アルコール

 さあ、同窓会ごっこだ。――ほんらいふたりでこうやって酒を酌み交わすことなどありえなかったであろう、学年主席でクラスの最上位者と、クラスのみんなにペットの犬に呼びかけるみたいにシュンと呼ばれて、人間でもない、まるで人権をもたないかのように、クラスのペット、いや、あるいは玩具としてしか居場所のなかった――最底辺者の僕が、まさか、高校卒業後軽く五年以上も経って、二十五歳にもなって、はじめて――同窓会を開催するとは。まあなんとも言えず――皮肉であるものなのである。


 南美川家。

 長方形のテーブル越しに、向かい合っている僕と峰岸くん。

 もっとも峰岸くんは両手足も行動も自由で、――僕は椅子の手すりにがっちりとした包帯のようなバンドで両方の腕と手を、がっちりと、縛りつけられるかたちで、拘束されていて。

 峰岸くんはテーブルに肘をついて、頻繁に笑いを引きつらせる。まるで痙攣のようだった――そこまで派手な動きでもないけど、でもひくひくと繰り返される口もとの動きは、とても神経質な印象を僕に与えた。……だから、あのときは僕はずっと見上げていたから、こんな目線で話すのなんてはじめてみたいなもんなんだ、わからないんだ。


「来栖は、酒は、飲めるのか?」


 あ、……呼び捨てになったな。

 冬樹刹那さんのようなことを言う。そう思ったがなるほどたしかに、……冬樹さんも社会ポイント上位者だったし、平気で煙草をふかしているところはそれこそネネさんとおなじなのだし、――やはり峰岸狩理はあのあと順当に上位者への道を歩んでいる、ということだろう。

 輝かしい道を。――僕をはじめとして犠牲者なんてきっと死体と思っていない、僕のいるところなんてきっとその光に対して暗すぎて、見えない、……そんな道をちゃくちゃくと歩んでいるのだろう、――ああ。


「酒はさあ、いくらでもあるから。好きなだけ飲んでよ。……ただしさすがに口移しってわけにはいかないけど? あはは」


 マイルドなトーンの落ち着いた雰囲気のこの部屋、よく見れば――彩り的に、一か所だけが異質だった。

 それは酒の集合体であった。

 モノトーンでも、かといってカラフルというわけでもない、目には痛く、しかし統一感はない――つまりはごちゃごちゃと、これでもかっていうほどに、酒の瓶やらボトルやら紙パックやらが準備されていたのだった――それこそ高校時代のあの悪ノリの条例違法飲酒飲み会で、クラスのみなさんが購入してきたらしい酒を、わあわあきゃいきゃい、一点に集約させていたみたいに、そのノリと、……おんなじ雰囲気を僕はとても、感じて。


「……口移しじゃ、なかったら、どうやって飲めばいいの?

 僕、両手が――塞がってるわけなんだけど」


「ははは、生憎それは両手がご多忙ってことだな。……べつになにも卑猥な意味じゃないけど? はは」

 なにが?


 ともかく、そんなことを言いながら峰岸くんは手酌で赤ワインを注ぐ。……おおい、そんなになみなみで、だいじょうぶなのかってくらいに。

「来栖もほしいか?」とか言うと――そのなかの赤ワインをもういちど引っかけてきた、……このスーツはもう使いものにならないだろうな。クリーニングサービスに出すにしても――どんな飲みかたをしたんだって気恥ずかしすぎるし、……僕がそのあとこのスーツを着て平静に仕事ができるかっていうと、それも、……どうにも。

 ……いちおう、僕の持っているなかでは、いちばんいいモノを着てきたの――だから。



「どうなの。仕事とか――してるの?」



 あ、はじまったな、……たぶんこういう質問っていうのは同窓会らしいもので、そして――だから多くのひとにとって、僕にとっても、……戦いなのだよな。そう。巷の噂には聞いている――同窓会というものは、じっさい戦いでしかないのだと。



 僕は、だから答える。

 こんな状況であっても、なお、いやだからこそ、できるかぎり胸を張って。――赤ワインで汚れた僕のワイシャツとジャケット。



「ああ。AI産業の、プログラム屋だ」


 峰岸くんは驚いたように、片眉を鋭利な角度で持ち上げた。――それもいまだかつて僕に向けられたことのなかった表情であった。

 へえ、と皮肉っぽい相槌を打つと、ごくりと赤ワインを呷る、――おいおいそんなに一気にいってしまってだいじょうぶなのか?



「へえ。努力したんだな」

 そっか。

 そこの、感想は、南美川さんとおなじ――なんだな。


「来栖、……来栖、か。……俺さあ、御宅の、来栖の? ことって、高二と高三でクラスいっしょだったわりに、名前呼んだ記憶がないんだよねえ。なあなあ、これ、なんでなのかな?」


 なんでも――なにも。


「……僕が、クラスのみんなに、その、つまり、……いじめられてたから、でしょ」

「ふうん。自覚はあったんだ」


 そりゃ、あるよ。


 峰岸くんはボトルの赤ワインをすべて注ぎきってしまった――おいおいおい、やっぱりペース早いってば。こんな飲みかたするひとだったのか、峰岸狩理って……。


「でもさあ、訂正させてもらってよければさあ」

 そう言ってまた、峰岸くんはぐいっといった。おまけと言わんばかりに――わずかにグラスの底に残った赤ワインを、またしてもバシャン、と僕の胸にひっかけてきた。



「いじめる、っていうのは、人間どうしで用いるべき言葉だと思うんだよなあ。――自覚はある?」



 ぞわっ、と一気に身体の芯まで冷え切った気がした。

 僕のことをほんとうに見下している顔をしてたから。高校時代に教室で芋虫のように床に転がされていただけの僕に、声もかけずに一瞥して、ただその表情だけを浮かべて――スッ、といつも先頭切ってどこかに消えていくのが、……超上位者の峰岸くんだったからだ。

 僕はいまになってやっぱりどうしても鮮明に思い出していんだ。

 酔っ払っているこの落ち着いた雰囲気の銀縁眼鏡の男が、峰岸狩理なんだということを。



 ……ああ、まずい、すこしガンガンしてきた。

 だいたいのまともなひとたちはだいたい知らないだろうけど、

 酒ってね――抵抗できない状態で、顔や胸にバンバン浴びせられても、……まあまあ酔いが回るもん、なんだよ。

 だから僕はいまでも――飲み会とかが、苦手なんじゃないか。と、いうか、行こうと思えない。だから大学時代のほんとうにごく一部の打ち上げに気の迷いで行ったときを除いて、酒の場なんて、まず行かない。


 高校時代のいじめのトラウマ。

 僕にとっては、アルコールさえ僕の被る手段のひとつだったのだ。

 夜な夜な違法飲酒をするクラスメイトたちになんどもなんどもアルコールをぶちまけられて、押しつけられた。

 やめてと言ってもやめてもらえるものではなかった。頭痛がしても、くらくらしても、――僕は囲まれて騒がれて、大きく開かされる口のほうが僕自身よりもまだ玩具という意味で価値があるって、そんな感じでずっと扱われて、ずっとずっと、飲まされ続けた、強制的に。


 だから僕はいまも、

 アルコールというのは、僕の人間としての尊厳を踏みにじるものだと思っているから。



 ……だから、酔っていくのを、感じる。ひどく。いたく。

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