無性者たちの新天地
「性別をデザインしたことによる後遺症は、たくさん報告されている。まだ一般には広く公開されてはいないがね――いまの時代は、デザインキッズ革命の時代とまで言われるだろう。あるいは、デザインキッズの到来した新年、新時代なのだと。私はそのよっぽど前に生まれたが、私だって、身体の性別――つまりセックスという意味での性は、デザインされた。だが……私のころにはそうやって必要な要素を一部取り換えるだけだったデザインは、――いまや、産まれてくる赤ん坊のあらゆる要素に応用されているだろう。母に似た顔を、父に似た身長を。父の高い数理処理能力と、母の希少な絶対音感、そして母にも父にもないけど潜在的に遺伝子が見つかったから、色彩の認識が微分的になせる色彩の才能と、十行以上の文章をパッと見スキャンできる能力を付け加えて。性格は柔らかく、というか従順で。あまり活発ではなくていい。とにかく優秀で、口答えしなくて、物覚えがよくて、癇癪を起こさないで、両親への尊敬と愛情をたっぷりにもちうる感情指数をもって。自分たちの夢をかなえる子どもを……節操がない。節操がなかったよ。もちろん、デザインキッズの保護者たちには後遺症の可能性をアナウンスしていかねばならないが、……デザインキッズの子どもたちは、ただ遺伝子を生まれる前にいじられただけであって、……ひとりのヒトだ、ましてや彼らの多くはまだほとんどが十八歳以下の未成年者だ。――広く一般に情報を解禁して、おもしろおかしく記事にされて、デザインキッズの彼らを刺激することは、むろんよろしくない。わかるよな? 子どもを傷つけてはいけない。はい、こんなのは当たり前のことですね、と倫理監査局なら笑うだろう。それに――デザインキッズの潜在性は、まだ、はかり知れない。……変に刺激をすることなく、マイルドな情報のなかで育てるのが妥当とされる――彼らは新人類かもしれないんだよ。われわれ、つまりナチュラルキッズが多数者である世代は――彼らを慎重におそれなければならないのだよ」
ああ、話が逸れた、とネネさんは特に悪びれる様子もなく言った。
「無性愛も、そのひとつなんだ。つまり、デザインによる後遺症として、頻発するもののひとつ。だから、つまりして私は、……高柱猫さんの思想の後遺症で、高柱家のエリートになるべく、……産まれる前にぐちゃぐちゃ情報掻きまわされて、――無性愛者となったんだ」
ネネさんは、ふっと思い出したかのように、テーブルの上の灰皿にすでに炎の消えているように見える煙草の先端を、押しつけた。
南美川さんは、こんな話を、……どれだけ理解できているのだろう……。
そう思って南美川さんをうかがい見たら、――その耳と尻尾をピンと直立させて前足をのめり込むようにして、伸ばそうとしている。
目が、きらきら、している。
そのままだとバランスを崩して床に落下してしまう――僕は南美川さんがベッドのうえで過ごす日の経験でそれがわかっていたから、慌ててお腹のあたりに腕を差し入れて、つっかえ棒として南美川さんが落下しないようにした。
そっか。
南美川さんは――理解してる。理解できる。
それがどの程度なのかはわからないけど、僕なんかよりはずっと、ずっと――。
「……お。なんだい。人犬ちゃんのほう。なにかもの言いたげじゃないかい」
「あの……」
「なんだい、なにか言いたいことがあるならはっきり言っておくれよ」
南美川さんは、おずおずと――でもはっきりきっぱりとした視線で、えらい学者をまっすぐ見つめて。
「……無性愛は、もういちどデザインして、どうにかできないんでしょうか……? その、たとえば、身体の性別というのは、産まれたあとでも調整ができます……よね。それは、細胞を、……高弾力性の状態にして、性の根拠である器官を再度生成、するからであって……あ、あの、わたしなにか間違ったこと言ってますか?」
「ううん。妥当で的確な理解だと思うよ、おおむねは。……それで?」
「……だったら、それとおなじで、無性愛も、……治療はできないんですか」
なるほど、とネネさんはうなずいた。
大股開きの脚を、今度は大きく組む。
「うん、いい質問だよ。でも、現状、困難だね。性自認で身体が簡単にいじれるようになったのだって、ここ三十年くらいだろ。無性愛のことは、これからだろうね。現状では――無理だ」
それと、とネネさんはなんでもない口調で言い出す。
「治療ってお言葉にはお気をつけなさい。私はたしかに恋愛感情をもつふつうのヒトからすれば、異常で、障害で、病気なのだろう。だが――私にとっては、むしろそんなモノがないことのほうが、当然、至極当然のことなんだよ。……わかるかい」
「あ。……ごめんなさい……」
「うん。いいよ。ネネさん素直に謝ることのできる若い子は大好きだ。そこでイキリ立って小賢しい反論でもしてくれば、アンタの身体を人間にしてやるのやめようかなって思ってた」
さて、とネネさんは言う。
「ネネさんのそんな孤独感は、高柱寧寧々としての研究に直結する。はい。おふたりさん。――見当はつくかい?」
……そんなの、僕は、つくわけが、ないんだけど。
南美川さんはなにかに気がついているようで、うずうずと言い出す。
「……先生は、その、無性愛の研究をされてるってことだから、」
「はいちょい待ちいったんストップ。先生、はやめておくれな先生、って言うのは。ネネさんでいいって言ってるだろ。いい子でお願い聞いておくれな」
「わかりました。……ネネさんは、無性愛の研究をしてて、だから――無性愛の周知をされるような、なにか活動ですか……?」
「近い。――近いね。いや驚いた。アンタ――ほんとに優秀だ。よくぞ私のさりげなく散りばめたヒントそこまで聞いてたね、いや感服だよ。でもそれだけではまだ足りない。さらなるヒント。――私は社会学者でも政治家でもなくて、生物学者ということだよ」
僕たちはふたりで顔を見合わせる。言っている意味は、わかる……けど具体的にはわからないし、南美川さんもわからないようだ。
そんな僕たちをニンマリ見ると、ネネさんは、足を反対にして組み直した。
「……そんじゃ、もうひとつでっかいヒント。――私はなぜ高柱研究所ではなく、正当と認められないにも関わらず、おまえの研究はおかしいと追い出されたにも関わらず、こんなアングラなエリアに高柱第二研究所を自認してまで、個人で研究をしているのか。……私は新天地をつくろうとしているんだよ。無性愛者の社会を、このひろい社会の一角に、つくり上げようとしている」
無性愛者たちの、社会……新天地?
僕はちょっと戸惑いながら口を開いた。
「それは、どういう……」
「私は、性的特徴を細胞的に除去した『
たしかに、冗談を言っているようには、見えなかった。
「……あの……」
僕は思わず、――ほんとうに思わず言っていたのだ。
「――なんで、そんなことを、するんですか?」
「簡単だよ」
ネネさんは――ニカリ、と悪戯っぽく笑った。
「私は、さみしいんだよ。こんな世界で。……恋愛をもつことが自明で、そうじゃない人間はなんだか敬遠される世のなかで。家族がね、ほしかったんだ。家族が……自分の手でつくりあげる、笑顔の絶えない家庭が」
ネネさんは――どこまで、本気なのか。
その声のトーンも話しぶりも、たいして変わりはしないけど――。
「どうして――恋愛感情がないからということだけで、こんなにも、……結婚も家庭を営むことも、困難になるのだろうね」
すこしだけ疲れたように、苦笑にも似て、この生物学者は笑った。
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