峰岸くんの本音
僕はバシャバシャにアルコールの入った液体を浴びせられながら、むしろ呆然としていた。
さすがにここまで上から酒を量も種類も節操なしにだくだく掛けられ続けると、僕もちょっとマズいくらいに酔いが回ってくるわけだが、
それ以上に僕の意識の中心にあったのは疑問だった、――このひとはどうしちゃったっていうんだろう。
「俺は成功者だよ」
そんなことを言いながら、赤ワインの瓶から白ワインの瓶に持ち替えている。僕はとっさに目をつむる。流し込まれる感覚。白ワインのフルーティな香りは、こんなかたちで味わうべきではないのだろう。
流し込まれる感覚がなくなったので酔いで熱くなっている息と吐き出し、峰岸くんを見上げると、彼はいま僕に流し込んだボトルの残りの白ワインをラッパ飲みしていた。
「御宅もがんばって新規産業のパイオニア程度にはモグリ込んだらしいが、俺はもちろんそのはるか上をいっている。
俺はなあ、おまえとは違ってなあ、あの卒業式で主席として答辞もやって、華やかに卒業。……国立学府に入ったよ。飛び級こそしなかったものの、標準年数の四年間で順当に卒業をした。……いまは研究機関に入っているよ。まあおまえに言ってもなんのことやらわからないだろうけど、高柱の純正な系列にあるところで、学府時代の専門のまま、まあおまえに合わせて最大化した分野名で言うけど
俺が目指すは浄水だ。水というリソースの半永久化、そして実質的な無限化。化学のヤツらじゃ常識でしかない言い回しをしてるんだけど、おまえにはわかるか?」
僕は素直に首を横に振った。――南美川さんが自分の専門だった生物学の話をしたときにも、おんなじことを僕は感じたけど……。
「……わからない」
それは、僕の専門外だから。
僕の、専門は、……そう言い張っていいのなら、対AIプログラミングだ。
「うん、まあわからないのが素直な答えだからいいと思うよ。……御宅のあの成績じゃ、無理だろう、高校以上のレベルの学問を理解するのはさ。なんの分野でもさ。まあとくに化学ってのは理解力がいるからなあ。
つまりまあ浄化ってことだよ。水ってさ。使うと汚れるだろ? 水っていうのはさあ、だれでも使うものなわけよ。下位者も、底辺も、――動物でさえ水は消費していくんだ。……旧時代に、使用水準に達しない水がわんさと溢れただなんて、馬鹿げてるよなあ、でもあれもほんとだったんだよ。環境倫理がまだ発達していなかったのもあるが、技術も追いついてなくてなあ」
峰岸くんは、数秒間そこにそのまま静止していた。まるでコンピューターのフリーズのように。
そして急に動き出すと、次は梅酒の瓶を開けて、自分で飲んでからついでのように僕の頭から注いだ、……甘い。
「まあでもそれって、汚れた原子をイジれば、純粋オキシダン――すっごくレベル下げてわかりやすく言うとな、純粋にキレイな水になるはずなんだよ。な? ガキみてえな発想だと思わねえか? 汚れたところをお掃除すればキレイになりますーってなくらいの理論だよ。――でもそれは化学にとって革命だった。原子をイジれるだなんて発想は、偉大なる先人たちが獲得して、技術にしていったものなんだよ。なあ。わかるか?」
「……それは、すこし、わかる気がする」
峰岸くんがまたしても片方の眉を鋭い角度で持ち上げた。
「……僕、の、専門はね。いちおう、対AIプログラミングだけど」
「さっきも聞いたよ。やめろよトートロジー」
「……ごめん。でも、……そこにもやっぱり、歴史があって、発展があった、……人工知能がおそれられていた時代もあったし、対話なんて概念は、なかったんだって」
「ずいぶんふわっと抽象的な言い方すんなあ」
バカにしたようにまた頬を引きつらせて、……また、焼酎、僕の頭から注いで、自分も飲んで。
いいかげん動悸が激しくて苦しくなってきた――なにを、しようと、してるんだ、――この学年主席のクラスメイトだったひとは。
「でもさあ、おまえでさえも、そうやって成長していくわけよ。高校んときはあんなにゴミカスで蛆虫でしかなかったヤツが、高校卒業して何年もすれば、いろいろ経験してさあ、……人間になってくわけじゃん。
はあー。ほんと、おまえみたいなのって目障り。まったくやんなるよなあ。――俺の立場ねえっつうの」
「……え?」
激しく、攻撃的な言葉を言われている――そのことは酔いの回り過ぎた僕にだってわかったが、
そのどこか投げやりであまりにも自嘲的な言いかた、……僕のことを貶める意図でもないとも感じていた。
「や、もちろんね、俺だって成長をしたし、……なにより成功だってしたさ。ああ。俺は、成功したのさ。国立学府卒業の、高柱純正系列の、化学者サマだよ、どうだ、えらいだろう! ってなあ、ハハ。
望んでもない親のもとに生まれ、……あのクソのせいで幼児のときから独り暮らしさ。
あんときの、あのクソの事件によるさあ、……幼児の俺のヒューマン・アニマル加工を防いだってなことで、俺は遠縁の南美川家に一生媚びを売ることが確定したのさ」
……え?
そんな話は、僕はもちろん、知らない――南美川さんも、言ってはなかった。
「必死だったよ、そりゃ必死だった。なにせ……一回でも失敗でもしてみろ、俺はあっというまに捨てられる。両親のいるほかのおウチとは、ワケが違う。……俺に期待されたのは犯罪者の遺伝子を持ちながらも、犯罪どころか素行不良も存在しない、良い子ちゃんに育っていくことだったからな。
……南美川の親父さんとお母さんはさあ、俺の――っていうかさあ、俺の生物学上は父親であるあのクズのさあ、その遺伝子を持っている俺の遺伝子がほしかったわけよ。……犯罪者とかいう人間未満の遺伝子なんざ、貴重だろお? 幸奈と掛け合わせたかったわけ」
峰岸くんはもうなんの酒だかパッケージからはわからない、白いパックの酒を、こんどは自分だけで一気飲みした。
「だから俺は死に物狂いだったんだよ。アイツ必死、だなんてどの段階の学校でも言われたさ。
けどそんなの言わせておいた。
アイツらにはわかんねえんだよ。……いつ人権を奪われるかわからない俺の、孤独と、ひりつく死に物狂いの上昇志向は……わからなかっただろうさ。そうだな――それは幸奈にもわからなかったんだろう。幸奈は、まったく平和で、のんきで、幸せな――南美川家のお嬢さまだったからな」
「……だから、なのか?」
「なにがだ?」
「だから――南美川さんを、ヒューマン・アニマル加工に、したのか?」
はは、と峰岸くんは笑った。
すこしだけうつむいて、そのシャープな顔立ちの視線と鼻のあたりに、――わずかばかりの陰りを見せて、
「……俺は自分のほうがたいせつだっただけだ。幸奈のことまで、……手が回らない。それだけだよ。
幸奈は――おまえに、懐いてるんだな。どう手なずけたのか知らないが、……そっか、そんならアイツはだれでもいいのかもしれねえぞ」
最後だけ、ひとりごとのようだった。
驚いた。僕は、ほんとに、……驚愕している。
峰岸くんは――そっか、たしかに、……傷ついているんだ。
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