春のはなし

 僕は、絞り出すように、……けれども確実に、冬樹さんに向けて語る。



 ★


 僕も、彼女から、経緯というのは聞いたんです。話して、もらったんです、



 まず、……僕のはなしをして、いいですか。……はい。ありがとう、ございます。

 お酒、飲んだの、ひさしぶりですから……。


 彼女は、……僕とクラスがいっしょで。あの、……研究者志望クラスだったんです、といっても僕は、……間違ってそこに、入っちゃったから、研究者にはなりませんでしたし、……大学受験もろくにできませんでした。

 あの。それは、いいんですけど、……どうでもいいんですけど。

 彼女はとても優秀だったんです。研究者志望クラスで次席、だから僕たちの学校の、トップツーで……主席のひととも、幼なじみで、なんかその、……婚約、も、してたらしいんです、……だから冬樹さんがフィアンセだったって言ったとき僕はすごく驚きました。

 

 僕はそのふたりを中心に研究者志望クラスでめちゃくちゃにいじめられました。

 思い出すたびに、……痛いです、心とか、頭とか、記憶とか、身体とか、なんかもう……どこもかしこも。

 蹂躙される、ってこと、あるんですね。蹂躙なんて言葉はいじめられはじめてから、知りました。ふみつぶされて、心も身体も徹底的にふみつぶされて……僕には抗うすべがなかった。

 僕はですね、ほんとに、……ほんとに間違ってあのクラスに入っちゃったわけで、成績、最下位だったんです。自分にとって、全員が、強者。自分より優れた存在。そんななかで――抗えるわけがないじゃないですか。そもそも偏差値によって、与えられる特権も違う……僕が研究者志望クラスにいながらして偏差値五十を下回るのはあっというまでしたよ、いじめのせいでですよ……制服を毎日きっちり着ていかなくちゃいけないのは、僕だけだった。……彼女は偏差値六十を軽く超えてたから、赤いヒールと赤いネイルと赤いリボンと、きんきらきんの金髪で、毎日、学校に来て、……蹴るんですよ、僕を。痛いんですよ。男の急所狙ってくるから……。


 ひどくて、……ほんとにひどくて、あのとき僕はもう自分から自分を加工処分に申し込もうかなって思ったこともあるくらいなんです――すくなくとも自死を選ぶよりは、家族の社会評価ポイントにも響かないし、……牛や豚のエサにしてもらうってことで自由意思で申し込めば、死ぬときには一発で楽になる薬がもらえて、苦しまずに死ねるって、ネットに書いてあったし。

 いちど家族に真剣に相談したんですけど、……頬、殴られました。母さんに。穏やかで、どっちかっていうと子どもたちには優しいタイプの、ひとだったんですけど、……ずいぶん、叱られました。


『あんたがなんとかいう基準に引っかかっても、母さんが春は人間だって言い続けてあげるから、そんな馬鹿なこと言わないで』


 ……って、言われたんですけど、惨めでしたよねほんと。うん。喜ぶところだったんだろうけど――そんな素直には喜べませんでした。だって、それは、……これからもうあきらかに人生転落して人間に足りない僕を、母さんは、それこそ動物を飼うように――養って、社会からかばっていくということじゃないですか、……僕はそのときこそほんとうに死にたくなりました。姉と妹の視線もほんとうに痛くて……。


 かといって、……自分から人生やりなおせるとも思わなかった。

 僕は高校の卒業式で、短く刈られ過ぎた頭が嫌でネットを無理にかぶって、変なすがたで、母さんだけが隣にいて、

 遠くでは進学先をバッチリ手に入れた彼女が眩しく明るくピースしてるの見て――僕は、……僕は、……このなかで僕だけがこれからどんどん人間でなくなっていく日々を送ってくんだなって確信ができました。


 その通りの生活になりましたよ。……十八から二十のときだったんですけど。

 まあ、両親が養ってくれましたし、衣食住は最低限保障されてました。

 けど――僕はあのとき、人間には、足らなかった、……壊れてしまっていた、いじめの傷でめちゃくちゃだった。


 外に、出られない。どころか、部屋の外に、出られない。

 食事もまともに摂れない、風呂も入れない、睡眠しようと横になればすぐになにかが痛くて叫んでしまう。

 髪がどんどん伸びて、風呂も入ってないからありえないほど不潔なのはわかるのに、

 ……髪が伸びていくことだけが安心でした。丸刈りの僕はほんとうに滑稽で、頭が寒くて――髪がどんどんどんどん長くなっていくことだけが、僕の、……人間として生きてるあかしだと思えた。



 ……彼女は、きっと、キラキラの大学生活を送っている。研究者として、前途洋々な日々を送っている。

 ああ、僕はなんど――そうなんど思ったことですかね、得体の知れない痛みと、苦しみに、のたうち回りながら、



 けどあなたが、あなたたちだけが、ほんとうの僕を直視した。中学までの浅い付き合いのやつらでも、じつは互いのことに無関心な家族とも違って。

 あなたたちは僕の心に一生消えない烙印を押した。

 嫌だ、嫌だ、痛い、……痛くて、

 こんな烙印を押された存在であることが惨めで恥ずかしくて、

 人間じゃない、人間じゃなくてこんなの、

 だから、だから、――だから、



 僕はきっともうあなたでないと救われることはないんだ、


 ……押された烙印は、押したひとでないと、

 どうにもならない、だからお願いです、せめてもういちどだけ――



 ……と。

 なんど、なんど、……そんなことを思ったことか。



 ……つまりですね。

 僕はいじめられたがゆえに、いじめたひとのことを、求めてしまった。

 いつまでも。どこまでも。



 汚いベッドで不潔な身体で長すぎる髪の毛を広げてあおむけになって真っ白で横たわって手を伸ばしていつも思うのは、……彼女の、ことだった。

 きっと、いまごろ、大学で、楽しいはずの、……彼女だった。



 憎かった。恨めしかった。

 もういちど、




 ……僕を見てよって、思いました。

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