむいていた。
自分の金髪が垂れる……。わたしの影のせいなんだろうけど、それにしてもわたしがいま見下げているこのカーペットは、ずいぶんと暗闇の色に染まっていると、思った。
わたしのシルエットにはちゃんと犬耳もとんがっている。
もうほんと、泣きそう、うるっと、きてるよ、目がもう限界だし……ぐっ、と唇を引き結ぼうとすると、かたくなりすぎちゃうのよ、でも顔に力込めてさ……あ、……ああ、だめだよ、泣いちゃうよ……。
……シュン……。
わたしはうつむいたまま、ぽそり、とひとりごとを装って、言った。
……きっといまのわたしはとても切羽詰まった顔を、してるの。
「……舐め取ってあげるわ。あなたの、ぜんぶ。汚くないって、いまのわたしは証明してあげるもの」
そう、そのくらいのこと、そのくらいのことは――調教施設での舐め取り訓練からすれば、なんてことはない。あのときは、どこのだれとも知れない人間のものや……調教師たちのそれとか……サイアクだった、もの。
犬はほんとうに舐める生きものなんだって骨の髄まで惨めに叩き込まれた、舐め取ることを徹底的に仕込まれた――。
「……え。なんですか、いま、南美川さん、なにを……」
……わかっていないシュンは、ほっとくことにした。
いいよ。……いいの。わたしが、わからせてあげるの。
人犬のわたしを抱きしめてくれたあなたに、こんどはわたしが……。
……わたしは、ぺた、ぺた、ってシュンの下半身のほうに寄っていくと、……その湿ったところも確認して、カーペットがしとしとにまるで影の色のように染まっていることを、確認して、ズボンのそこのところそっと見上げて、顔を近づけて口を開いて――
びょんと跳ねるように目の前のそれが大きく動いた、……遠のいた。
シュンが――腰をさらに折ったうえで、ずり、後ろに下がったのだ。
「……な、にっ、してるんですかっ」
わたしは上目づかいでシュンを見る。
「……キレイにしてあげようと思ったの……」
「だ、め、ですよ、どうしたの、――どうしたの南美川さんなにかおかしい、」
シュンは顔を赤くしてそう言うと、……こんどは胎児みたいに身体をこれでもかって、ほどに、まるめた。――きっと隠しているんだ。守って……いるんだ、自分で自分の、だいじなところを……。
「……僕のこと、馬鹿にするために、……そんなことまでしなくてもいいじゃ、ない、ですかあ……」
「……馬鹿になんてしないわ。ただわたしはあなたのことを、」
「僕だって、――僕は、こんなんですけど、……せ、い、性的なこと、くらい、ちゃんと……とっときたいんです……」
わたしは、動きを止めた。……尻尾ごと。
――あ。
「襲わないで、ください、僕のこと、お願いです……ほかのことならなんでもします、だから、だから……」
わたしの、心は、硬直していた。
シュンは、――十七歳のシュンは、そっか、……わたしがそうやって舐めようとすると、
それを――襲われてる、って感じてしまうんだ――ほかならぬわたし自身のあのときのふるまいの、せいで。
そうだよね。
……そうだよね。
襲われるっていう考えは、なにも女の子の特権じゃないものね。
……尻尾も、耳も、へちゃりと垂れた。
シュン、ごめんね――気づいてしまえば当たり前なそんなこと、気づくのが、遅くて。
何年越しだってこと、よね――ほんとうにわたしはおばかさん。
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