つがい

「――わかるもん!」



 南美川さんは、僕の腕のなかでじたばたとしている。だから僕はちょっと抱く腕の力を強めた、南美川さんの全力は……僕にちょっとした力の加減によって抑えてしまうことができるのだ、そう最初から僕は思ってる、人間というのは――四肢を獣のソレにされるだけで、こんなにも、か弱い。



 南美川さんは、なおも、叫ぶ。



「わかるよ、パパとママの考えてることくらい、わ、わたし、わかるようになったんだから……! あのあと、い、いっぱい、考えたの、考えたんだもんちゃんと、い、――いぬに、なってから、わたしが犬になってから、ほかに、ほかに、やることもないし、……やれることだってなんもなかったんだから、わたしずっと――考えてたんだからっ、パパとママが、なんで、どうして、ほんとうは、どうしたかったのか、って……!


 ――パパとママはほんとうにわたしのことなんかどうでもよかったんだ!

 ううん、それだけじゃないよ。狩理くんだって、真ちゃんだって、化ちゃんだって!

 ほんとうはどうでもいいんだ。どうでもいいんでしょ! ――だって遺伝子のことばっかりパパとママは気にしてた!


 わたしにも真ちゃんにも化ちゃんにも、狩理くんにだって、遺伝子エラーだけは気をつけろ、っていっつもゆってた、定期検診以上の検査も、いろいろ、いっぱい、したよね!

 あれはわたしのこと心配してくれてたのかなってずっと思ってたわたしが、馬鹿だったの、犬になってからそんなのだって気づいたけど、

 遺伝子にもしもなにかあったら、すぐに治さない、と、――タネがひとつ、減る。遺伝子のタネが……! ただ、それだけだったんでしょう?



 それに。それに。――それに!



 わた、……わたしは、自分で言うことじゃないかもしれない、けど、――あのあとそのまま就職してれば、……生物学の研究者になって、社会に、プラス、生み出せたよ! 生み出せたんだよ、ねえ、――そんなのみんなわかってたんでしょう!?

 それなのにパパとママは真ちゃんと化ちゃんの言うことばっかりはいはい聞いて。でも、でもそれだって真ちゃんと化ちゃんがかわいかったわけじゃ、なくて、――ふたりが優秀者だったからなんだ!



 ……わたしばっかりこんな目にさ……。



 ……ねえ。なんで?

 なんでなの? ……なんでだったの?



 なんで、わたしは、こんな身体にならなきゃいけなかったの?

 なんで、人間じゃなくならなきゃ、いけなかったの?



 なんでわたしだけ、いま――犬なの? やだ。やだ。やだよお……やだよお!」



 ……南美川さんは、いま、いろんなことを言った。

 すべてが、すべて、論理的というか、筋が通ってるというか、……シンプルな問いかけにはなっていなかったかも、しれない。



 それでも僕には南美川さんがいま叫んだことには、たったひとつシンプルな意味になってると、感じた、――彼女の家族に対して。

 それは――



 なんで、自分だけが、……こんな理不尽にまみれているのか、っていうこと。



「……戻してよお……」



 南美川さんは、ああ、――泣き出してしまっている。



「パパと、ママなら、わたしの人間だったときの書類、持ってる……記録とか、いじれないのかな……。

 えっ、えぐっ、戻して、――戻してよお、もう、犬でいるの……いやだよお……」



「――書類ならあなたのムコどのが吸い取ってしまったさ」



 南美川父が――言った。いつのまにか、ひどく、……冷淡になって。




「幸奈。パパたちの、なにかが、わかったんじゃないのかい。……話の頭とお尻がずれてる。もう、パパたちが教えたこと、忘れてしまったのかい」

「しょうがないわよ。きっともう――忘れてるのだわ。人犬になるって、たいそうつらいことなのでしょう。ね。仕方ないわよ具里夢ぐりむ。ひとりくらい、可能性として、そうなるわ。仕方ない、ひとりくらい、仕方ない。……遺伝の神秘はいまだ解明しきれてないっていうじゃない」




「そうはわかっていてもなあ――自分たちにところどころ似ているのに、……まったくおぼつかない人間っていうのをこう目の前にするとねえ、どうにも」



 ……いま、なんて。

 なんて、ことを。



 なんてことを――




「わかる、わかるわよ具里夢。けど私たちの夢はまだ終わらない。そうでしょう?」

「わかってはいるつもりなんだけどね叉里奈さりな……」



 互いの、――名前だろう、呼んだ、なんだかとても変わった名前だが、そのせいで僕はわかってしまった、

 このひとたちはつまり、ネネさん――寧寧々ねねねという名前や、あと冬樹家の刹那せつなさんや呼世理こよりさんや、

 つまりたしかにその世代なんだ――そういう、オリジナリティを煮詰めすぎたようなネーミングセンスが流行ったのは、……たしかに、僕たちの親世代なのだから。



 ……南美川さんはぷるぷる震えてしまっている。手足もなんだけど……とくに、尻尾がとてもとても耐え切れないかのように感情に合わせてぶるぶると――ぶるぶるぶるぶると、震え続ける。



 だから。

 僕は、もう言わずにはいられなかった。



「……南美川さんの、お父さんとお母さんが、……そんなつもりでいるなら。

 幸奈、さんは、……やっぱり僕が引き取ります。だから――帰らせて、ください。いますぐに」



「……おうおう。ずいぶんと、言う、ムコどのだねえ?」

「だいじょうぶよムコさん。……はじめからそのつもりだった」



 ふたりは、もういちど、完璧な絵画の幸福そうな男女のように、僕を見た。

 笑って。――笑顔で。



 そして南美川母が言う、




「――幸奈とつがいにするならきっとあなたがふさわしい」

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