顔を上げた

 トン、トン、トトン。


 僕はできる限り丁寧にガラスケースを叩いた。なるべく、暴力じみた音にならないように。


 ヒューマン・アニマルの加工施設については僕はよく知らない。ネットやテレビのニュースで報道されるところを教養としてチェックしているくらいだ。だが、それだけでも、加工生活での生活は過酷なものであろうと容易に察しはついた。

 ……もっとも僕も多くのひとたち同様、ヒューマン・アニマルにされる個体を対等な人間とは見ていなかった。ヒューマン・アニマルは、人間ではなくあくまでも動物だ。だったら、動物がそういう仕打ちされてるってことと同じようなもんだし。べつに僕たちは動物を食べるし飼う。平気で。

 けど、あの加工生活の過酷さを人間視点に置き換えてみたならば、それは相当壮絶な体験なはず。そして彼女はそれらを体験して、いまここに丸くなっているのだ。

 だから、こうやって彼女のいまの住まいをノックする音も僕は敏感に調整した。


 何回か落ち着いた響きのノックを繰り返すと、もそ、と彼女の背中が動いた。僕はその動きに呼応するようにノックのリズムを変える。

 どうも気がついたようだった。ノックをすれば、もぞっと反応がある。だが、起きようとしない。

 両手……というか、うん。髪とおなじ金色の犬の前足に加工されたソレをせめてもの枕のようにして、かたくなにうずくまっている。


 そういえば彼女は高校時代も、よく腕を枕にして眠っていた。真正面から突っ伏し、顔をさらけ出さないところは、あのころから変わっていない。

 寝顔を見せたくないんだよねー、と仲間たち……つまり僕を壮絶にいじめた仲間のひとたちに、そう言っているのを聞いたことがある。


 そういうふうに、学生時代から変化がないのは、懐かしくって、よいことだ。

 ……なんて。


「おーい。おーい。おーい」


 僕は小さな声で語り掛けてみた。ガラスのなかに声は届くのだろうか。

 彼女は、ううん、とつらそうにうめいた。ガラス越しでも、くぐもった声がこちらに届く。

 ……お。ってことは、僕の声も聞こえているんだ。


 まあ、あなたは、僕のことなんか覚えていないんでしょうけど。

 僕が僕なんだって――高校時代の、熱病のような時代の教室の玩具がいま、目の前にいるなんて、まあ思いもしないでしょうけど。

 ……髪もいま、長いしねえ、僕。うん、短かったのは高校時代が最後だよ、ほんとに。髪の毛刈り取られたり燃やされたりしたの、僕これでも結構悲しかったんです。なんで、あんなときまで僕はへらへらしちゃってたんだろうね、まあだから僕は玩具だったんだろうね。


 ……とか考えているうちに、彼女が、顔を――上げた。


 ガラス越しの至近距離で、こんなにも近く、顔を合わせる。 

 しゃがみ込んでる僕のほうが、それでも視線は上にあるから、彼女を見下ろすかたちになるわけだけれども。


 ……ああ。変わってないねえ。ううん――変わった。やっぱりあなたはとても美人になったんだ……。


 犬というよりも猫のような、アーモンドみたいな形の、気の強さを反映した瞳。バランスの良い鼻。肌の白さは増したように思える。けれどやっぱり顔も肌は荒れてしまっていて、ところどころ赤い斑点ができていた。まあそれは仕方がない。人間とは、事情が違うのだ。

 そうやってパーツパーツとして見ても、相変わらず端正だし……でも、それ以上に、それら全体がちゃんとこのひとのことを証明している。このひとの強い内面に対して、過不足のない端正さ。

 そういうところは、変わってない。


 けれど、その表情――僕のことがだれかもわからない、ただこの悪趣味なペットショップの客だってことだけはわかって、ただそれだけで──僕のことをこんなにも睨み上げると決心したのであろうその、目のぎらつき、唇のひきしめ。泣きそうでありながらも、殺しそうなその表情。そして、当時はチークで無理に赤くしていた肌は、いま化粧はしてないだろうにとても真っ赤だった。

 激情の、顔をしていた。

 ……そこは、変わったね。


 僕が僕だとわからないのに、僕を憎しみの顔で見ているね。


 彼女は僕の目をつらぬくように見てくるけれど、ただそれだけで、ほかのところは動かなかったし、なにも言わなかった。

 唇をうかがい知ることはできない――彼女は真っ白なタオルをかまされていた。

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