ひとごろし

 僕のことを高校時代にずっと見下ろしていたそのアーモンド形の瞳が最高の涙目で僕を見上げていることに興奮する。

 瞳はほんとうにあのときとおなじ色、光を受け入れる角度、それなのにその瞳がすごく虚ろで闇の厚みがあることに僕は興奮する。

 この人犬が僕をかつて苛めていた――いや。僕を苛めていたあのひとがいま僕の目の前でこうやってほんとうにただの犬のように僕を見上げていることに、僕は、喘ぎたくなるほどの興奮を、覚える。


 あなたは、ほんとうに、犬のように、僕の動きを目で追ってくれる。きっと、きっと、コイツが自分を買い取ってご主人さまになるのかあって、そう思って、絶望をますます上限解放させているんだ、勝手に、勝手に、……そういえばあなたは相談されることはあっても自分が相談しないことをよく自慢していたのだから。……そうやって自分ひとりでずぶずぶ絶望していってしまえる、のだねえ。

 僕はそんな彼女の視線をもちろん存分に味わいながら、その視線にびしゃびしゃに濡れながら、店サイドのひとたちと和やかに打ち合わせるのだ。ことをスムーズに運ばせるため、……お互い、ね。



「ねーえ、ほんとにお客さまがお買い上げいただけるとのことで、よかったですよー。この仔、ほんとに生意気で生意気で。ときどきいるんですけどね、そういう仔。そういう不適応な仔はほんとほんらいサクッと畜肉処分に回したほうがいいんですけどねー」

「容姿のよさで助かった、ってとこですかね」

「そですねー、まあまあカワイイ顔してるんで……って、あれですかね。もしかしてお客さま、この仔、それ用ですか?」

「あはは、それ店長さんにも訊かれました。僕、そんなに欲求不満に見えます?」

「っていうかですねー、やっぱり見た目のよさを気にするお客さまは、それも含めて愛玩犬として飼われる男性のかたが多いのでー」


 僕はあえて、すこしのをつくってみる。


「まあ……それ用ですね」


 彼女の気配がカサリとちゃんと動いたのを確認してから、僕は穏やかな調子で続ける。



「僕、ちょっと特殊な性癖してまして。自分を苛めに苛めた高校生のときの同級生の子を思い浮かべないと、どうにも機能してくれないんですよ。僕のことめっちゃくちゃ酷く苛めたんですよ、あれはもう悲惨通り越して滑稽でした……。定番の、ヒューマン・アニマルごっこもやらされましてね。いろんな動物になりました。まあそんなのはいまどき定番の苛めですかね? 社会問題にもなってますよね。でも、僕だって、全裸で首輪つけられて校内じゅう引き回されたら、それは、病みますよ」


 チエちゃん店員はニコニコと僕の話を聞いてくれている。

 やがて店長さんもやってきて、チエちゃんに短く指示を出す。チエちゃん店員は人犬の飼育キットを持ってくれるとのことだった。

 話の後半はこの店長さんに聴いてもらおう。なんでもいい。どっちだっていい。どっちにしろ、あなたがたは話の聞き役というフェイクでしかないんだ。だって、いまどき常識的に考えて、ヒューマン・アニマルに人間相手らしく話しかけることなんてもはや異常なのだろう?


「高校を卒業しても、ずっとなんです、そういう苦しみってずっと続くんです。眠れない夜を繰り返して、眠れたら夢のなかでも僕は苛められていて。道路を見ればそこを四つん這いで這わされたことを思い出します。スマホを開けば学校で撮られた僕の情けない写真が大量に送られてきて脅されたことを思い出します。修学旅行なんて地獄でした。僕が人間ではなくてクラスの奴隷であるなら最初から募集要項にそう書いてほしかった。そうすれば僕は高校に入る前に自殺という選択肢を選べた。ねえ、ねえ、そういうのってずっとなんですよ。終わりがないんです。はてしないんです。いまこうやって初対面の店長さんに話してしまうくらいには」


 店長さんもニコニコしている。

 やがて、チエちゃんが飼育キットを持ってニコニコしている。


「……僕を苛めた主犯格のひとりが、ギャルで、金髪で、赤いリボンのツインテールで、……こんなふうにかわいくって」



 僕は、顔いっぱいで笑った。珍しく。




「犯し尽くして、殺し果てれば、僕の傷はすこしでも癒えるのですかね?」




「――ッ!」


 ガタン。

 あなたが、もっと絶望していた。

 僕は、あなたを冷ややかに見下ろしたあと、ふっと息を吐くように笑いかけて、あげた。

 そして、言った。


「……なかよくしようね」



 しかして、彼女の返事といえば。




「――ひとごろしっ!」




 チエちゃん店員がすぐにボタンを押してくれたからまた彼女はひゃうんと声を上げてうずくまった。

 だからまあ僕はへらへらしているけど、……そういうこと言われると、僕だってまた心の傷がひとつ増えちゃうんだよ?

 殺す、殺す、殺すって――そんなことばっかり言って僕を惨めなほど従順な奴隷に仕立て上げた、くせに。ひとごろしの素質はよっぽど――あなたのほうが、あっただろう?

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