その映像(7)証拠

『やったじゃーん、幸奈。プロポーズされちゃったね。ねっ?』

 南美川母がまるで女子高生どうしがそうするみたいに、南美川さんの肩を叩いた。

『おいおい、お母さん、あんまりそうやって誘導するような真似は……』

『あら、いいじゃない。お母さんはこの子のこと気に入っちゃった。だって、度胸があるじゃない! この子ならきっと……幸奈が死にそうになってても、自分の命を犠牲にしてかばうくらいのことやってくれそう!』


 そういう――理由か。


『ははは、いやいやお母さんそれは違うぞお、――生き残るのはつねに優秀なほう。だろ?』

『あら、うふふ、ほんとねえ、私ったら、やだわあ、わが娘かわいさに!』


 南美川母はこんどは南美川さんの頭を撫でた。幼い南美川さんの眩しい笑顔から察するに、……ほんとうに、なにも、わかっていない。

 とてもおそろしいことを言っているとは南美川さんと再会した僕なら、わかる――つまり峰岸くんはそのあとの長い年月をかけて努力して、……南美川さんより、ある意味、優秀となった。

 ムダをなくしてくれればよかった――彼は南美川さんと最後に人間どうしとして言葉を交わしたとき、そのように言ったらしいけど。南美川さんが僕がその事情を聴いたあの夜、身体ごと小さくされてしまった南美川さんが、寒さでもっと縮こまって、僕のコートと胸のあいだで、縮こまって縮こまって、とっても小さくなりながら――そして泣きながら、僕に教えてくれた、その、こと。


 南美川母はささやくように、しかしねっとりと、言った。

『ねえ。幸奈。でも、どう?』

『んー……』


 幼い南美川さんはもったいぶるように、唇に指を当てた。そうか、――そうか南美川さん、この癖は、あなたのずっと元来のものなんだ。高校のときもなにかを――おもに僕を利用してどんな楽しいいじめの遊びができるか思案しているときに、南美川さんはいつもそうした。

 いまは、指が、手が、ないから――そういうときには代わりに尻尾をぱたん、と倒すようにひと振りしている、のかもしれない。いや、きっとそうだと僕にはわかった。

 人間の手足がなくなって、癖さえもおこなうことができなくなって、でも、なんというか、癖の根拠になっているその感情じたいは消えないわけで、たとえばこうやって思案するとき南美川さんはいまは尻尾をひと振りするのだ――。



 でもこのときの南美川さんには、もちろん、ふさふさの尻尾はないから。

 指を外して両腕を歌うときのようにひと振りして、ぱっ、と笑う――


『いいよ! そんなに言うなら、ゆきな、けっこんしてあげる!

 ねえねえー、ゆきなのおむこさんになる、あなた。お名前、なあに?』


『……あ、狩理……です。峰岸……』


 そこまで言って峰岸くんはもういちど剥き出しの肩を震わせると、おそるおそる、南美川父を見上げた。

 南美川父はジェントルマンな笑みを浮かべた。


『名字は、そのままでいいよ。……狩理くんはうちの幸奈と正式に結婚するまでは、峰岸のままだ』


 峰岸くんはほっとした表情になる。そして南美川さんに向き直り、真摯に続けた。


『……よろしくおねがい、します、ゆきなちゃん。ぼく、いっしょうけんめい、ゆきなちゃんの気に入るようにがんばるから……!』

『うん! 言うこといっぱいきいてね、かりくん、えへっ……!』


 峰岸くんは座り込んだまま、その手を南美川さんに伸ばした。

 さきほどは汚いと言い切った南美川さんだったが、その手ははねのけたりせず――素直に、取った。


 ぱちぱちぱち……拍手をするのは、南美川夫妻のどちらも、だ。


『うんうん、いいことだいいことだ。仲よきことは美しきかな……』

『よかったわねえ、ゆきな、許婚ができたわよ!』

『いいなずけ?』

『将来のお婿さんってこと! ……じゃあ狩理くん、このあとはすぐに病院に行きますからね。さっきおとなのひとたちにあんな酷いことされて、つらかったでしょう? かわいそうに。――おばさんたちが狩理くんのいろんな面倒を見るひとになってあげますから、もう心配しなくていいのよ』

