第8話 新生幼稚園入園への応援コメント
キリスト教系幼稚園としては何か珍しい。
幼稚園であるという事に信念を持っていたのだろうか?
作者からの返信
躾けに厳しい幼稚園ということで当時はかなり評判でした。
今は多分そんなスタイルは取ってないでしょう。
第6話 毒殺未遂への応援コメント
凄い。三歳児にして計画殺人。ただただ驚くしかない。
公園なんてそんなに無いぞ。
有ったとしても遊具は危険だ球遊びは危険だと因縁つけて、体を使った遊びは出来なくなっているんだ。
その反動か、ベンチに座ってスマホだのゲームだの。俺もその一人だったが。
マスメディアは金を取れたら良いから、加害者の周り(二,三親に限らず、通っていた学校など)を洗い晒しする。
今はまだマシな方だと思う。昭和のプライベートの無さよ。
作者からの返信
相当に追い詰められていましたからね。
今も昔も保育園は保育士の人数に対して子供の数が多過ぎてまともに面倒なんて見られる環境ではありませんでした。
具合が悪ければ見た目だけじゃなく行動にも通常とは違う行動が現れるからその点は保育士は見抜くのは優れてましたが、子供同士の虐めやからかいというのは小中高校同様に見抜く能力は低かったですね。
第5話 保育園への応援コメント
幼稚園では聾学校的な感じだったのでそんな感じではなかったのですが、小学校では同じような事はありましたよ。
貴方の小説?エッセイ?を読んで、俺もセン公と親が信じられないというのはもしかしたら同じような事が起きたからなのかな・・・。
ただ、新聞を読む三歳児というのは凄い。
何だろう。健太郎が居なかったら何かが変わってたのかもしれん。
作者からの返信
子供の頃に父親の真似をして新聞を読み、そのうち新聞の内容を理解するようになると知識を得るのが楽しくなったし、それを話しすると親が驚いて呉れたり、喜んでくれていたので、余計に新聞を読んで知識を得るようになっていったんだろうと思います。
健太郎君との衝突が無ければ文学少年或いは漢字少年として神童扱いされていたかもしれませんね。
昔から色々な意味で運がついているといったら変なのですが、何かついていてそれによっていつも私はそっちに行ってはダメという選択肢を選んでは泥沼にはまり続けて行きました。
第12話 左足骨折への応援コメント
そんな小さい頃の記憶があるなんて、性格が歪んでいなければと思いましたよ。
てか、記憶が良い分忘れられないからグレル反動にもなるのかな?
作者からの返信
コメントありがとうございます。
多分、交通事故の賜物なのかもしれません。
新しい記憶は覚えられないくせに事故以前の記憶だけは鮮明によみがえるようになったんです。
交通事故は大人になってからの事なのですが、それがきっかけで自分が子供の頃に無茶苦茶していたことを小説にして書いてみようかなと思いました。
真実は小説より奇なりを地で行くような無茶苦茶な子供だったので。