「救済」

 おじいちゃん店員が揉み手をして戻ってきた。


「いかがですか、ね、その子、おめめもぱっちりで美人さんでしょう」


 もちろん、人間としての美人とは基準が違う。犬猫を美人さんと言い切るときのそれとまったくおなじことだ。


「そうですね、もとから美人だったのでしょうね」

「はい、はいはい、それはもう。愛玩用にいいですよお。こんなかわいいワンちゃんいたらお勤めもがんばれるというもの! ペットというのはね、つまり家族ですからね。家に置いておけばきっと癒しになりますよお」


 僕はあはは、と苦笑した。このひと、完全に売りに来ている。

 ……彼女は、僕も店員さんもいまにも殺してやるってくらいの殺気をもってして僕たちを睨み上げている。

 うん、だいじょぶだよ、そんな目をしなくてもさ。

 僕、どっちにしろ、あなたを買って連れて帰るって決めてるし。……あなたが、あなただって知ってしまった以上は。



 振り向くと、どうやら人犬と人猫の兄弟を見ていた家族連れは、美人な若い女性店員さんが実際的な説明を引き継いだらしく、その店員さんがブースにお母さんを案内していた。小さな姉弟はお母さんに「いい子にしてなさいね」と言われ、じっさいおとなしく檻の外にしゃがみ込んでにこにこ人犬と人猫の兄弟を見つめている。きっとあの姉弟は、ペットの兄弟が自分たちとおなじヒトであることを、知らない。

 ……これからもっと、ヒューマン・アニマルの素材はもともとは僕たちとおなじ人間なのだという事実を知らないひとが増えていくのだろう。もう現代だって、その事実にピンと来ないひとは多くなりつつある。もちろん、僕も含めて。

 仕方ない。人間は溢れすぎたし、福祉は行き渡りすぎていた。

 ディストピア――もちろんそう主張する識者もいる。

 だが、あらゆる意味での「弱者」を動物にするという発想自体は、悲しいかなとても現実に即したものであったのだ。


 しかし……疑問なのは、彼女はどうして、いまここで人犬になっているのか、ということだ。

 彼女はたしか、高校卒業後は有名大学に進学したはずだ。卒業式の日も、部活の後輩たちに大量の花束をもらって、クラスメイトたちと写真を撮りまくっていた。ピースサインがまぶしかった。僕はこっそりそれを見ていた。僕の隣には母さんがいたし、僕が見ていることがバレたらあからさまに馬鹿にする表情をされたから、ほんとうに、うかがい見るだけで限界だったけど。

 あんなに過酷で非人道的な苛めを二年間にわたって受けて、そのあとどうしても人間も世界も怖くて二年間も引きこもって、二十歳になってから大学受験をした僕のほうが……あるいはよっぽどヒューマン・アニマルに適性があった、ともいえる。じっさい僕が大学受験を決意したのは、このままだとマジでニートになって、社会への負債を増やしまくって、そのまま数年もすればヒューマン・アニマルへの処分要件のひとつである「社会的弱者」あるいは「経済的弱者」を満たしてしまう、と切実な危機感を感じたからだ。



 ……まあ、いいや。

 そんなのはこれから――いくらでも、あなた本人から聞き出せるから。



「ここだけの話ですがね、お兄さん」


 あ、呼び方が「お客さま」から「お兄さん」になった。おじいちゃん店員は最初の爽やかで人の好い表情からはちょっと想像できなかったような、下卑た商売スマイルを浮かべて、手をひたすらにモミモミモミモミしてる。まるで三下の悪役みたいに。

 ほんと、このひと、演技派なんだなあ。


「……溜まってません?」

「ええ、仕事なら山のように溜まってますね。いまどきプログラマーというのもつらいです、案件どっさりですね」

「いーやですよーお、お兄さんっ!」


 声が大きくなって、パシン、と子猫がじゃれるくらいの強さで肩を叩かれた。まぁじっさいにはもちろん子猫とかじゃなくっておじいちゃん店員だけど。

 そしてまた声をひそめる。


「いいんですよ、恥ずかしがらずに。お兄さん若いじゃないですか。そのくらいのことは、とーぜん。生理現象ですから。彼女さんとか、います?」

「いるって答えたら、購入するのはかわいそうですか?」


 僕はちらりと彼女のほうを見た。彼女はいつのまにか視線をうつむけてがたがた震えている。……ふうん。やっぱ中にある程度声が聞こえるんじゃないかな。そんで、彼女はこの状況を理解してるはず。


「いえいえいえいえ、ペットになにをそう気をつかうことがありましょう。彼女さんいらっしゃるかたにもおすすめなんです。家に一匹いるとね、便利ですよ、この手のコは。なにせ彼女さんと違って気を配る必要がない。ムラッと困ればいつでも好きなように使用できます。なに、ただの穴だと思えば良いんですよ。穴としては可愛いし、衛生面も問題ないし、使い回しもできる、いろんなコトを試せる、ペットとしても貴方を癒してくれて、とても良い商品だと思いますけどね」

「そうですねえ……」


 僕はわざと迷ってるふりをした。


「……いちど、バックヤードに行ってもいいですか? この子、しゃべれるんです? 僕、ちゃんと言葉をしゃべってくれるヒューマン・アニマルのほうが好みで」

「いえいえいえいえいえいえもうね、もういっくらでも! 裏でいくらでもいろんなことお楽しみください。なに、ヒューマン・アニマルの用途はそれもございますから。きっとこの子も畜肉になるよりはよっぽど嬉しいでしょう、救済ですよ、この子にとっての救済ですね、きっと懐かれるでしょうねえお客さま、ああ毎晩毎晩うらやましいですねーっ!」


 僕はまた苦笑した。もう、購入前提みたいな感じだ。いや、じっさいそうなんだけど。


「チエちゃーん」


 おじいちゃん店員はバックヤードに声をかけた。ぴょこり、とキャップの帽子をかぶった女性店員が出てくる。店員というよりは、動物園のお姉さんみたいなひとだ。接客ではなく、ヒューマン・アニマルの管理を担当するブリーダーなのだろう。


「あの子、ホラ、あの十四番棚の、売れ残りの三十万のアレお気に召したお客さまだから。あの、ちょっと性能とか確かめたいんだって。お連れして差し上げて。……ほんとにね、お客さまあ、助かりますよお、この店にとっても救世主さまですよお」


 おじいちゃん店員はおいおいと泣くジェスチャーをした。

 僕は小さく笑って、お礼を言った。


「ありがとうございます。……ゆっくり見させてもらいます」


 うん。そうだね。

 控えめに言って、良い店員だったな。



 救済、かあ。

 ……それなら僕はほんとうはあなたを畜肉処分に回してあげるべきなんだろう、ね。

 もう、こんな現実、……つらすぎるのでしょうし。

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