シャットダウン、

「……なにを、言っているんですか……」


 僕は南美川さんを抱きかかえてそこに立ったまま、素のトーンで言ってしまった。

 もちろんこのひとたちが、――やばい、やばすぎるというのは、知っている、

 それなのに僕は、言葉を噛むこともなく、変に区切ることもなく、やたらとはっきりした声で――明瞭に、南美川夫妻に問いかけていたのだ。


 いや、かえって――だからかも、しれない。

 僕はずっと、南美川さんや峰岸くんのことは、怖かった。脅えていた。

 真と化も怖いといえば怖い、んだけど――それは恐怖というよりはもっと、理解不能であることに対する薄気味悪さ、とでも言ったほうが、しっくりとくる。


 そして、南美川さんや峰岸くんより、そしておそらくは真と化よりさえも、……上位なのであろう、このひとたちに対しては、

 わからなすぎて――もはやふるまいを取り繕えなくなる。

 ……そんなもの、取り繕ったところで、このひとたちには意味がないと――そうも、思う。



「つがいとか、ムコとか、なんなんですか、僕と南美川さんを……幸奈さんを、どうするつもりなんですか……?」

「――はっはあ、そんなに萎縮しないでおくれよお、ね? ムコくん」

「そうよお。……だってあなた、」



 南美川母がつかつかと歩み寄ってきた、僕は思わず身体を引いて、腕のなかの南美川さんをも、かばった。

 よけられない、逃げ切れはしないこんな室内の部屋では、広いといえども部屋のなかなんだから――それにダイニングテーブルのほうには真と化がこころなしか楽しそうにこちらを見ているし、峰岸くんなんか、――もううつむいてしまってこっちを見てさえいない。



 南美川母は僕の耳元でまるで娼婦のようにささやいた、――僕は性のプロフェッショナルとは会ったこともないし、そもそも娼婦という言葉じたいがもう古いことは、知っている、それでも、――とっさにそう思ったのだ。

 娼婦のように。……僕の耳たぶを噛んでしまいそうなほどの、近くで。




「あなた、幸奈のことが、好きなんでしょう?

 いいわよ。――結婚させて、あ、げ、る」



 だから、なにを――そう言おうとした僕の言葉は、口から出てこなかった。

 南美川父の動作を見たからだ。まるでゲームに出てくる黒ずくめの魔術師みたいに、シルクハットに片手をやって口もとだけで呪文のように唱える、余裕、たっぷりな表情をして、――あ、あれは、おい、ちょっと、もしかして、




「――Shut Down,Neco.By...」



 ――シャットダウンコマンド、だった。

 僕はさっと血の気が引く。シャットダウンコマンドだと――?



 南美川父はそのあとに続けて自分の社会IDコードを言った、

 あっ、ちょっ、……と、まずい、これはマズイ、大変よろしくない、だって、だって、


 ……いや、いやいや、Necoがそう簡単にシャットダウンを受け入れるはずがない、だってそんなのはよっぽどの――



「Ok.」



 ――ピコン。

 嘘だろ――この家のNecoがシャットダウンされた!



 なんで。どうしてだよ。――どうしてそんなコマンドが実行できるんだ。

 なんで、なんでなんでなんで、シャットダウンコマンドなんて、ロックがセキュリティが権限が――




 僕はそこでピンときてしまった。

 そうか。

 ――そうか。



 国家機関所属者の権限だ――! そうか、そうか、たしかに専門書籍にも書いてあった。僕も大学でいちおうひととおりは勉強したところだ――「Necoシステムと実際社会」というNecoシステム専門課程の授業だった。

 国立機関所属者のみが使える特権的なNecoコマンドというのがある、と。僕たち対Necoプログラマーは、国立機関に所属でもしないかぎりは、そのコマンドの実行権限はない。けども国立機関のいわゆるおえらいひとたちがそういうコマンドを使うことはあるし、プログラマーはそういった知識があるに越したことはないから、特権的なNecoコマンドのなかでも代表的なものくらいはプログラマーは覚えておきましょうね、っていうふうに、教わった。

 国立機関というのもいろいろあるにはあるけど、代表的なのは、国家政府、高柱研究所、そして――倫理監査局。



 倫理監査局なんだよ――そうだよ、そうだよ、――このひとたちは倫理監査局の人間でもあるんだから!