『おかあさん、ねえ、おかあさん。――かりくんとゆきなは、いっしょに、住むの?』

『いいええ、住まないわよ。――でもね、狩理くんが人間でいられるようにね、住む場所をいっしょに決めてあげたりとか、ときどきごはんをいっしょに食べてあげたりとか、そういうことは、しましょうねえ。それにね、小学校はいっしょにしましょうねえ』

『わーい、かりくん、ゆきなたち、小学いちねんせいになってもいっしょだよ!』


 南美川さんは峰岸くんの手をとって、ぴょんぴょん跳ねた。

 峰岸くんはそんな南美川さんをどこか眩しそうに目を細めて見た――あ、あ、この動作も高校のとき、そしていまとおなじだ……。


『狩理くん。そういうことだ。ひとりで、生きられるかい?』

『はい。ひとりで、生きられます』

『えらいわあ。それでね、もっとだいじなのが――南美川家の奴隷になってくれるって、ここでちゃあんと誓ってくれる?

 この映像がずっと証拠になるから、ちゃあんと自分でそう宣言してくれる? ……そうしたら、はい、もうおしまい。こんなうるさいジジイたちの宴会場なんかおさらばしちゃって、こんな記憶は忘れちゃいましょ、記憶を消してもらって、すてきなお洋服を買ってあげて、帰り道には――家族みたいに、ハンバーグを食べさせてあげる。……奴隷になるってちゃんと言って』

『わあい! ゆきな、ハンバーグだいすきっ。ねえねえ、かりくん、早くなんかそれして、ハンバーグたべよ! ハンバーグ!』

『うふふ、幸奈、じゃあこのカメラもってくれる?』

『えー?』


 映像の一面に、南美川母の白っぽい手が映った――大きく揺れ、……撮影者は、南美川さんになったらしい。


 南美川さんの持っている映像記録デバイスは、峰岸くんを捉える。

 まだ服を着せてもらってないまま、いまみたいに眼鏡もなくて、やつれて、汚くて、へたり込むように座り込んでいる。

 けれども。――その表情は、高校時代とすでにおなじものになっていた。冷静なようでいて、……なぜか、とても、怖い。

 峰岸くんは――幼い子どもにおよそ似つかわしくない鬼気迫った真剣さで、これから自身の後見人になるのであろう南美川夫妻を、そしてこのときにはまだ彼らのひとり娘である婚約者の南美川さんを、見上げた。



『ぼくは、南美川さんたちのどれいになります。だから、がんばります』



『――よろしい。さあ行くぞ、お母さん、幸奈。すぐに車を出そう。ジイさんたちに見つかってはなにかとうるさい』

『法手続きなんてあとででいいのよね。とりあえず引き取ったというていをつくれば』

『その通りいいやむしろこれはおまけで社会評価ポイントがくっつくぞ、――犯罪者の遺児を引き取ったなんてまあなんと上等な社会貢献だろうねお母さん』

『その通りよ! そうよたとえるなら、高級ブランドハンバーグを何十枚食べたって、おつりがくるわね!』

『えっ! ハンバーグ、なんでも食べていいわけ!』

『ああ、そうだぞお幸奈、――狩理くんだって食べてもいいんだからなあ』


 黒いドレスのレースとフリルを揺らす南美川さんは、南美川母が手をつないで。

 ……裸のままの狩理くんは、よいしょ、と南美川父が抱えて。


『撮影ありがとねっ、幸奈っ。……というわけでこの映像は、あくまでも、峰岸狩理のあっくまでも自由意思の証拠でしたからー』

 南美川母の高らかに歌うようなきれいな小鳥のさえずりのような声で、……この映像を、締めたらしい。

 カメラは、大きく動いた。南美川母が南美川さんの手から回収したらしい――



 わざとなのかどうか、最後に峰岸くんの表情がチラリと映った。

 不安そうでも、嬉しそうでもない――いつのまにやらこの少年の顔からは人間らしい温度が消えていた。

 さきほどの宴会場ではあんなにも泣きじゃくっていた幼い子どもが――



 ブツッ。……ザー。

 映像は、終わった。

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