ハッタリでも

「……は?」

 峰岸くんは眉間をピクリと痙攣させるかのようにして引きつらせた。

「じゃあなんだよ。御宅には、幸奈のことがわかるってわけ?」

「わかってると、思うよ。……すくなくとも峰岸くんよりは」

「はー、はあはあ、言うようになったねえほんと、幸奈の玩具でしかなかった人間がさ」

「だから、だよ。……僕はクラス全員に、底辺者だと思われていた、そんなことは峰岸くんのほうがよく知っているだろうけど、……とりわけ僕は南美川さんにとてもいじめられた。そんなことくらい、覚えている。とてもよく覚えている。健忘症になったところで、あのときいじめられたってことは、最後の最後まで消えてくれないんじゃないかな。だって僕は、……風邪で高熱を出したときとか、眠れない夜とか、あとは夢のなかでさえも悪夢で、……ずっと南美川さんの幻覚を見てしまってたくらいなんだよ。だから、かりに僕が記憶を失っていくとしても、……南美川さんのことは最後なんじゃないかってくらい。……ね。キモいでしょ」

「ハハ、ああ、とってもキモい。鳥肌立ってドン引き」

「……はは。でもさ、そんなにイイ夢を見てたわけじゃ、ないんだよ。いつも、つらかった。ほら、あのときさ、……峰岸くんにもそうだったけど、僕はクラスのみんなさんくんづけで呼ばされてたわけじゃない」

「キッツいんだよなあ、それ、社会人くらいのいまくらいになればまだしもさあ、男子が男子にくんづけってキッツいもんあんだろ。幸奈は女子だからさー、まーた残酷なことするなあくらいには思ってましたわあ、ハハっ」

「そう。だから南美川さんのことも僕にとってはずうっと、南美川さんでさ。高校卒業してからもずっとそうとしか呼べなかったし、いまもそうなんだ。……どんなに近くなっても、ずっと名字にさんづけじゃないと呼べないよ」

「キッツ」

「うん。きついよ」

「やっぱ幸奈にいろいろイイことしてんじゃねえか、ケダモノだな、あんな人畜無害ないじめられっ子だったくせによ。ああ、違うかあ、逆かあ、――御宅ずうっと幸奈にそうしたかったってわけだな? ハッ、俺が昼に御宅を出迎えたときにしゃべったことでジャストじゃないの。――どうやって幸奈を手に入れたんだ? 御宅にゃ無理だろ、ひとりじゃ、加工後の幸奈を特定してめっけるなんざ。アクセスプロセス社にはそんなヒューマン・アニマル入手の裏ルートでもあるっていうのか。クリーン企業だと思っていたんだがねえ」

「会社は、なにも関係ない。それははっきり言っておく。南美川さんを購入したのは僕の個人的なプライベートだし、偶然でしかなかった。僕はある日の会社帰り、たまたま、ペットショップで彼女を見かけた。だから買って、連れて帰った。それだけだ」

「はー、マジで? そんな偶然、ある?」

「……それは僕だってびっくりしたんだから。ただ――」

 南美川さんともしもういちど街でばったり会えるとしたら、その金髪リボンを見逃さない――僕はつねに薄ぼんやりと、そんなことを意識していたような気がする。積極的にキョロキョロとさがすわけではなくても、……いつでも気持ちのどこかで南美川さんをさがしていた。

 しかし、そのことは峰岸くんには言わないことにした。向かう言葉の先を、当たり障りのない表現に置き換える。

「……南美川さんのことは、僕は、ずっと覚えていたから」

「……それが、なに?」


 僕の拘束されているダイニングチェアの背もたれに肘を乗せ、据えた目のじとりとした視線で銀縁眼鏡のレンズの奥から僕を睨みつける峰岸くんは、たしかに、たしかに――不機嫌だった。


「さっきからさ、なんなの御宅。アイツのことまるでわかってますよみたいなさあ、あんな底辺だったころのことまでさあ、まるで楽しかったですよーみたいにぺらぺらぺらぺらしゃべりやがってよお」

「……だって峰岸くんは同窓会がしたかったんだろう?」

「は?」



「僕のこと縛りつけてまで同窓会がしたかったんだろう?

 だったら、語ろうよ、語り明かそうよ、高校のときの修学旅行みたいに。

 縛りつけられているのは僕はあのときとおなじだから、かまわないよ。――むしろ服を着せてくれていちおうは人間として扱ってくれるだけで、僕に対しての待遇がよくなったことを感じる」



 峰岸くんは、舌打ちをした。

 それとおなじタイミングで南美川真がガタンと立ち上がった。



「……あたし、姉さんのお、ようすう、見てくるー」



 そのまま南美川真はぱたぱたと出ていって、階段を降りていく気配がした。

 僕の目は見開いていた。

 南美川さん。――下に、いるのか。



「……ふん。ずいぶん心配みたいじゃねえかよ、幸奈のこと」

「……心配だよ。心配に、決まってるじゃないか、南美川さんのことなんか。

 ねえ、知ってるか、――あのひといじめられると泣くんだ」

「幸奈が?」

「調教施設の傷は深い。……犬にされたことだって。

 南美川さんはいじめられるのも嫌だし、寒いことも怖がるし、……僕が買い取ったときなんて、死にたがってたんだよ。

 それはさ、……アンタが止めようと思えば、止められたんだ、なのに、なのに――」



 ああ。……いけない。

 せっかく、バシャバシャと酒を浴びせられた結果としてのなかば強制的な酔いで、……強気でいけてると思ったのに、

 南美川さん。あなたのことを真正面から語ろうとすると、僕は、こんなにも、泣きそうになる――



 もちろんそんな、……情けないままじゃいけない、僕は。

 僕は、弱気を引っ込める、――ハッタリでも。


「――どうして峰岸くんは平気なんだよ。そうやってクールでいるんだ。……あの身体の南美川さんを見てなんとも思わないのか?」



 がくん、と峰岸くんの腕が背もたれから落下した。力のバランスを、変に失ったらしい。

 峰岸くんは雪崩のように崩れ落ちて、床に膝をついた。膝立ちで、僕の拘束されている手すりに肘を乗せて――僕の顔をむしろ見上げるという奇妙な体勢で語る、――さすがに頬が赤い。



「じゃあ、じゃあさ逆に、――来栖はさ。

 あの身体の幸奈じゃなくてさ、……高校のときのさ、あの幸奈に対してもさ、そう思えたと――思う?


 なあ、ちゃんと思い出せよ。忘れてんじゃねえよ。いじめられたこと、そうやって都合よく忘れてんじゃねえよ。

 たしかに幸奈は、……魅力的な女の子だったさ。


 けど――おまえだって被害者だろうさ。

 おまえがいま幸奈に優しくできてるのは、幸奈が文字通り手も足も出ないから。だろ?



 幸奈がさ、もしさ、……いまも人間だったら。――御宅のほうが手も足も出ないんだぜ」

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