近況報告のごとく
峰岸くんが、飲んでは僕にその酒を引っかけて、また別の種類の酒を開けては飲んで僕にその酒も引っかけて、ということを繰り返していた。
あまり顔には出ないタイプなみたいだし、喋りかたもどこかぼそぼそとした不機嫌の一歩手前で、トーンもテンションも低くって、冷静そうな印象は高校時代とおんなじものだったけど、――たぶんこのひとはとても酒癖が悪い。
「ちゃんぽんって酔うよなあ」とか言うから、「ちゃんぽんって……なに」と尋ねてみれば、またしても眉をしかめられて「知らないのか。学生時代に酒を飲まなかったんだろう。いろんな酒を飲むことだよ、覚えとけ」と言われて、バシャン、今度はなんだ、――焼酎をひっかけられたのだった。
淡々とまるで作業のように、両手の動かせない僕にバシャバシャと酒をかけていく、……峰岸狩理。
そしてなされる会話と質問といえば、ほんとうに同窓会みたいなのだから――皮肉、……ほんとうに皮肉で。
いまどこに住んでるのとか、家族とはどうしたとか、大学はどこに行ったのかとか。
目の前にいるのはあの峰岸狩理だ。
わかっている、――そんなことは僕だって充分わかっている。
ただ、……もういちど会ってしまえば、峰岸狩理は峰岸狩理である以上に――僕と同年代の、ひとりの男のようにも見えたのだ。
拘束なんかして、僕の顔や胸めがけて酒をぶちまけてくるところが、……すこしおかしく感じるくらいで。
「御宅はさあ、けっきょくさあ、就職とかってさあ、どこにしたわけ?」
「いちおうは……」
「だからどこよ」
「対Necoアクセスプロセス社……」
「へーっ。まさか俺の知ってる名前がその口から飛び出てくるとはね。新規性はあるけどまあまあ有望な企業じゃん。へええー。よく採ったなあ御宅のこと」
バシャン。日本酒。まだマイルドだから甘めとかいうやつだろうか。
「なに。あのあとAIT《エーアイティー》分野でもやったの」
「って、いうか、もうちょっと限定的で……専門的だけど」
「なによ御宅にできた専門って」
「さっきも言ったと思うんだけど、……AI対話特化のプログラミング、だけど」
「はーっ、ドカタだねえ」
バシャン、と日本酒がもういちど胸のあたりに浴びせられる。……だいぶ、酔うよな、これも。ひさかたぶりの感覚なわけだけど――この酒のせいで現実感がぼやけて滲んでくれたから、考えようによっては、……かえって、助かったのかもしれない。
ドカタ。
その言葉は大変聞き覚えがある、どころか、馴染みさえもある。
ドカタ――ほんらいは土木作業員を指す言葉らしいが、それこそ旧時代のときから、現場作業によく出てかつスキルやキャリアを必要としないひとのことを、少々蔑んでそう呼んでいたという。……倫理監査局の差別指定語のひとつだ。
旧時代から存在する分野のプログラマーはまた事情が別らしいが、すくなくとも対AIのプログラミングというのは、というよりはそれを仕事としている僕自身がいままでなんどか、その言葉で揶揄されたことが、ある。
それでも。
橘さんが僕の最終面接の終わりに言ってくれたことを、……僕はいま、思い出している。
いまはむしろ立ち入る機会の少ない、もっとも小規模な二人用の面談室で。橘さんは僕のさまざまなパーソナルデータの詰まった書類を、トントンと丁寧に整えながら。
『はい。質問はここまで……って、言いたいとこなのですが。来栖くんね。キミ、自信ないでしょう?』
見透かされたと思った僕は、よっぽど絶望的な顔をしていたに違いない。橘さんは呆れたようにふふりと笑った、――それはどこまでも厳しそうな年上の眼鏡のえらい立場の面接官の女性が、僕にはじめて笑みを向けた瞬間だった。
『ああ、いいのよ、いいの。ウチに面接くるAI対話のプログラム希望の若い子って、だいたい、そんな感じだから。
……AI対話をやっても食ってけないとか、一生ドカタだろうとか、そういうこといままで言われてこなかった?』
『……すこ、しは。言われたことも、ありました』
『それで? 来栖くんは、それに対してどう思った? どう感じた?』
僕は黙り込んでしまった。それでも橘さんは、待ってくれた。
だから僕は、不器用であってもどうにかこうにか答えようと思えて、じっさいに口を開くことまでできて――
『……たし、かに、わかります。それも。
……僕の高校、は、……というより、僕のクラスは研究者志望クラスだった、から、……たぶんみんな対AIプログラミングなんて、だれもやらないだろうし、……すこし軽蔑さえもしてたんじゃないでしょうか。あの。……こんなことは対Necoシステムの御社に、言うべきじゃないかも、……そうですよねあの、すみません』
『いいのよ、そんなに恐縮しないで。……じっさい、世間の風潮はその通り。クラスの賢い子たちだって――AI産業はキャリアも積めずに一生使い走りだー、なんて、そのくらいのこと言ってたんじゃない?』
『言って、……ました』
『さてそれは、なんででしょう。――キミにはまだわからないだろうから、私が答えちゃうけど。
……AI産業、とくに対Necoの分野なんて、まだまだとっても新しいのよ。キャリアがないのも当然ね――だって、キャリアを積めるほど、……Neco対話の歴史はまだないでしょう?』
『……あ、』
そっかたしかに、と、僕は四年間も大学で対AIプログラミングを、しかもゼミは対Necoシステムをピンポイントでやっておきながら――はじめて、そのことに思い至ったのだった。
学校の先生や、家族にさえも、……おまえは一生ドカタの作業員かあ、なんてなんどもなんども言われてきたのに。
橘さんは、そのときだって、ぴっかり笑顔で言っていたのだ。
『ウチだったら、使い捨てにはしない。Necoの可能性を――私は信じているのだもの。
そのために、……Necoとの対話スキルを持った人材は、貴重。わかるでしょう? 来栖くん、たとえアナタが人間とは対話できなくとも――Necoと対話ができるなら、そのことこそをアクセスプロセス社は歓迎いたします』
……そのおかげで、僕は、びくびくしながらも同時に僕にとっては最大限に堂々として、
峰岸くんのそんな皮肉に対してさえも――
「……よく、そう、言われる。けど、ドカタじゃ……ない。
いまの、世界の多くの地域には、……Necoネットワークが張り巡らされてるし、だれかが、対話をし続けなきゃならないし、
その仕事の重要性は――いまの専門以外の、ひとじゃ、わからないんだよ、――峰岸くんはAITのひとじゃない、んでしょう」
こんな答えまでを、……返すことができたのだ、
彼がびっくりした顔に僕の心はどこか浮き立ち、こんなことまで言ってしまった、――多分にアルコールのせいもあるのかもしれない。
「峰岸くんは、いま、……なにをしてるの」
峰岸くんは言葉ではなにも言わず、銀縁眼鏡のレンズ越しに僕をまじまじと穴が空きそうなほどに見つめた。
目が、……据わっていた。
そしてなにも言わず、黙って立ち上がると、部屋の床から何本か酒の瓶を持ってくると――
一気に開栓して、何本もまとめて、僕の身体にドウドウ流れる滝のように静かな手つきで酒を浴びせはじめたのだ、――まるで高校時代の印象そのまま、淡々としたまま発狂でもしてしまったかのように。
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