最高の涙目

 バックヤードに、案内してもらった。

 表から見るとガラス越しになっていて人犬や人猫の様子がよく見えるショーケースは、バックヤードの方向からは檻のような柵となっている。エサをやったり、檻から出して客に抱っこさせるためだろう。


 チエちゃんと呼ばれた小柄で可愛らしい店員は、客である僕に対しては終始にこやか。

 だけど、呻き声を上げて泣いてたり頭をガンガンぶつけているヒューマン・アニマルに対しては、容赦なく厳しい表情を向けて、ダメッ、と叱った。


「お姉さんは、ヒューマン・アニマルのブリーダーさんなんですか。お若いのに、すごいですね」

「やはりこれからは、人畜じんちく産業が安定かなと思いまして。必死に努力しました」

「なるほど。先見の明、ですね」


 店員は、小さな笑みを見せた。


 いちばん奥の突き当り――あのひとの入っている、十四番と番号の振られた檻の前に来た。

 あのひとはいまも、丸まっている。


 怖いのだろう。さぞ、怖いのだろう。これからあなたは買われていくんだ。どこのだれとも知れない根暗な男に。あなたが高校時代からずっと気持ち悪がっていたタイプの、そんな男に。

 何をされるかもわからない。殺人も強姦も、もうあなたには関係がない。権利がない。それは人間のためのものだからだ。

 でも、大丈夫。……あなたを買うのは、ほかでもないこの僕だから。


「起きなさい」


 店員が柵越しに鋭く声をかけるが、反応はない。

 ただやはり、その背中はガタガタと震えている。


「狸寝入りなのはわかっているのよ。ほら、起きなさい!」


 店員はポケットから長方形の小さな機械を取り出して、何の躊躇もなくボタンを押した。


「――ひゃうっ!」


 丸まった背中がビクンと跳ねる。

 久々に僕が聞いた彼女の声は――噛まされたタオル越しにくぐもって、言葉のかたちを、していなかった。


 店員が手にしている機械。

 一見するとレトロな携帯型ゲーム機のようだけれど、彼女のいまの反応を見るに、おそらく電流か何かを黒い首輪に流し込んで、調教をスムーズにするためのツールだろう。

 詳しくは知らないけれども、ヒューマン・アニマルの首輪についてはテレビやネットでもときどき特集を見かける。調教用の首輪は大抵、こういう黒い首輪だった。

 電流をあんまり強くしてヒューマン・アニマルの中途死亡率が増えてもコストパフォーマンスが悪くなるし、かといって弱すぎると言うことを聞かない。

 なにごとも、バランスが難しいものだ。


 店員は優越そのものの顔で、ニタリと彼女を見下ろした。


「おまえみたいな肉塊をお買い上げのお客さまがいらしてくださったわよ。よかったわね、確かもう明日の朝には畜肉になる予定だったのでしょう?」


 言葉の途中で彼女はゆっくり、ゆっくりと顔を上げる。

 まだ、目が合わない。もうちょっと。ううん、まだ。

 がんばって、がんばって。

 がんばって僕を、見上げてください。……あなたが高校時代にずっと見下していた、僕のことを。


 店員の声は、言葉は、いま僕にとって、心地の良いBGMだ。


「ねえ、ほんとうに、おまえにとっての救世主よね、こちらの人間さまはねえ」


 ついに。

 目が、合った。

 彼女は――最高の涙目で、僕を見上げていたんだ。


 ……ひさしぶり。

 僕は心のなかだけで微笑んで、心のなかだけで手を振った。

 そういえば、あなたにはもう、振ることのできる手もない。

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