ひとごろし

 僕のことを高校時代にずっと見下ろしていたそのアーモンド形の瞳が最高の涙目で僕を見上げていることに興奮する。

 その瞳がすごく虚ろで闇の厚みがあることに僕は興奮する。

 僕を苛めていたあのひとがいま僕の目の前でこうやってほんとうにただの犬のように僕を見上げていることに、僕は、喘ぎたくなるほど、興奮する。


 あなたは、ほんとうに、犬のように、僕の動きを目で追ってくれる。きっと、きっと、こいつが自分を買い取ってご主人さまになるのかって、そう思って、絶望をますます上限解放させているんだ、勝手に、勝手に、……そういえばあなたは相談されることはあっても自分が相談しないことをよく自慢していたのだから。……そうやって自分ひとりでずぶずぶ絶望していってしまえる、のだね。


 僕は彼女の視線を存分に味わいながら、その視線にびしゃびしゃに濡れながら。

 店のひとたちと和やかに打ち合わせを続けるのだ。


 この人犬を購入する、と店側に伝えて。

 おじいちゃん店長に、これでもかというほど感謝されて。

 チエちゃんと呼ばれる若い女性の店員は、あれこれ必要な物を準備しながら、しゃべる。


「お買い上げいただけて、よかったですよー。この仔、ほんとに生意気で生意気で。ときどきいるんですけどね。そういう仔。そういう不適応な仔はほんと、さくっと畜肉処分に回したほうがいいと思うんですけどねー」

「容姿の良さで助かった、ってとこですかね」

「そうですね、まあまあ良い顔してるんで……って、あれですかね。もしかしてお客さま、この仔、それ用ですか?」


 あはは、と僕は笑った。


「それ、店長さんにも訊かれました。僕、そんなに欲求不満に見えます?」

「っていうかですねー、やっぱり見た目の良さを気にするお客さまは、それも含めて愛玩犬として飼われる方が多いのでー」


 僕はあえて、すこしのをつくってみる。


「まあ……それ用ですね」


 彼女の気配がカサリとちゃんと動いたのを確認してから、僕は穏やかな調子で続ける。


「僕、ちょっと特殊な性癖してまして。自分を苛めに苛めた高校生のときの同級生の子を思い浮かべないと、どうにも機能してくれないんですよ。僕のこと、ほんとうに、すごく、酷く苛めたんですよ、悲惨を通り越してもう滑稽だったんですよ。ヒューマン・アニマルごっこもやらされまして。いろんな動物になりました。まあそんなのはいまどき定番の苛めですかね? 社会問題にもなってますもんね。まあ僕も例に漏れず成績とか良かったわけじゃないんで。でも、僕だって、全裸で首輪つけられて校内じゅう引き回されたら、それは、病みますよ」


 チエちゃん店員はニコニコと僕の話を聴いてくれている。

 やがておじいちゃん店長もやってきて、チエちゃん店員に短く指示を出す。チエちゃん店員は人犬の飼育キットを持ってくれるとのことで、いったん売り場へ去っていった。


 じゃあ、話の後半はこの店長さんに聴いてもらおう。なんでもいい。どっちだっていい。どっちにしろ、あなたがたは話の聞き役としての、いわばフェイクでしかないのだから。

 だって、いまどき常識的に考えて、ヒューマン・アニマルに人間相手らしく話しかけるのは異常なのだろう?


 僕の話す話は。ほんとうは。ケースのなかにいるあなたに、あなたにこそ、聴いてほしいんだ、……聴かせるんだ。


「高校を卒業しても、ずっとなんです、そういう苦しみってずっと続くんです。眠れない夜を繰り返して、眠れたら夢のなかでも僕は苛められていて。道路を見れば四つん這いで這わされたことを思い出します。スマホを開けば学校で撮られた僕の情けない写真が大量に送られてきて脅されたことを思い出します。修学旅行なんて地獄でした。僕が人間ではなくてクラスの奴隷であるなら、最初から募集要項にそう書いてほしかった。そうすれば僕は高校に入る前に自殺という選択肢を選べた。そういうのってずっとなんですよ。終わりがないんです。はてしないんです。いまこうやって初対面の店長さんに話してしまうくらいには」


 店長さんもニコニコしている。

 いつのまにか隣にいたチエちゃん店員が飼育キットを手に、やっぱり、ニコニコしている。


「……僕を苛めた主犯格のひとりが、ギャルで、金髪で、赤いリボンのツインテールで、……この人犬の仔みたいにかわいくって」


 僕は、顔いっぱいで笑った。珍しく。


「犯し尽くして、最後はゴミのように殺してしまえば、僕の傷はすこしでも癒えるのですかね?」


 声にならない声を、あなたが、タオルの下から漏らした。

 強く、強く。

 あなたが、もっと絶望していた。


 ……あなたの、ことばを。

 あなたの口から、聞いてみたいな。


「……あの。タオルを取ってもらうことって、できますか?」


 僕が言うと、チエちゃん店員が、店長にアイコンタクトを取る。


「お客様のご希望だから、タオル、外して差し上げて。でも自殺なんかしそうになったらすぐ電流流して阻止してね」

「承知しました」


 そして、チエちゃん店員は事務的な手つきで彼女の口からタオルを外す。その間も、あなたは、僕を睨み上げ続けている。


 僕は、あなたを冷ややかに見下ろしたあと、ふっと息を吐くように笑いかけて、あげた。……すごいよ。スペシャル・サービスだ、こんなの。


「……なかよくしようね」


 僕は、そう言ってあげたのに。

 タオルが外された、彼女の返事といえば。


「――ひとごろしっ!」


 チエちゃん店員がすぐにボタンを押してくれたから、また彼女はひゃうんと声を上げてうずくまった。

 だからまあ僕はへらへらしているけど、……そういうこと言われると、僕だってまた心の傷がひとつ増えちゃうんだよ?

 僕を惨めなほど従順な奴隷に仕立て上げた、くせに。ひとごろしの素質なんて、よっぽど――あなたのほうが、あっただろう?

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