 ……ま、ずい。まずいよ。

 南美川さんの遺伝子情報と社会ポイント評価表は、もうすでに僕のクローズドネットに送信された。それはもう僕のクローズドネットにあてたものであり、パーソナリィなインフォメーションなわけだから、それじたいが、つまり送信したという事実じたいが変わるわけではない。

 目的は、……果たせたといえば、果たせたのだけど、



 それで僕たちが家に帰れなかったらどうしようもないだろう――!





「……あら。どうしたの? おムコさん?」

 南美川母が僕の肩に手を乗せて、ねっとりとした手つきでさすり回す。ほんとうに――娼婦の、ようだ。

「そんなに慌てた顔をして……ねえ、いいじゃない。……ここでみんなでいっしょに暮らしましょ?」

「……なに、を、言ってるんですか、僕は、帰る、帰りますよ、」

「――だってあなた幸奈との結婚の許可をもらいにきたんじゃなかったのお?」

 なんだこの甘えた少女のような声は、母親だろう、南美川さんの母親で、僕の母さんとたぶんだけど同年代なんだろう、

「いいのよ、幸奈なら。あなたに、あげる。だから……」




「やめてママ!」



 南美川さんが、裏返った声で全力で叫んだ。

 南美川母は気がついたらその手に針をもっていて、僕の腕に刺そうとしてくる、……な、にを、してるんだよ、それは犯罪だろ――ってそうか、いまはこの家の家ネコシステムが停止してるから――ああ!



 僕は済んでのところで避けた。でも勢いあまって、床に倒れてしまう。

 南美川さんは、抱きかかえたまま、まるでスライディングするみたいに、――土砂降りのなか南美川さんに再会できたあの日みたいに。



「……なんで、逃げるの? おめでたい、はなしなのに」

「……そんなの、決まってます、僕はあなたたちのことが――」




「シュン! ――危ない!」



 さらに、大きな、南美川さんの絶叫だった。

 南美川さんは僕の背後のほうを見ている。僕はとっさに、振り返る。



 大きな棍棒があった。

 シルクハットの、紳士がいた。

 表情はうまいこと逆光になっていて、わからなかったけど、

 ――その大きな棍棒が僕に向けて振り下ろされることなら、わかったし、




 その紳士は口もとにたいそう楽しそうな下卑た笑みを浮かべていたのだ、



 や、ばい、――ヤバイよ、



 避ける間もなかった。

 ――ドガン。




 ……くらくらして。ふらふらして。

 ぐるぐるして、倒れる。

 すべてのことが、よくわからなくなる。

 痛みとか、……心のほうも、頭のほうも、

 わからなくって……わからなくって……。



 ……ただ。たぶん。ここでたおれるのって、さっきも、そうだったよね。

 ああ、僕は、――僕は学習しないなあ。

 甘っちょろくて……おばかさんで……。



 南美川さんにもいつもそこをいじめられるんだよなあ――ねえその通りだね、



「……なみ、かわ、さん」



 ぐらつく視界のなかで金髪の仔がキャンキャン鳴くかのようにして僕を覗き込んでいる。

 ああ。……なんだっけ? 僕。



 犬を、飼おうと、したんだっけ? ――ああ違うよこの子はさ、



「……南美川さん……」



 右手を、伸ばした。

 でも、それよりもやるべきだったのは、……なかばもう本能的に、左手で、

 僕はスーツのズボンに左手を突っ込むと、……そのボタンを、押した。



 押しといた。――その瞬間、意識が大揺れして、ぐらりと、限界がくる。



 遠のく意識のなかで、右腕に強く針を刺されていることだけがわかった。小さいころに受けた――注射治療みたいに。




(第六章、おわり。第七章へ、つづく)

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