南美川さんの知性と、化粧の必要性
ネネさんは、無性者たちの新天地をつくろうとしている――。
南美川さんは、おずおずと言い出す。
「……ネネさんは、だから、……わたしの身体を、……もとに戻してくれるってことなんですか?」
「ああ。その通りだよ。どうしてだかわかるかい――」
南美川さんの柴犬の尻尾は、興奮したかのようにぴんと立つ。
「細胞のサンプルがほしいからだわ」
「……ほう。なるほど? 続きもネネさんに聴かせてみなさい?」
南美川さんは、小さくこくりとうなずいた。
そして――専門的な話を、流れるように、しはじめた。
「……わたしが習ったときの知識ですけど。性特徴を除去する細胞というのは、わたしはその目的で細胞を見たことはないけど、――あきらかに高弾力性細胞の応用だわ。ただ、性特徴の除去の場合は、観点がヒューマン・アニマル加工とは真逆で――ヒューマン・アニマル加工はその可逆性に着目して、異種の情報をインプットする。……それとおなじレベルで、たとえば女性の性特徴をなくすというのは、たとえば乳房の膨らみ、そして当然、中の乳腺もなかったことにするし、いまの先生の理念でいうなら乳首もいらないことになる。ヒューマン・アニマル加工が細胞のインプットを要するのに対して、性器官の除去、あるいは無性者を、……創造するためには、――性情報の細胞レベルでの、消去、あるいは外部の別細胞へ転移させてるという意味での、アウトプットが必要――合って、ますか?」
「うん。細かいレベルではともかく、大枠はそれでいい。私はそのように、その細胞を活用しようとしている、ということだね。……続きは?」
「はい。でも、インプットもそうだけど、細胞のアウトプットっていうのは、より
南美川さんは、すこし言いよどむ。
しかしすぐに――
「あ、そっか、わかった! ……無性者の創造。倫理的問題は置いといて、……そういった人間あるいは人間をモデルにした生物を、自然発生じゃなくって試験管からいちから発生させていくなら、……無性であるぶん、その情報を、人間モデルからアウトプットして、受け渡さなければいけないから、大量の――細胞の可逆サンプルが、必要なんですよね?」
……南美川さんは、なおも尻尾をぱたぱたさせて、うつむきがちに考え込んでるようだけど、
僕は――圧倒されていた。
南美川さんは、やっぱり……頭が、いいんだ。
……ぱち、ぱち、ぱち。
ネネさんが、ゆったりと、大きな手で、……拍手をしている。
「――南美川幸奈。大学と、研究室は、どこだった?」
つまりして――南美川さんは、当てたのだろう。
高柱寧寧々という、生物学者の意図を。
南美川さんが国立学府の卒業生であることと、所属していた研究室の名前、それと就職予定で研修まではじめていた就職先の企業の名前を聞くと、ネネさんはぎゅっと顔をしかめて難しい顔をした。
「……そうか。だったらほんとに、生物学で、優秀な学生だったんじゃないか。それであれば、なぜ――」
ネネさんは、次の煙草に手を伸ばした。煙草は木の浅い箱に並べられ、白色のそれをすぐに取り出せるようになっている。
火をつけて、煙草をふかす。
「幸奈は優秀者だ。それなのに人間未満にされるのは、おかしいな」
ネネさんは、南美川さんの名前をさらりと呼び捨てた。
……そういえば、僕はまだ、ここに来てから名前を呼んでもらってない。
南美川さんはやっぱり優秀だし、すぐに名前を覚えてもらえるんだろうな……。
そう思った矢先。
「ああ。そういえば。春」
僕も、名前を、呼ばれたのだった。
「つかぬことを聞くが、春は変態か?」
「……は? え? なんですか、それはその、……生物学的に?」
「生物学的に変態だったらこんな多数派のヒトにはなってない。もっと普通の、普段の意味でだ」
……もっと普通の、普段の意味も、なにもあるのか?
「答えてくれ」
しかしネネさんは、真剣そのものだ。
「……え? いや……そうでもないと、思います、けど?」
「ほんとうか?」
「たぶん……」
「誓うか?」
「なにに?」
「幸奈にだよ。――おまえなんで幸奈に化粧とかもろもろいろーんなことを、させてあげなかったんだ。……この子のいまの手足では、そんなことできないの、わかるだろう」
「あっ、あのっ、ネネさんっ」
南美川さんが――声を上げた。
「いいの、いいんです、……シュンはそういうのたぶんあまり得意じゃないから……。あ、あの、お風呂に入れてくれて、……ちゃんと洗ってくれて、わたしのね、髪をね、ケアして、リボンを巻いてくれるだけで――充分だと思ってます。それにね、それにね、わたしだってそもそもふだん、お化粧の必要もないし、その、わたしのほうからも、なにひとつ言わなかったから……」
「おー、よしよし」
ネネさんは煙草をすぱっと吸って、さっきよりもずいぶん長い状態で灰皿に押しつけ、手を離した。
煙草の残骸がまた一本さらに山盛りの灰皿に、増える。
そして立ち上がり、ソファの横に膝立ちすると、ソファの肘掛け越しに南美川さんの身体の後ろに、腕を回した。
ネネさんの呆れたような視線が僕に直撃してくる。
「無性愛者の私が言うのもなんだけどさ。女の子に、ここまで言わせちゃ駄目だろう……すっぴん大好きという性癖をもつのでなければ、外に出るときくらいはお化粧くらいしてやりなさい。ましてや今日は人としてこの子は来たんだから」
「あの、あの、いいの、ネネさん、わたしが言わなかったからなの、言えなかったからなの」
「気を遣わせてしまっているぞ」
そんなこと、――そんなこと言われたって。
女の子の事情なんて、僕なんかがわかるわけなかったじゃないか。
「……ネネさんも、お化粧、そんなにしてるようには見えないですけど……」
「うんにゃ? 私はそうよ、すっぴんだよ」
「じゃあ、なんで……」
「私は社会評価ポイントの、超上位者――いわゆる、超優秀者だからだよ。これでもね。上位小数点以下になってくると――これがね、一例として、『化粧をしない権利』というのも生じてくるのだな。必要がなければ、私は化粧なんてしないよ。――恋愛感情をもつ相手をおびきよせて、なんになる。むしろ化粧をしないというのは私の無性愛のアピールの一環。……けれど」
ネネさんは、化粧っ気のない、じっさいにしてないという、……そのすこしだけシワの目につく顔で、ゆっくりと、言う。
「社会評価ポイントがそこまで高くないうちは、……文化ジェンダーに従い、女性であれば化粧をする。鉄則だよ。覚えておきなさい。礼儀のひとつだよ、私が言っても説得力がいかほどあるかは不明だが」
「……すみません。その。そんなこと、知らなくて」
「なんだい、童貞みたいな言いわけしないでおくれな。まるでそれじゃあ女をなんも知らない若い男の子みたいじゃないか――」
……僕も、そしておそらくは南美川さんも、動きを止めた。
僕たちには僕たちが凍りついたのがわかった。
ネネさんもその異様な雰囲気に気がついたのか、数拍置いたあとに、あれ、ととぼけたような声を出した。
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