最高の涙目
僕はバックヤードに案内してもらった。表から見るとガラス越しになるが、バックヤードの方向からは檻のような柵となっている。エサをやったり、抱きかかえて客にだっこさせるためだろう。
チエちゃんと呼ばれた小柄でかわいらしい店員は僕に対しては終始にこやかだが、呻き声を上げて泣いてたり頭をガンガンぶつけているヒューマン・アニマルに対しては、容赦なく厳しい表情を向けて、ダメッ、と叱った。
「お姉さんは、ヒューマン・アニマルのブリーダーさんなんですか。お若いのに、すごいですね」
「ええ。やはりこれからは、
「なるほど。したたかですね」
彼女は小さな笑みを見せた。
いちばん奥の突き当り――あのひとの入っている十三番の檻の前に来た。あのひとはいまも、丸まっている。
怖いのだろう。さぞ、怖いのだろう。これからあなたは買われていくんだ。どこのだれとも知れない根暗な男に。あなたが高校時代からずっと気持ち悪がっていたタイプのそんな男に。なにをされるかもわからない。殺人も強姦も、もうあなたには存在しない。権利がない。それは人間のためのものだからだ。
ああ、……愛しい。あなたが。
それに、だいじょうぶ。……あなたを買うのは、ほかでもないこの僕だから。
「起きなさい」
チエちゃんが柵越しに鋭く声をかけた。反応はない。ただやはり背中はガタガタと震えている。
「狸寝入りなのはわかっているのよ。ほら、起きなさい!」
「――ひゃうっ!」
丸まった背中がビクンと跳ねる。ひさびさに僕が聞いた彼女の声は――言葉のかたちを、していなかった。
見ればチエちゃんの手には小さなスイッチが固まったような機械がある。一見すると一昔前の携帯型ゲーム機にも見えるが、彼女のいまの反応を見るに、おそらく電流かなにかを首輪に流し込んで調教をスムーズにするためのものだろう。詳しくは僕は知らないが、ヒューマン・アニマルの首輪についてはテレビやネットでもときどき特集を見かける。あんまり強くしてヒューマン・アニマルの中途死亡率が増えてもコストパフォーマンスが悪くなるし、かといって弱すぎると言うことを聞かない。場合によっては快と認識してしまい、調教の一律化や集団化において障壁となりうるという。
なにごとも、バランスが難しいものだ。
チエちゃんは優越そのものの顔でニタリと彼女を見下ろした。
「おまえみたいな肉塊をお買い上げのお客さまがいらしてくださったわよ。よかったわね、たしかもう明日の朝には畜肉になる予定だったのでしょう?」
言葉の途中で彼女はゆっくり、ゆっくりと顔を上げる。チエちゃんはいろいろとしゃべっているけど、僕はそれをすっかり単に心地いいBGMとしていた。
まだ、目が合わない。もうちょっと。ううん、まだ。
がんばって、がんばって。
がんばって僕を、見上げてください。……あなたが高校時代にずっと見下していた、僕のことを。
ブリーダーの声がいまほんとうにBGMになっている。
「ねえ、おまえにとっての救世主よね、こちらの人間さまはねえ」
目が、合った。
彼女は――最高の涙目で、僕を見上げていたんだ。
……ひさしぶり。僕は心のなかだけで微笑み、心のなかだけで手を振った。
そういえば、あなたにはもう、振ることのできる腕も手もない。
それにしても。救世主って言い回し、このペットショップで流行りだったりするのだろうか。……なんて。僕にとっては、どうでもいいことなのだけれども。
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